月の光は20
急いでベッドに駆け寄る。 アロは顔を顰めさせて、汗を額に滲ませながら呻いていた。
「おか……さ、おとうさん……や、めて、行かないで、いかな……」
目尻から涙が出ていることに気がついて、急いで彼女の身体を抱き上げる。
「アロ、アロ。 大丈夫だ」
少し揺すってアロを起こすと、彼女は怖がっている表情のまま目を開けて俺を見る。
「……ベルク、さん?」
「ああ、俺がいる。 大丈夫か?」
アロは寝惚けた顔のまま俺に抱きついて声をあげた。
「助けてくださいっ! お母さん達が魔物に襲われてるんですっ! ベルクさん! 助けてください!」
「……落ち着け魔物はいない」
「今、馬車の外に魔物がいるんです!!」
何を言っているのか。 ……父母の死を夢に見て記憶がごちゃ混ぜになってしまっているのだろうか。
アロは涙を流しながら、俺にしがみつく。
「お母さんが、お父さんが……魔物に、殺されて、痛い痛いで、怖いです、僕が助けないと、ベルクさんが殺されて」
錯乱しておかしくなっているのだろうか、そう思ったが……こんな少女が父母の死を目撃して「普通」でいられたことが普通ではないだろう。
「だから、ベルクさんが助けてくれたら……ベルクさん助けてください……」
「……ああ、ちゃんとお前を守るから。 大丈夫だ」
「お母さんと、お父さんも?」
既に死んでいる人間を助けろなど、無理を言う。
アロの身体を抱き締める。 小さな身体だ、細く、弱々しい。
辛いことばかりで、こんなに小さな身体でどれほどの痛苦を耐えているのか。
「……ああ、助けてやる。 だから、安心しろ」
嘘を吐いた。 ……嘘など吐き慣れているつもりだった、誤魔化すことや、都合のいいようにすることは珍しいことでもない。
だが、アロの言葉に嘘を吐くのは……彼女のためと誤魔化そうとも、酷く重い罪悪感が俺を襲った。
「本当、ですか?」
「ああ、知っているだろう。 俺はすごく強いんだ。 魔物なんて簡単に倒してしまえるし、あの伝説の勇者にも頼られるぐらいだ」
「……勇者様、ですか?」
「アロが望むなら、勇者でも、何でも、なってやる。 だから、安心しろ」
にへら、と笑みが浮かんで、俺にしがみついたまま目を開ける。
「よかった、これで、お母さんも、お父さんも……」
「ああ……大丈夫だ。 俺がいるから」
無責任な言葉を、今の一瞬で何度吐き出したことか。 彼女の背中を撫でて、大丈夫だと繰り返す。
少女を騙している感覚があまりに辛い。
そんな大それた人物じゃない。 魔物と戦うことが出来る程度で、神から選ばれた勇者や英雄のような力はない。
魔力は人並み以下しかなく、身体も平凡だ。
「……大丈夫だ。 アロ、俺がいる」
だからなんだ。 俺がいたところで、何も出来ないことばかりだろう。
異界化した森に行ったときも、レイに手助けされ、モモに見逃され、ニムに助けられて、アロに救われた。
俺が一人で出来たことなど何もなく、ただの自殺でしかなかっただろうが。 ……だが、俺は偉そうにアロに語る。
「ニム、今日も来てただろ。 俺に魔法を作ってと、泣きついてきてな。 宮廷魔術師長なんて、国に雇われている偉い奴にも頼られて使いが出されるぐらいだ。
魔法なんて俺にとっては得意なことでもないのに、それだからな。 ……俺は誰よりも強いから、どんな奴からも、アロを守れる」
「……はい、知ってます。 ベルクさん、すごいです」
嘘を吐け、騙せ、見栄を張れ。 弱さを自覚しているからこそ、酷く心がささくれ立つ。
「お前を抱いているのは、世界最強の男だ。 ……怖いことなんて、何もない」
アロの返事はない。 また眠ったのだろう。
先ほどと違い安らかな寝息で少し安心するが、身体は汗で濡れて冷えている。
引き剥がそうとしたが、彼女の手は強く俺の服を握っているうえに、脚もがっしりと俺の腰を挟んでいて離れそうもない。
仕方なく手を伸ばして掛け布団を手に取り、彼女に掛ける。
……世界最強か、馬鹿なことまで言ってしまった。 大口は情けなさばかりが膨れ上がるような気がして、言うのが恐ろしい。
だが、それの方が安心するのであれば、語って、騙るのもやむを得ない。
アロの前では最強の英雄として、弱みを見せずにやってやる。
……とりあえず、魔力操作の練習と、体術の訓練をするか。
魔力操作と、足音を立てない歩法ぐらいなら、他のことをしながらでも練習出来るだろう。
アロの重みを感じながら目を閉じる。 アロの感触や熱を感じたが、不思議とそのような気分にはならなかった。
朝日と共に目が覚める。
昨夜、色々とあったせいであまり眠れておらず欠伸を噛み殺す。 汗でぐちょりと濡れた感触を確かめようと布団を剥がせば、まだアロがしがみついていることに気がつく。
多少暑い夜だったというのに、布団と俺に挟まれていたアロは薄手の寝間着を汗でぐしゃりと濡らしていて、顔も赤くしている。
どうしても浮き出て見えてしまう身体の線にドギマギとしながら、彼女を持ち上げて立ち上がる。
「アロ、朝だけど……起きれるか?」
「ん、んぅ…… ベルクさん? もう、べったりひっつきすぎです。 甘えんぼなんですから」
「いや、この体勢を見てよく言えるな」
「え……あれ? 僕がひっついてたんですか? えへへ」
アロはゆっくりと離れ、涙の跡の目やにを気にしたように擦る。
「……おはようございます」
「寝ぼけすぎだ。 おはよう」
アロは俺の脚の付け根を見て不思議そうに首を傾げ、自分のべたりとした服を触る。
「汗かいてて、恥ずかしいです」
「……俺は少し剣を振ってくるから、汗を拭くなり着替えるなりしていればいい」
昨夜のことは覚えていないのだろうか。 気にした様子もない、あれほど取り乱していれば気にしないということはないので、覚えていないのだろう。
そちらの方がいい。 嫌なことは忘れて、俺が引き受ければ済む話だ。
寝室から出てリビングに向かう。 昨日、俺の脚に刺さっていた剣が置いてあり、そういえば回収していたことを思い出す。
割と良さそうな剣なので、ありがたく使わせてもらおうか。
ニムがしたのか、騎士がしたのか分からないが手入れがされていることをありがたく思いながら手に取り、鞘に入れたまま剣を片手で振るう。
俺は基本的に剣術と共に符術なども併用するため、両手で剣を使うことは出来ない。 剣のみで戦うとしても、もう一本剣を使うので結局は片手だ。
軽く両手共に百回ずつ振るい、一度水を飲んでから魔力を操作しながら剣を振るう。
内臓にある魔力を筋肉へと移動させて振る。 先ほどよりもキレを増した素振りを同様に百回ずつ行ったところで、アロから声がかかった。
「ベルクさん、ご飯の用意出来ましたよ」
「ああ、すぐに行く」
一度桶に水を汲んでから寝室に戻り、乱雑に汗を拭ってから服を着替える。
リビングに向かえば、アロとシチが座って待っていた。
「先に食ってもよかったんだぞ」
「おはよー。 いや、家主を置いて食べれないよ」
「今日はシチさんも手伝ってくれたので、おいしいと思いますよ」
「いつも美味いだろ。 ……シチ、ありがとう」
「えっ、ううん。 ほら、お世話になるだけなのも悪いから……ね」
アロは俺が手を付けるまで待っているようだったので、水を飲む前に一度少量食べてアロが食べ始めてから水を飲む。
いつもと少し違う味付けに顔をしかめながら、シチに尋ねる。
「それで、どうするつもりだ?」
「……んー、道具屋の仕事があるから、無断でいなくなるのは……」
「……まぁ、人の多い場所で昼間なら大丈夫か。 今日は仕事場まで送っていこう。 一応迎えにいくが、ここに泊まるのは強制しない。 家に戻りたいなら、家まで送ろう」
「あ、ありがとう」
まぁ家に突入してくる可能性もあるが、それはシチも分かっているだろう。 おそらく、敵が吸血鬼であることを思えば昼間に堂々と出歩くことは少ないだろう。
基本的に夜の方が強く、身体も楽だ。 人の多い場所に出て吸血鬼の存在がバレるのも、相手は避けると思われるので昼間はそれほど警戒しなくとも大丈夫だと思う。
アロとは一緒にいるようにしたいが。
朝食を食べ終わり、シチを道具屋に送り、アロと二人で傭兵ギルドに向かうこととなった。




