迷いの森探索2
夕食を食べ終えたとき、一眠りしようとしていた少女が眠らずに俺を見ていた。
どうにも寂しそうに見えたので、蔦を結っている場所を変えて彼女の隣で作業をする。
月明かりも木に遮られているが最低限の光はある。 ほとんど使い捨ての縄を作っていると、少女の手が布から出て俺の服の裾を掴んだ。
「どうかしたか?」
「……いえ、あなたのこと、初めて聞いたなって……」
俺のこと? そう思っていると少女は続ける。
「猟師をしていたって」
「ああ、そんなことか。 田舎の方で父の畑を手伝いながら、暇があれば山に行っていた」
「だから、色々慣れてるんですね」
「そうだな。 ……よく考えてみれば、互いの名前すら知らないのか」
何が彼女の心を傷つけたのかが分からなかったため、意図的に話題を避けていたのもあるが、名前すら避けていたのはやりすぎだったか。
少女は俺の服を引き、怯えるような緊張を孕んだ声を出す。
「もし……良ければ……断ってもらってもいいのですけど……」
そんなあまりにも大仰な前置きのあと、少女はあまりに当然のことを言った。
「あなたの、お名前を教えていただけませんか?」
出会って、共に暮らし始めてから2ヶ月ほど。 あまりに時間を掛けてしまった。
「ベルクだ。 ベルク=フラン。 お前は?」
「アロクル=オートダイ……です」
服の裾が強く握られていて、初めて彼女の少女らしいところを見た気がする。
今更ながら、知り合いと呼べる仲になったのか。
「オートダイか。 ……これからはそう呼ぶ」
縄を結うのを止めてしまっていた手を握られて、弱々しく少女は喉を震わせる。
「僕の父母は……アロ、と呼んでくれていました」
縋るような目から目を逸らす。
「俺はお前の父にも母にもなってやれない」
少女の表情は分からない。 握っていた手が怯えたように弱い力になって、震えた息を聞く。
すみません。 と謝る声を他所に続ける。
「……だが、呼びやすいから、そう呼ばせてもらう。 アロ」
「はい。 ベルクさん……」
少しだけ嬉しそうな声を聞いて、彼女も年相応の少女であることを知る。 少し、小さい頃のニムを思い出し、誤魔化すようにアロの頭を撫でた。
「寝ておけ、体が保たなくなる」
「はい……。 んぅ、一時間もしたら、交代してくださいね」
「縄を結い終えたら起こす」
少女の寝息と安心したような表情を見て、少し後悔の念を覚えてしまう。 アロは忘れたくないと言っていたが、こんな復讐のためのことに人生を費やさずにいれば、いつかは分からないが忘れることも出来たことだろう。
育ちも良ければ頭も良く、幼いながらも器量も良く愛らしい顔立ちをしている。 俺が巻き込まなければ……と思えば、きっと幸せに生きれただろうと分かってしまう。
「……らしくもない」
夜風に溜息を紛らわせる。
ほとんど知らない少女の未来を案じるなど、そんな甘い人間ではなかっただろう。
どうでもいいことだと切り捨てた。 縄を結い終わったが、なんとなく少女を起こす気にはなれずに別の作業をする。 鞣しをしていた毛皮を洗い、適当に干しておく。
木材は柵に出来るほどにはないが、地面に突き刺すぐらいの量はあり、適当に木材を突き刺しておく。 俺が体重を預けても耐えられるほどなので、柵にすれば大凡の魔物は防げるだろう。
朝日が差した頃に少女が目覚め、俺の方を見て「むっ」と表情を歪める。
「……起こして、と言いました」
「一度に寝たほうが疲れも取れるだろ。 俺の方が夜目も効くから夜中には俺が起きていた方がいい」
「……そうかもしれませんけど」
「魔物が来るか朝飯が出来たら起こしてくれ、アロ」
彼女の名前を言えば、怒っていた態度が軟化して、少し困ったような表情に変わる。
彼女が寝ていたところに入り込むと、草木の匂いに紛れて少女の匂いがして、温度も幾分か暖かい。
しばらく目を閉じていると、焼けた肉の匂いがして起きる。
「……食ったらまた寝る」
「はい。 ……あの……寝ている間、近くにいてもいいですか?」
アロの言葉を聞き、ダメだとも言えずに食事を済ませた後、布に包まって目を閉じる。 近くに少女の気配が感じられ、それを払いのけることが出来なかった。
近くに寄るな、そう言ってやった方が幾分か優しい行動だろう。
所詮、俺はこいつの命よりもニムの手間が減ることをを優先する程度の思いしか、こいつにやっていないのだ。
「……ベルクさんは、ご家族はいますか?」
「父親だけだ」
「……そうですか」
「いない方が良かったか」
少女はびくりと身体を震わせて「なんで……」と尋ねる。 図星だったのだろう。
「どうせ家族のようになりたいとか、考えているのだと思ってな」
「……すみません」
「拠り所が欲しいというのは理解出来る」
「……浅はかでした。 いえ、浅はかです」
今もそう思っている。 と少女は言うが……俺と親しくはならない方がいいだろう。 親しさとはしがらみの一つだ。
少女が不幸を忘れることが出来なくなる理由に俺がなることになってしまう。
俺と同じ方を向いているせいで、不幸を忘れられなくなってしまえば、それは俺が不幸にしているのと何が違うのか。
「……」
俺の近くにいる彼女を振り払うことが出来ない。 それは少女への甘さなのか……あるいは。
自身の思いに気が付き、目を開けて近寄っていた少女の手を掴む。
「懐くな。 俺はお前と親しくなりたいとは思わない」
「……すみません」
自身の勝手さにほとほと呆れがくる。 昔のニムに似ているから振り払えないなど、彼女をニムの代わりに思っているだけだ。
情けなく、女々しい。 ニムと上手くいかなかったから、こいつとやり直そうとでも考えているのか。 あまりに……許しがたい。
光が入って寝にくいと寝返ると、少女の紅い目がすぐ近くにまで来ていた。
「寄るなと、聞こえなかったか」
「……ベルクさんが、辛そうでしたから」
「お前がどうにか出来る事ではない」
俺がそういうと、彼女はふるふると首を横に振り、俺の手を握った。
「聞くつもりは、ありません。 ただ……隣にいたら、落ち着くかな、と」
そちらの方が余程不快だ。 それ以上に、それで落ち着く自分が不快で、女々しさが増していく。
「……アロ、俺はろくな奴じゃない」
「ちゃんとした人だなんて、一度も思ったことがないです。 酔いつぶれて、そのまま子供の僕の家に転がり込んでるんですから」
「……お前のことを利用しているだけだ」
「僕もベルクさんを利用しているだけですよ」
少女は珍しくクスクスと笑って、俺の頰を突いて遊ぶように弄る。
「利用するって、罪悪感を覚えてくれているんですね。 少しでも大切に思ってくれていて、申し訳ないぐらいです」
見透かしたような言葉。 邪険にすることもできずに、少女に背を向けて目を閉じる。
こんな子供に慰められ、絆されるなど……あまりに情けない。
しばらくして目覚め、木材を集めてきて、その日の内に塀を作り、アロは一帯の魔力を魔力庫に込めて魔物が来にくいであろうように作り変えていく。
ついでに柵も少し改良して風も来にくくする。 柵を越えるためには壊す必要が出来たので、これで夜になることが出来るだろう。
物音がしたら起きなければならないので深くは眠れないが。
「明日から、異界探索ですね」
「ああ、気を引き締めろよ」




