4.クランの想い
呪いの研究。
それが、いったいどんな内容なのか、説明を受けたところでボクには難しすぎて、よく分からなかった。カレンたちは何度も丁寧に教えてくれたけれど、そもそもの話がボクの想像を超えてしまっていて、うまく頭に入らないのだ。
それでも、彼らの活動が熱心であり、それなりの成果もあるのだということは伝わってきた。そして、それは、実際に呪いと呼ばれる現象と決して無関係ではないクランにとってもだいぶ興味深いものだったらしい。
だからだろう。
彼はボクたちに告げたのだった。
「俺さ、ここに残るよ」
キツネの顔はいたって真面目で、澄んだ目は清々しいほどだった。
「ここに残って、博士たちの研究を間近で見せてもらいながら、ベリー売りとして少しでも協力できることがないか探ってみようかなって」
「ど、どうして?」
動揺を隠さずにラズは訊ねた。その反応もまた、クランは想定していたのだろう。そっと笑って彼は答えた。
「やっぱりさ、気になるじゃん。俺、今は呪われているし」
「それは本物の呪いなんかじゃ――」
「そうだけど、でも、似たようなもんだし。女神の呪いの秘密が分かった時、ひょっとしたらキツネ化の秘密も分かるかもしれない。それにさ、ラズたちがいない間に、ここに奴が来るかもしれないじゃん」
奴。それが誰を差しているのか、ボクにも分かった。
ブラックだ。
初めて会った頃、クランは自分の兄のことを快く思っていないのが伝わってきた。
一生懸命探そうとするラズに不満を向け、故郷に帰ろうともしない兄の悪口ばかり言っていた。そんな彼が、照れ臭そうに笑いながらラズに言ったのだ。
「本当は待っていたいんだろ? じゃあ、俺が待っていてやるよ。一応、俺も家族だもんな。ま、奴は今の俺を見たら腰を抜かすかもしんないけど、そん時は毛と尻尾を逆立てて威嚇してやるのさ。『待ちくたびれてキツネになったお前の兄弟だぞー』ってね」
そう言って、クランは悪戯っぽく笑った。
相変わらずキツネの顔をしているけれど、その表情を見つめていると、タイトルページで見たきりの青年の顔が浮かんでくる。
ラズにちょっと似ていたヒト族の顔立ち。あの頃はいつも唇を結んで、眉をひそめていた気がするけれど、ここしばらく一緒に旅をしながら色んな表情を見てきたせいか、屈託のない笑みを浮かべるあの頃のクランの表情がすっと思い浮かんだのだ。
家族を安心させようとする彼の優しさをボクは感じた。仲間を気遣うオオカミの優しさにちょっとだけ似ていて、懐かしい気分になる。
そんな彼の笑みを見つめながら、ラズもまた少しだけ笑みを取り戻した。
「……そう」
そう言って静かに息を吐くと、ラズはクランに頷いた。
「分かった。それがクランの希望なら、私は何も反対しないわ。むしろ、お願いしたいくらい。兄さんにもしも会えた時は――」
「分かってるって。連絡するように伝えるんだろう? ラズがどれだけ探しているのか、懇々と叱ってやるさ。言いたい事ぜーんぶ言ってやる!」
頼もしいまでにきりっとした表情を浮かべるクランに、ラズはさらに笑みを深めたのだった。そんな二人のやり取りを見守っていると、ボクまで気分が軽くなった。
自ずと揺れる尻尾の振動を感じていると、クランはそんなボクの視線に気づいて、キツネの手をぽんとボクの頭に乗せた。
「というわけだから、ブルー。ラズのことを頼むぞ」
「任せて! ボク、見た目だけは怖いオオカミだから」
尻尾をぶんぶん振って笑顔でそう言うと、クランはキツネの顔に笑みを浮かべながら言ったのだった。
「そうだなぁ。お前はおっかないワンワンだよなぁ」
その表情と口調に揶揄いが含まれているように感じたのは気のせいだろうか。気のせいということで、ボクは頭の中に雪山の群れの大人たちの姿を思い起こし、胸を張って懸命のその振る舞いを真似してみた。
姉さんも、兄さんも、ボクと同じ両親から生まれた。だから、ボクにだってふたりのようなかっこよさが何処かに眠っているはずだ。そう信じてしばしおすましし、ふと尻尾の揺れを思い出して、意識的に止めてみる。
できるだけ怖く、悪い人がラズに近寄ってくるのを躊躇うようなイメージで。
うん、しっかりできているはずだ。
「寂しくなるわね」
ふと、ラズがそう言った。
温かな樹木色の目をクランに向けて、切なげな表情を浮かべている。そんな彼女に向かって、クランは揶揄うように笑った。
「なんだよぉ、これまでだって何度も合流したり、別れたりしてきたじゃん? それに、実家はトワイライトだ。離れて過ごしていたってトワイライトで育った記憶で俺たちは繋がっているわけだ。それが家族ってもんなのさ」
「そうね。分かるわ。今までだって同じだもの。それは分かる。でも、それでも寂しいの。考えてみたら、こんなに長く一緒に旅してまわったのは、公認ベリー売りになって以来、初めてだったじゃない?」
「そういや、そうだったかもな」
「うん。だから、寂しくなっちゃったみたい。おかしいよね。自分で決めたことだし、納得していることなのに。どうせまた会えるのに」
涙を滲ませながら、笑みを浮かべるラズの表情に、ボクはそわそわしてしまった。泣いているラズを見ていると、心が落ち着かなくなったおだ。クランもまた頭をかきながら困惑した表情を浮かべていた。
「よせやい。俺まで寂しくなっちゃうだろ? 会いたくなったら、アフタヌーンからモーニングに戻って来いよ。ブラックの野郎を見つけるまではここを拠点にしたっていいだろう?」
「そうね。それも一つの案ね」
そう言って、ラズは袖で涙を拭った。
いつもの冷静な彼女の表情が浮かび、ボクは少しだけホッとした。
別れ。それは確かに寂しい事だ。一緒に旅をしてきたクランとここでお別れなのは、それが一時的だとしても、ボクもやっぱり寂しい。
ボクはラズさえ一緒だったら何処にだっていけるけれど、ラズと分かれた森での夜を思い出すだけで、寂しさを思い出して遠吠えをしたくなってしまう。また、雪山の家族のことを思い出すと、懐かしくて恋しくなる時だってある。
ラズもきっと今、そんな気持ちなのだろう。
それでも、ラズは逞しい。拭ってしまえば涙は消えていて、いつもの陽だまりのような温かみのある笑みを浮かべていた。
この笑みの下に、一体どれだけの感情が秘められているのだろう。ボクとは比べ物にならないくらい、出会いと別れを繰り返してきたはずだ。ボクと出会うまではひとりきりで、ベリーロードを歩んできた。身を守る者はベリー銃だけ。
けれど、いまはふたりきりだ。
ラズが嫌がらない限り、ボクはその隣を歩き続けるつもりけど、ボクさえいればいいというわけではない。誰よりも傍で彼女を支えたいと思っているけれど、決して誰かの代わりになれるわけじゃない。ボクはボクとして、ラズの隣を歩めるだけだ。
ラズがクランを恋しがるという気持ちに寄り添えても、クランの代わりにはなれないのだ。だから、ボクはクランを見上げ、ラズを見上げた。
「ねえ、ふたりとも」
旅立ちはもう少し先になる。まだ時間はあるはずだ。
「ボク、メインゲートに旅立つ前に、もう一回だけ、みんなでクリスタルフィッシュを見に行きたいな」
突然の提案だったけれど、ラズとクランは顔を見合わせ、頷き合った。
「そうだなぁ」
「時間もあるし、いいかもね」
快いその返事に、ボクはまたしても尻尾を振ってしまったのだった。




