幼馴染が勇者だった5
ひとまずは逃げ切ったと言っても過言ではないだろう。
街に到着して一月経ったが、追っ手が来る様子はない。 それもそのはずで、ど田舎に住んでいた俺たちの顔を知っているのは騎士の奴等ぐらいで、すぐさまに逃げたので顔もおぼろげにしか見られていないはずだ。
当然人相書きを書けるほどでもなく、晴れて俺は田舎の若者【ルーク=ソードマン】となり、ニムはそのルークの新妻の【アリア=ソードマン】となった。
アリアという名前は、先代の王妃様の名前で、彼女にあやかろうと子供の名前に付ける親が多かったので、よくある名前と言えるだろう。
そんな珍しくもない田舎の若者の夫婦は近場の魔物を狩ったりなどをして生計を立てることに成功し、少しずつ貯金も出来るようになっていた。
今は宿暮らしだが、遠くない未来には家も借りることが出来るだろう。
彼女ニム……いや、アリアの様子も落ち着いてきて、この生活を楽しみ始めた様子すらあった。
勇者を攫ったお尋ね者の俺と、勇者であるアリアの手配書も出ていたが、似ていない似顔絵でバレるはずもなく、隠れることもせずに泊まっている宿屋に戻ってくる。
「おねーちゃんおかえりー! あ、あとお兄ちゃんも……」
アリア(偽名)に張り付いている少女を引き離す。
「疲れているんだ。 構うな」
「いー! お兄ちゃんじゃなくて、おねーちゃんもお話ししてるの!」
「その『おねーちゃん』も狩りの帰りで疲れてるんだよ」
「そんなことないもんね?」
「うん。 ティナちゃんとお話しするのは楽しいからね。 ルーくんは先に行ってて大丈夫だよ?
「お兄ちゃんは早く部屋に行って!」
宿に置いてあるベンチに座り、宿屋の娘であるティナを膝の上に乗せる彼女を見て、少し呆れる。
幾ら安全になってきているとはいえど離れられるはずもなく、仕方なしにその隣に座る。
「ごめんね、ルーくん」
「本当にな。 子供の相手してる時間なんてないのによ」
威嚇するように俺を睨むティナから目を逸らし、息を吐き出す。
優しいのはいいのだが、一応は追われる身で金も全然足りていないことを自覚して欲しかった。
何処の景色が綺麗だとか、何が美味しかったとか、どの近所の子供が意地悪をするとか、そんな面白くもない話を聞いて、アリアは楽しそうに相槌を打っていく。
「あっ、これ、ティナちゃんにプレゼント! 森の方に行ったら咲いてたの!
魔力が沢山篭ってるのを選んできたから、なかなか枯れないよ!」
……お花を摘みに行くって、本当に摘んできていたのか。
魔力があるが魔物ではない珍しい花、蒼穹花の青い花をティナに見せて、彼女の髪に挿す。
「えへへー、かわいい?」
「うん、とっても可愛いよ」
「おねーちゃんもかわいいよ! 綺麗でお姫様みたい!
……お兄ちゃんは、かわいくない」
当たり前だ。
童女の黒い髪にはあまり似合っておらず、蒼穹花の青い光がやけに目立って妙に見える。
「ルーくんは可愛くないけど、かっこいいんだよ! 強くて頼りになるの!」
「……んー、そんなに身体おっきくないし、弱そう」
「めっちゃくちゃ強いから! どんな魔物がきても倒せるぐらい!」
二人で仲良くしているところを横目に見ながら、片手間に札作りをしていると、札に大きな影が落ちて上を見ると、大男が盆にコップをいくつか乗せて、俺たちを見て笑みを浮かべていた。
「ああ、シドソデルさん。 悪い、こんなところで騒いで」
「いや、ありがとう。 私も家内もなかなかティナと話してやらなくて、ティナも本当に喜んでいて」
「あっ! お父さん、ジュース!」
大男に飲み物を手渡され、礼を言って受け取る。 俺は遊んでやっていないが……受け取ってもいいものなのだろうか。
まぁ渡されたのだから飲まないもの失礼かと思って口に含む。 酷く甘い。
「わたし、おねーちゃんみたいになりたい。 綺麗で可愛いの」
「ティナちゃんの方が綺麗で可愛いよ?」
「えへへ、そうかなぁ……」
外を見るとそろそろ夕暮れで、すぐに買い物に行かなければ間に合わないだろう。
「アリア、そろそろ行くぞ。 荷物を置いて買い物に行かないと」
「え、あっ! もうこんな時間! ティナちゃんごめんね、また後でね」
「えぇー……うん。 また後で」
恨みの篭った目で睨まれるが、幼女の目など怖いはずもない。 適当にひらひら手を振って、部屋に戻って荷物を幾らかだけ置いて外に出る。 着の身のまま旅が出来るような格好のまま買い物に歩く。
調理する道具も場所もないので、適当に屋台のものを買い、札を書くための魔力の篭ったインクを大量に購入しておく。
本来は符術用ではなく、魔法陣用のものではあるが、使えなくはないので代用することにする。
符術なんてマイナーな技のためのインクなど売っていないし、売っていたら値段も高いだろう。
符術は札の中の魔力を消費して起こす魔道具の一種で、魔法陣は自身の魔力を消費する魔法の系統だ。
魔法陣用のインクにはあまり魔力がないので、幾分か威力を下げる必要があるか、あるいは他の材料で魔力を補う必要がある。
買ったインクの一つをポケットに入れる。
「……ルーくん、ずっとこんな生活が続けばいいのにね」
「いや、早く宿暮らしはやめたいだろ」
「そうじゃなくてさ──」
彼女の笑みに見惚れて立ち止まってしまうと、少女は振り返って満面の笑みを浮かべ直した。
「平和で、ルーくんと一緒に笑ったりして! すごく楽しい!」
「……まぁ、これも悪くないと思っているよ」
そう言うと彼女は俺に抱き着き、勢いの良さに驚きながら彼女の身体を受け止める。
「ルーくん……。 このまま暮らすんだったらさ、フリじゃなくて、本当の夫婦になりたいな」
少女の顔が、吐息がかかるほどに近くにくる。
頰を撫でた吐息は濡れていて、抱きしめている身体は女性らしさの丸みもあるけれど、細く華奢だ。 少女の良い匂いがする。
白い肌と、伸びてきた金の髪。 蒼い目は俺を見て甘えるように潤まされていた。
ごくり。 そういつの間にか喉を鳴らしていたのを感じる。
「愛してるよ、ルーくん……」
彼女の唇がゆっくりと近づき、彼女の大きな目が閉じられる。
触れる、そう思った瞬間のことだった。 身体の内側から震わせるような爆発音が彼女の後ろから聞こえる。
火柱と熱風が巻き起こり、突然のことに彼女を抱きしめて防ごうとするが、まだ遠かったらしくこちらに被害はない。
遠くの場所、地面ではなく空に黒く巨大な穴が空いているのが見える。 一瞬、騎士に居場所がバレたのかと思ったが、そういうことでもないのか、街中に大きな被害が出ているのが分かる。
「何が起きたの!?」
「分からん! だが、逃げるぞ!」
巨大な穴から火の玉が出たのか? そう思ってそれを背に走っていると、足元に地響きが伝ってくる。
まるで、巨大な生物が近くを歩いているような……。 その予感は的中していた。
逃げ惑う人の向かう先と反対方向に、紅い目、身体を覆う鱗、爬虫類らしい顔つき、ここからでも感じられる手足の火炎……。
「龍……」
街の人の一人が言った。 家よりも遥かに巨大な龍、暴れ狂い火を吐くそれは、翼こそないものの伝説の中の魔物と同一のものであることが、言われるまでもなく分かる。
「高級魔物……いや、あの大きさは……超級か……」
何にせよ、人間の相手に出来るものではない。
何故現れたのか、どこからきたのか、どうやったのかも分からないが逃げるしかなかった。
少女の手を握って、全力で駆ける。 あんな化け物に勝てるはずがない。




