4.新しい家族
「俺は反対だ!」
そう言ってクランはへそを曲げた。
どうやら私のいない間に大方の準備は終わったらしい。椅子にふんぞり返って私たちを睨み、眉を吊り上げて大声を上げるだけの余裕はあるようだ。
ブルーが両耳を倒してみても、今のクランには通用しないようだった。
「犬の登録をしてきますだって? 待て待て。そいつはどう見てもオオカミじゃねえか。しかも、マヒンガって言っていたよな。ラズ。お前は騙されているんだ。だいたい、赤ずきんとオオカミとか不吉な組み合わせじゃないか! 食べられでもしたら――」
「あの……クランさん。誤解されているみたいなんだけど、ボク、ラズに危害なんて――」
「うるさい、お座り!」
「ひゃんっ!」
ちなみにお座りならだいぶ前からしている。お行儀よく座って下手に出るブルーに比べ、クランときたら行儀が悪いったらない。
全くどちらがケモノなんだかと内心呆れながら、私はクランに告げた。
「まあ、そういうわけだから。ちょっとの間、店番していてくれる?」
「おい、おいおいおい! ラズ嬢、俺の話を聞いていたかね?」
「クランが反対したとしても、私の犬ってことで登録するから関係ないでしょう?」
「関係大有りだ、馬っ鹿野郎め! 兄の忠告くらい真面目に聞かんかい!」
「はいはい。さ、ブルー。そういうわけで行きましょうか」
「あ、おい、ラズってば!」
これ以上、話し合っても無駄だ。
「何がそういうわけでだ、この野郎、おい! 待てったら――」
何か言い続けているが、問題ない。
そもそも保護者でも何でもないクランに反対されたところで意味はない。さっさと役所に行って、さっさと登録を済ませてしまおう。
そんなわけで私の方は気楽に歩んでいたのだが、ブルーはやっぱり気になったようで、何度も振り返った。
「あのさ、ラズ。良かったの?」
「何が?」
「クランさんの説得。なんだかボクのことを警戒していたみたいなんだけど」
「いいのよ。放っておけば冷静になるから。それにクランに反対されたって関係ないわ。それよりもブルー。あなたの気持ちも聞いておかないとね。お友達を犬登録しちゃうなんて初めてのことだから」
「ボクの気持ちか」
ブルーは呟いて、少しだけ考えてから答えた。
「ボクは別に抵抗ないや。その登録ってやつでラズと一緒にいられるのなら、犬だろうが何だろうが喜んで登録されちゃうよ。鑑札ってやつもちゃんと付ける。そしたらもう誰にも咎められないんでしょう?」
やや嬉しそうに訊ねてくる彼に、私は複雑な気持ちを抱いた。
勿論。誰にもケチはつけられないはずだ。だって、ドラゴンメイドの法に則っているわけだから。
それでも、私は少し心配だった。法律が認めていようが何だろうが、悪い事を言う人や好奇の目を向けてくる人はいなくならないだろう。それがブルーを傷つけることがないか怖かったのだ。
でも、そこでしっかりしないといけないのが私だ。孤独を癒してもらう以上、支えてもらう以上、私もブルーのことを守らないと。この先に待ち受けているだろうあれやこれやの覚悟を決めて、私はブルーに頷いた。
「ええ、大丈夫よ」
そうして私たちはタイトルページの役場にたどり着いた。
犬の登録が出来る動物管理課はベリー課とは別の支所にある。
人間の町で共に暮らすケモノたち――とくにイヌはそこで正式な手続きを踏んで登録しなければいけない。獣医師の診察を受けて、必要な薬を処方してもらうのは、ルールであると同時に不安なく共に暮らすために不可欠なことだと知っていた。
一応、実家にいる犬のサンや猫のデューもそうやって登録したから覚えている。
ただ、自分で登録するのは初めてだ。とくに、マヒンガだなんて。
少々緊張しながら入ってみれば、そこには登録を待つ子犬や子猫、珍しいサルやオウムといったケモノたちを連れた人々がいた。
待ち時間はさほど長くはなかった。呼ばれた先に向かうとそこにはオオカミ族の獣医がいた。名前はラルフというらしい。ブルーを見て不思議そうに首をかしげていたため、少しだけ身構えてしまった。
「ふむ、もしかしてこの子はオオカミの血を引いていたりするかな?」
「分かるの?」
反射的にブルーが訊ね返してしまい、心臓が跳ね上がった。同じくラルフも目を丸くした。自分の鼻筋をさすりながら、ブルーをまじまじと見つめ始めると、その目を注意深く見つめてブルー自身に問いかけた。
「今喋ったのは君かね?」
問いかけられて、ブルーは慌てたように尻尾をあげた。
「えっと……その――」
狼狽えるその声すら人間の言葉になってしまっている。いよいよ言い訳が出来なくなったと覚悟していると、ラルフは苦笑を浮かべてブルーを撫でた。
「ああ、すまないね。おじさんは見ての通りオオカミ族なんだけれどね、スノーブリッジ生まれじゃないんだ。だから君のように喋るワンちゃんには初めて出会ってね」
そう言ってから、優しく声をかけながらブルーの口や目、耳、そして毛並みなどを確認していった。恐らく初めてだろう診察行為に怯えたりなどしないかしら、などと不安になったりもしたけれど、きっと優しい雰囲気の人だったからだろう、ブルーもすっかり信頼して始終大人しくしていた。
ラルフは最後に立ち上がると、私にそっと訊ねてきた。
「確かあなたはベリー売りさんでしたね。マヒンガを犬登録するということ自体には問題はありません。気性も良さそうですからね。そちらは心配ないのですが、最近は旅行者や移住者も多く、さまざまな病気が船で運ばれてきます。それに風土病も怖い。旅をしてまわるのでしたら、くれぐれも予防は怠らないようにお願いしますよ」
「はい、勿論です」
こっそりと答えると、ラルフは満足そうに頷いて、改めてブルーに向かって声をかけた。
「ブルー君。ありがとう。診察はこれでおしまいだよ」
「ありがとうございました、ラルフ先生」
ブルー本人からきちんとお礼を言われ、ラルフはにこやかに笑った。
その後は、しばらくの間、待合室で待たされることになった。
目立った病気はなし。気性もよし。喋るというところとオオカミに非常に似ているというところに目をつぶれば、家庭犬としての条件を満たしている。ちゃんと認めて貰えるか、待っている間はドキドキした。だが、受付に再び呼ばれてみれば、そこには既にきちんと首輪と木製の鑑札が用意されていたのでホッとした。
「お待たせしました」
そう言って笑顔を向けてくるのはクマ族の女性だった。名前はベルナデッタというらしい。ベリー課でお世話になったウルスラと同じくメガネをかけているが、髪型や爪が違う。短く切られた前髪はお洒落をしようという意気込みを感じられないほど適当で、爪もマニキュアなんて塗られていない。それでも、地味ながらも笑顔だけは眩しかった。
「飼い犬の登録が終わりました。ブルー=ベリー。オス。家庭犬。体毛は黒で目の色は青。耳は立っていて尻尾は長い。健康も気性も問題ありません。今日以降は、タイトルページとその周辺のトワイライト、サンセットではブルー君の身元が保証されます。こちらは初めて登録された成犬が飲まなくてはいけないお薬。七日間忘れずにお飲みください。成分はドギーベリーとポイズンベリー、ピュアベリーの粉末を調合したものですが、ご不明な点があれば、お手数ですが獣医師のラルフまでお問い合わせください。そして、こちらがブルー君の鑑札となります」
赤い首輪につけられているのは、クマの形をした木札である。そこにはタイトルページのサインと犬登録の文字が刻まれており、手書きで登録番号とブルーの名前が記されていた。実に簡易的な鑑札である。
「滞在期間中は問題なく使える鑑札です。しかし、もっと頑丈なものが欲しい場合はお手数ですがここで申請してください。タイトルページ限定デザインの鑑札をご用意できますよ。お名前と番号を掘らないといけないので、少々手数料とお時間はいただきますが、一か月のご滞在とのことですので問題ありません」
そう言って、彼女が示したのは銀製鑑札のデザイン画だった。たったいま受け取った木製の鑑札とは違って、当然ながらもっとしっかりとしている。何より、名前や番号を彫って貰えるのは嬉しい。
「それじゃあ、お願いします」
「かしこまりました。五日ほどで準備が整います。木製の鑑札と引き換えになるので、どうかなくさないように気を付けて」
「分かりました」
こうして、ブルーの飼い犬登録はあっという間に終わった。ベルナデッタに手を振られ、ブルーは尻尾を振り返した。どうやら役場の人たちは、ブルーが話すことを何とも思わないでくれたらしい。
ホッとしながら私はブルーと共に帰路についた。
赤い首輪に木製の鑑札をつけたブルーは、心なしかカッコよさが少し上がった気がした。鑑札が銀製のものになれば、さらにお洒落になるだろう。ブルーの方も初めてつける首輪に違和感があったようだけれど、札を何度か揺らしながら、何処か嬉しそうに笑っていた。
「気に入った?」
クランの待つベリー市場への帰り道。そっと訊ねてみると、ブルーは尻尾を揺らしながら答えてくれた。
「うん」
明るい返事の後、ふと首をかしげる。
「ここに書かれているのって、ボクの名前なの?」
「そうよ。ブルー=ベリーって書いてあるの。ベリーは私の名字。人間の世界では、ブルーは私の犬ということになってしまうの。でも、ブルー。飽く迄もそれは手続きの上のことよ。だから、悪く思わないでもらえたら嬉しいのだけど……」
「悪く思う? まさか。ボクちょっと嬉しいんだ。一人ぼっちだったし、名字っていうものもなかったし」
「あら、マヒンガって名字を持たないの?」
「うーん。たぶんね。それっぽいのはあるんだけど、名字って言うとなんか違うような気がして……」
「……そうなんだ」
不思議に思いつつも、考えてみれば納得がいった。
マヒンガ――喋るオオカミたちが暮らしているのは、ドラゴンメイドの北側に位置するスノーブリッジの雪山である。人里から離れたその場所は、古くからサンダーバードが翼を休める神聖な山として有名だった。そのためか、マヒンガたちは侵入者を拒み続け、山の向こうにある北の国ビッグフットとスノーブリッジの町とを行き来する人間たちを厳しく監視している。
しかし、彼らのその暮らしはオオカミそのもので、喋ることや文化を感じること以外はケモノと変わらない。書類などの手続きの一切いらないあの世界では、きっと名字なんて意識することもないのだろう。
詳しい事はともかく、ブルーに誇り高い名字などがなくてちょっと安心した。気を悪くしないのならば何よりだ。それに、私もちょっと嬉しかった。
実家には犬のサンや猫のデューがいるし、彼らだってベリー家の一員だ。しかし、ブルーのように喋るわけでもないし、何なら私のパートナーではない。私だけのパートナーとしてブルーの存在を認めてもらったこの手続きには、目に見えない絆のようなものを感じずにはいられなかったのだ。
これはひょっとしたら、先住民たちのよく言う人間のエゴというものなのかもしれないけれど、そうであっても私は鑑札をつけたブルーの姿が気に入っていた。
「それにしてもよかった」
ブルーはにこにこしながら歩き、私に向かって言った。
「これでラズと一緒に人間の世界にいられるんだね。ボク、わくわくしてきちゃった」
無邪気なその言葉に、私は立ち止まって視線を合わせた。
「私もワクワクする。今までずっとひとりぼっちだったけれど、あなたと一緒に歩くベリーロードはきっといい景色なのでしょうね。色々紹介するわ。人間の世界のこと。まずはここ、タイトルページ。一か月後には旅立つ予定だけど、その間にたくさん思い出を作りましょう。おいしいものとか、面白い事とか、いっぱい紹介するから!」
「ありがとう。とっても楽しみ!」
尻尾を振りながらブルーはついてきた。当然のように言葉を喋るブルーの姿に居合わせた通行人の一部は驚いたように振り返る。それでも、ブルーの首にしっかりと鑑札がついているためか、誰も彼も突っ込んできたりはしなかった。
タイトルページの一か月。きっと楽しいものになるだろう。そんなワクワクした思いが胸いっぱいに広がって、私もブルーも上機嫌でベリー市場に戻っていった。
そう、腕を組みながら不機嫌なキツネ族のように唇を尖らせたクランの姿を見るまでは。