幼馴染が勇者だった
隣に幼馴染の少女、ニムがいることはあまりにも当然のことだった。
今までもその通りで、これからもずっと隣にいるものだと思っており、片田舎で若者も多くない上に仲も良い。
なんとなくズルズルと関係が続いた後、適当に結婚したりすることになるのだろうとも、薄らぼんやりと考えていた。
それがただの幻想だったのだと理解するのには──彼女がいなくなって──長い時間を必要とした。
それでも、理解は出来ても納得は出来ない。
今も、おそらくこれからも。 隣に愛しい少女がいないことなど、認められるはずもなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
俺が親の畑仕事の手伝いをサボって、村外れの森に足を踏み入れようとしたとき、ぱきり、と小枝が折れる音が聞こえて振り返る。
数十メートル先に見える巨岩ぐらいしか視線の遮蔽物になるものはなく、丁度音がしたのもその辺りだったように思い、そこに向かってみると岩の陰に一人の少女が隠れていた。
「着いてくるなといっただろ」
「えへへ。 ベルくんを連れ戻してきてって、おじちゃんに頼まれてたから」
同い年の少女であり、村の幼馴染であるニムは誤魔化すように頰を掻きながら言い訳を口にする。
少女の格好はいつものような大人しい村娘のようなものではなく、森に入ることに向いていそうな肌を厚い布で覆っているもので、腰には鉈を一つと短刀を二本刺していた。
隠す気もないような森へと入ることを前提とした服装。 隠れていたこともあり、あからさまに俺に着いて入るつもりのものである。
帰るつもりはなさそうだと諦めて、彼女の金色の髪の毛を撫でる。 昔は長かった髪は短く切り揃えられていて、ニムの並々ならない森への執着心が垣間見えた。
「ニムは女なのに、本当に狩りが好きだな。 毎日着いてきて」
ものがたりの美姫のような細くしなやかな金糸の髪も、バッサリと切ってしまってまでだ。
長い髪だった頭を懐かしく思いながら撫でていると、目を細めたニムが心地よさそうにして首をかしげる。
「ベルくんは長い方が好きだった?」
「ニムの髪なんてどっちでもいい。 森は魔物が多いから、気をつけろよ」
不満げに頷いた彼女を背にして森の中に入る。
木々に光を遮られて鬱蒼とした森は、ほとんど毎日入っているので俺にとっては家とさほど変わらない。 俺よりも頻度が低いと言っても、度々通っているニムにとっても同様だろう。
そのニムがすんすんと鼻を鳴らして、幼い顔を疑問に悩ませて小首を傾げる。
「焦げた匂いがする」
「焦げ?」
俺には感じられないが、彼女が変なことを言うとも思えない。 この森の中の魔物で火を使うものは見たことがなく、村の人が意味もなく入るとも思えない。
森に用事があっても、いつもならニムを通して俺に頼むだろう。
「別のところの魔物が入ってきた……。 いや、近隣にはいないから違うか。
人だろうけれど、この森を通るようなところから来た奴か……」
「王都から行商人でもきたのかな? お菓子売ってたら買ってね」
「自分で買って食え。 ……一応、盗賊の類かもしれないから警戒するか。 どの方向にあるかは分かるか?」
方向だけ聞いてニムを帰してから行こうかとも思ったが、一人で帰らせるのも不安だ。
狩りをするときのように足音や痕跡を出さないようにゆっくりと進んでいるうちに、俺にも匂いが感じられるようになってきた。
そこに向かえば、当然ながら既に人の気配はなく野営の痕跡だけが残っていた。
「……結構な人数だね」
「勝てそうにないな」
「ベルくんはなんで戦う気満々なの……」
もしもの話だ。
規模は15〜20ぐらいか、草や土を踏んだ足跡から分かる方向は、王都がある方から俺たちの村がある方へと向かっていることぐらいだ。
装備が重いのか、足跡が若干深いように思える。
「行商人じゃなさそうだね」
「こんな森の中通る馬鹿な商人は珍しいな」
「盗賊じゃないよね」
「……どうだろうな」
武装集団であることは間違いなさそうだ。魔物を狩る冒険者か、村を襲いにきた盗賊か、遠征にきた兵士団か……。
少し歩けば村があるのにここで野営をしていることを思うと、土地勘のある冒険者ではないだろう。
盗賊にしては迂闊だが……。
野営の痕跡を見れば、おそらく数時間前には出ている。 何者にせよ村に着いた頃だろう。
「ベルくん……」
ニムが俺の服の袖を引く。 急いで戻った方がいいかもしれないと思ったところで、自分の迂闊さに気がつく。
「ッ! 長く留まり過ぎたか」
人が呼気と共に吐き出す魔力。 人類の敵である魔物の多くはそれを探知して襲うために向かってくる習性がある。
魔物にとっては魔力が豊富で、その割に弱いものが多い人間は格好の餌だからだ。
何者かが留まっていたことで残留していた魔力を辿って魔物が近くにやってきていたのだろう。
俺の倍は背丈のある巨熊。 背に掛けていた剣を鞘から抜き放ち、ニムに指示を出す。
「後方を警戒しながら目を閉じて下がれ、一気に畳み掛ける。 トドメは頼む」
巨熊の魔物が腕を振り被る。 低級と評されている魔物であろうと、人間という貧弱な種族では何があろうと力負けする。
人間を超えたような英雄と呼ばれるもの達ならば力押しでも勝てるらしいが、運命に選ばれていない俺では一瞬の拮抗もあり得ない。
ゆえに、扱うのはせせこましい小細工ばかりだ。
魔物化した木であるトレントの木材から作り出した紙、それは染料に使った魔物の血液により紅く染まっており、その上から魔石などを使って作ったインクによって黒い紋様が書いて、やっと完成する。
手作りの魔術符。 それを投げナイフに貼り付けて熊の顔へと投擲した。
「符術【携帯する太陽】」
目を閉じて手で覆っても腕を透けて感じる光量。 熊の叫びを聞きながら、続けて符を熊の足の間を通すように投擲。
「符術【幻影を見る】」
目を潰された魔物が次に頼るのは音と魔力の位置だ。 二つ目の符はただゆっくりと符の中の魔力を垂れ流すだけの物で、目が見えない熊はそれを人だと思って振り返る。
最後に三つの符を投げて空中で発動させ、それと共に熊へと駆ける。
「符術【空を切り離す】。 ニム、頼んだぞ」
「任された!」
符の位置に透明なガラス板のようなものが生み出され、それを足場にしてニムが空中を駆けていく。 彼女は鉈を取り出し、大きく振りかぶった。
先に、近くから足場の良い地面を走っていた俺よりも早くにニムが熊の後頭部へと辿り着き、鉈を大きく振るう。
「ごめんね」
後頭部を殴打された巨熊の身体が揺れ、落ちてくるニムの身体を受け止めると同時に、片手で剣を振るって熊の脚の毛を切り払い、返す刃でもう一度斬りながらニムを地面に下ろす。
俺が獣毛を切り払ったところに鉈を振るい、突き刺さった鉈に俺が蹴りを入れて無理矢理に熊の健を断ち切る。
倒れてくる熊の首に、その体重を利用して突き刺し、ニムが詠唱をする時間を稼ぐ。
「永遠よりも貴きもの、まばたきと共に失せる魂、紅き熱よ、その生命を燃やして我が敵を穿て【熱火槍】」
ニムが放った魔法、巨大な火の槍が熊の顔を焼き、それがトドメとなり熊の動きが止まる。
時間はかかるものの、相変わらず化け物じみている威力に思わず頰を引きつらせながら、ニムを見る。
怪我もないのか鉈の血を放っている彼女の姿を見て、怪我はなかったと安心して声を掛けた。
「急ごう。 お前の方が足が速いのは知っているが、俺が先行する」
剣の血を払ってから、大鉈を腰から取り出して、村の方向へと走る。
「ベルくんは過保護だね」
走りながら邪魔になりそうな木の枝を斬り飛ばしておく。 ニムはそう言いながらも嫌そうではなく、照れたように小さく笑う。
正直なところ凡夫の俺よりも遥かに優秀なので、気を使ってやる必要もないのかもしれないが……昔から妹分のようなものだった癖は抜けない。
最短距離で突き進み、森から出て村へ向かう。 遠目で見るが、あまり何かがあったようには見えずに安心して走る速度を落とそうとして、違和感に気がつく。
「大丈夫そうだね」
「……いや、この時間なのにおっさんがいないのはおかしいな。 よほどのことがあったんじゃないか」
「確かにお父さんはいっつもいるけど……」
警戒して入り口に直接向かわず、柵に覆われた村の側面に回り込んで、柵の隙間から中を見る。
血の匂いや悲鳴は聞こえないが、少し騒がしい。 覗き込んだ奥に見えたのは、見慣れない銀色の鎧。
掲げられている紋章を見るに国軍らしい。聞き伝えした物よりも軽装だが、間違いはなさそうだ。
「問題なさそうだね、良かった」
ニムはそう言って、にへにへと笑みを浮かべる。 大丈夫なら巨熊から色々と持ってきたら良かったな。
まぁ後で取りに行けばいいか。 質は落ちるがまだまだ皮も肉も使える。
そう思いながら入り口に戻り中に入ろうとしたところに、村の中よりも多くの騎士が入り口に立っていた。
こんな辺境の村に何の用があったのか。 そう疑問に思っている最中、彼等が一斉に傅く。
彼等が見たものは……俺の後ろにひっついている、ニムの姿だった。
他の騎士よりも華美な格好をした騎士が村の奥から向かってきて、ニムの顔を見て、大きく頭を下げる。 その尋常ではない状況にニムは逃げるように俺の背に隠れ、俺は騎士の男に無理矢理引っ張られてその場を退かされた。
「べ、ベルくん!」
騎士とニムが対面して、頭を下げてもまだニムよりも遥かに背の高い彼が口を開く。
「お目にかかれ、こうしてお迎えに上がることが出来て光栄です」
まるで、貴人に対する態度のようだった。
一介のおてんばな村娘に対するものではない。 勘違いかと思うが、村で話しているだろうし、今の彼女の姿を貴人のものと見紛えるはずもない。
慌てるニムを助けに行こうとしたところ、数人がかりで他の騎士に押さえつけられる。 まるで話すことさえ許されないように。
「ニムシャ=ブレイブード様。 いえ──救世の勇者様」
間違えるはずもない彼女の名前。 続く……御伽噺のような言葉。
「勇者……?」
少女の戸惑った声が、嫌に静かな村に響いた。