吸血鬼化
道を歩く。 夜だと言うのによく見えるのは、極度の緊張で感覚が鋭敏になっているからだろうか。
ひたすら歩き続けようとしたところで、後ろから気配がする。
虎のような魔物が息を荒げながら近づいて来ていた。
剣を握り締め、アロを濡れた地面に降ろす。
何度も剣を振る体力はない。 一撃で確実に仕留める必要があることを思えば出来ることは少ない。
虎のような魔物が俺の首を噛み付こうとしたところを一歩前に出ることで躱すまではいかないが噛み付かれることはない。
勢いよく押し倒されながらその首に剣を突き刺した。
それでもまだ動くのは、俺が魔力だけを動かして陽光を蹴ったように魔力を動かしているからであることが分かる。 肩に爪が刺さり抉れる。
抵抗する体力はなく、頭を噛み付こうと大口を開ける虎の顔が近づいてきて、突如動きが終わって倒れる。 そのまま倒れたせいでのしかかられたままだが必死に抜け出す。
もう一度アロを背負っていこうとして、喉が鳴る。 あまりに喉が渇いていた。
鼻が勝手に匂いを嗅ぎ、目が地面で溜まっている魔物の血液を見詰める。
旨そうだ。 深く考えずに魔物の首から漏れている血液を直接啜る。 焼くなり他のものと混ぜるなりとしていない生の血液を飲んだは初めてだったが……旨い。
鉄臭さは不思議と気にならず、飢えと渇きが同時に満たされていき身体が充足していくような感覚。
必死になって喉を鳴らして飲み込んでいき、腹が膨れたのでアロを背負って歩き出す。
肩からの出血が酷く、 折れた手や腕が痛む。 朦朧とした意識をすんでのところで手放さず、フラフラとひたすら歩く。
魔物が現れればアロを下ろして怪我と引き換えに撃破して進む。
遠くに村が見える。 必死になって歩くが辿り着かず、血が足りないせいか体力が尽きたのか、倒れてしまう。 脚が動かないが折れた手で地面を這って進む。
痛みや苦しさはもうなく、動かせるか動かせないかだ。
身体はまだ一部動く。 地面に這いつくばりながら折れた手をついて少しでも身体を動かす。村へと辿り着くが、もう身体が動かない。声も出ない。
誰か、助けてくれ。 助けてくれ、アロを……。
小さな足音が聞こえた。 身体が軽くなり、少ししてから引き摺られる感覚。
「……変なの拾っちゃったかも」
そんな女性の声を耳にして、意識を失った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
目が醒めると身体の痛みがなくなっていた。 今度こそ死んだかと思ったが、そうではないらしく、知らない部屋で全身に包帯を巻かれていた。
横を見れば別のベッドにアロが寝かされており、耳を澄ませば息をしているのも聞こえる。
「……助かったのか」
アロはまだしも俺は死んだかと思ったが、案外人の体は丈夫らしい。 窓から外を見れば夕暮れらしく日が赤くなっていた。
「あっ、目、覚めたんだ。 怪我が酷い方が先に起きたのはちょっとびっくり」
「……ああ、お前は……助けてくれたのか」
茶色い長い髪を束ねた女性が粥のようなものを用意してくれていたらしく、暖かい湯気が出ている皿を俺に手渡した。
「そうそう、めっちゃくちゃ大変だったんだよ。 重いし冷たいしで、部屋も血だらけだしね」
「……悪い」
「いや、和まそうと言っただけだから気にしないで。 ……ところで、物取りとかじゃないよね? 子供連れだし。 あっ、それ食べてね」
「ああ、違う。 魔物と戦ってこのザマだ」
あの陽光も魔物なのでこの言葉に嘘はないだろう。 粥を食おうにも手が折れているので食べられないと思って手を女性に見せようとして、指が動くことに気がつく。
折れていない? 確かに無茶苦茶に曲がっていたはずだが……。
「治癒魔法のようなものを受けたのか?」
「えっ、いや、そんなのないない。 こんな田舎の村に治癒魔法の使える司祭様なんてこないよ」
「……じゃあこれは……」
「どうかしたの? あっ、ちょっと用事があるからお粥食べてゆっくりしててね。 自己紹介とかはまた後でー!」
ベッドの横に置かれた机に水が置かれて、女性はパタパタと歩きながら去っていく。
一人になったところで虎に抉られた肩を触り、痛みがなくほとんど傷が残っていないことや、全身がほとんど痛くないことに気がつく。 治りきっていないところも多くあるが、それでも一日もないような時間で治るにはあまりにも早すぎる。
どうなっているか、身体を確かめる術はないので早々に諦めて水を少し飲む。
ベッドから降りて、隣のアロのベッドの元に移動して、身体を起こさせる。 コップから水を口に含み、彼女の唇に口をあてがって、喉の奥に流しこまさせる。
息はしているが、目を覚まさないのはどうしてだろうか。 恐ろしい想像から目を逸らし、餓えや渇くことがないようにする必要があった。 粥を口に含み唇を重ねて飲ませようとし──、ゴホッ、とアロが咳き込む。
焦って気管に入れてしまったかと思っていると、アロの背を支えていた腕が軽くなり、俺の舌で抑えていたアロの舌がピクリと動く。
ごくんとアロの喉が鳴って、彼女の目がパチクリと動く。
重ねていた唇がふるふると動いて、口の中の粥が押し返されて唇が離れる。
彼女の喉がもう一度鳴って、俺も粥を飲み込む。
「えっ、あっ……えっ、ベルクさん、その……何を……」
徐々に顔を赤くしていく少女は状況が理解出来ないというようにパチパチと目を動かして、先程まで深く重ねていた唇を手で撫でる。
急に今までしていたことの異常さを思い出し、言葉が詰まり、顔に血が集まってくる。
「い、いや、違うからな。 妙なことをしていたのではなく、意識のないアロが飢えて死なないようにしただけだっ!」
こんな必死になっていたら逆に怪しいだろう。 けれどアロは疑っていないのか……というか、そう言う事にしなければ頭の中が保たないといった様子で真っ赤なままの顔を上下に振る。
「そ、そうですよね。 ベルクさんがそんなことするはず……。 ……えっ」
「本当に気にするなよ。 ……本当に起きてよかった。 ここは多分近くの村で助けてもらった。 俺も目を覚ましたところだったが」
アロに水と粥を勧めようとしたが、アロはそれを受け取ろうとせずに俺の方をじっと見つめていた。
「……どうした。 早く食べた方がいい。 体力が落ちる」
「べ、ベルクさんの、目が……」
「……目?」
軽く手を当ててみるが、おかしな感覚はない。 むしろよく見えるぐらいだ。
「普通だと思うが……」
「紅い……です。 黒じゃなくて、紅い……」
「……充血でもしているのか?」
そう言いながら窓に近づくと、チリと妙な痛みが皮膚に感じる。 まだ治っていないのかと思って窓を見れば、そのガラスは室内を反射して俺の顔を薄らと映していた。
予想していた充血はほとんどなく、だが、紅色が見えた。 黒かったはずの黒目が、紅い。 夕日の色が混ざったのかと思って目を凝らすが間違いなく紅い。
まるで、レイや陽光のような……紅い目。
「は……これは、どういう……」
肌の痛みが耐え難いものになり下がる。 途端に楽になり、その事実が知りたくもない結論に近づける。
殺されると思った時に、陽光が殺す代わりに俺に注ぎ込んだ何か。 田舎者で詳しくない俺でも知っていた吸血鬼の特徴……。
自身の血液を分け与えることで、吸血鬼化させる。
注ぎ込まれた何かは毒だと思っていたが、そうではなく……。
「……あれは、陽光の血だったのか?」
酷く渇く喉、窓に映る紅い目、陽に当たると痛む肌……忌避感もなく啜った魔物の血液。
アロが小さな声で言う。
「……ベルクさんが……吸血鬼に、なってます」
それはあまりに信じがたい事実だった。




