縄文土器に思いを馳せ
なぜ人は “芸術” を与えられたのか。
生きていくために “芸術” は必要不可欠な物ではない。まともに働いてさえいれば給料はもらえるし、もらったお金で衣食住を保障できるのである。逆に “芸術” ばっかり追い求めて成果が出ずに、日の光が当たらないまま世の中の暗闇にとけ込んでしまう人たちもいる。歌手になりたい、画家になりたい、はたまた著名なダンサーになりたい。当人にとっては好きなことをやっているだけなのだが、夢を語るのはいいが現実を見ろと、親だったり友達が忠告してくる。それはそれで一つの考え方であり、何パーセントしかいない成功者を目指すよりかは、世間に交じって金を稼いで地に足の付いた生活を送って欲しいと。わざわざ遙かなる峰を追い求めて、苦しむ必要もないぞと。
ならばなぜ、人は “芸術” という領分を与えられたのか。
“夢” を見なければ、その種族の発展はあり得ないからである。“芸術” という世間の人々と違う事をするということは、確かに端から見ると “変わったこと” をしているに過ぎない。しかしその “行動” とそこへつながる “意志” がある以上は、必要だからこそ人間という動物に与えられた領分なのだ。芸術は人に夢を見させる。頑張って生きていこうという気持ちを起こさせる。しかも変わったことをしていると、たまに現実社会で役に立ったりする。新しいことを見つけ、それはいずれ文化となり、真似るということを繰り返して人間は発展できたのだ。
最近知ったことだが、あの縄文土器にはもともと模様が入っていなかったらしい。“器”自体は生活に必要不可欠な物なので、作って当然だろう。確かに模様を入れたところで、実用性が高まるとは到底思えない。縄文時代の草創期には、きわめてシンプルな物しか発掘されていない。
ここで変わり者の縄文人が、“これでは面白くない”と模様を入れてみた。何も入っていない茶褐色の器を使うよりは、何かしらのデザインが入っていた方が美しい。美しい物は暮らしに一種のエッセンスを与え、華やかなものへ変えただろう。すると別の縄文人が気づいた。模様を入れたことにより表面がでこぼこになる。空気にあたる面積が広がり、乾燥するスピードや熱吸収の効率が上がったようだ。よりよい質の高い土器が作れるぞ……。文化とは先人の開発した技術を真似ることである。ここから縄文人は発展へのルートに入ったのだろうかと私は考えている。そのうち作ること自体が実社会で役立たない土偶を作ってみたり、美しさを競うという文化が根付き始めた。これも一見無意味だが……造形を考えるという行為は、例えば家を建てたりする際の技術へも繋がるのだ。結果として芸術家が多くいた場所が、一番栄える。
きっと三内丸山遺跡は、芸術家が多くいる場所だったのだ。世界に名を残すほどの規模ならば、そうに違いない。そして私らが住まう津軽という土地を栄えさせるためには、芸術に親しむということを忘れてはならない。さらなる発展を期待するなら、芸術家を集めることだ。アピールする場も増やすことだ。
郷土の発展は、私ら自身に託されている。