冬の恋姫
むかし、むかし。
ここは、生活もそこそこで、文化もそこそこの、とある国。
汚いわけでもなく、しかし綺麗なわけでもない、そんな国。
ふつう。
と、言い表すのが一番良いでしょう、そんな国です。
そんな普通の国が、あれあれどうしてでしょう、四季それぞれの美しさは世界一とも言われているのです。
どうしてでしょう。
それには、代々国の王としてこの国を支配するルシフェルト家の、四人の王女が大きく関わっているのです。
彼女たちの名前は、それぞれネメシア、ダリア、ルクリア、カトレアといいました。
彼女たちはそれぞれ、この国における【春】、【夏】、【秋】、【冬】を司っていました。そしてまた、英知と美貌を持ち、民から絶大な信頼を得ていました。
しかし、今年はなんと。
いつになっても。いつになっても。冬が過ぎ去らないのです。
例年ならば、四月から六月まで、七月から九月まで、十月から十二月まで、そして一月から三月までの時期を分担し合い、春夏秋冬それぞれの王女がお城に住むことで、この国の季節は成り立っておりました。
しかし、今年は、冬のお姫様――カトレア様が、一向に城から出て来られないというのです。
そして、それだけでなく、春のお姫様であるネメシア様も、お城に向かおうとしないのです。
これには、民たちも騒ぎ出しました。
当然です。
このままカトレア様が出てこなければ、ずっと寒い冬が続くのです。
ネメシア様がお城に入らなければ、春は訪れないのですから。
それは耐えられません。
そこで、とうとう、王様はおふれを出しました。
いわく、【冬の女王を春の女王と交替させた者には好きな褒美を取らせよう。ただし、冬の女王が次に廻って来られなくなる方法は認めない。季節を廻らせることを妨げてはならない。】と。
「おい、見てみろよ。これ」
「なんだなんだ。……ほう、好きな褒美をとな」
「俺はやるぞ!」
「馬鹿者、私に決まっておろう!」
このおふれを見た、我こそはという民たちは、様々な方法でカトレア様をお城の外に連れ出そうと考えました。
しかし、誰もがカトレア様のお部屋の前で門前払いを受け、お城に入ることすら許されませんでした。
カトレア様の機嫌を損ねてしまった者など、お部屋の入口で全身が氷漬けになっていたというのです。
これには、民は諦めるしかありません。
どんな方法を用いても――物で釣ろうとしても、懇願しても――声すら聞くことができないのですから。
その知らせを聞いた、王様の召使いである一人の少年は、いよいよ尻込みしてしまいました。
「本当は僕だって行きたかった。けれども、これでは……」
彼は、冬のお姫様であるカトレア様に想いを寄せていたのです。決して叶うことのない、片想いでした。
そこで彼は、せめてカトレア様がどうなさっているのかだけでも知りたく思い、春、夏、秋のお姫様の元を訪ねました。彼女たちは本来、年の始まりに四人一同が同じ家に集まるのですが、その家こそが、彼女たちが普段住んでいる家なのでした。
「こんにちは。失礼します」
召使いの彼は、たいそう働き者であり、また明るい正確であったため、城の誰からも好かれておりました。
ですから、三人のお姫様も、笑顔で迎えたそうです。
「こんにちは、アル。どうぞ、入って」
春のお姫様、ネメシア様が迎えました。
「あっ、ルールーだーっ!! ねぇねぇ、お菓子ちょーだい!」
夏のお姫様、ダリア様はすかさずアルのズボンのポケットに手を突っ込み、お菓子を掴み取っていました。
「……ダリア、さすがにそれはどうかと思うけど……ごめんね、アルくん」
秋のお姫様、ルクリア様は、なんとアルの分まで紅茶を用意してくださったのでした。
アルは三人のお出迎えを嬉しく思いながら、椅子に腰掛けて、紅茶を一口飲みます。
とても美味しく、今まで彼が飲んだことがないといっても過言でないほどのそれを、アルはたいそう感動して頂きました。
「あ、あの。お話をよろしいでしょうか」
「ええ」
アルの問いには、春のお姫様であるネメシア様が短く応答しました。
「今、カトレア様はどうなさっているのでしょう……?」
彼の疑問には、しかし誰もが首を振るばかりです。
「ちなみに言っておきますけれど、わたくし、一度お城には行っていますの」
ネメシア様がやれやれといった様子で答えます。
「そうだね! ネーネーが行った時にはもうカーカーは引きこもっちゃってたもんね」
夏のお姫様であるダリア様が天真爛漫に答えます。なるほど、今年初めてネメシア様がカトレア様のお城を訪れた時には、既に引きこもっていたそうです。
「そうねぇ。あの子、すごくクールだから、何を考えているのか、私でもわからないことがあるもの」
誰にでも慎ましやかな笑顔で接する秋のお姫様、ルクリア様が仰るのですから、本当なのでしょう。
「でもね」
少し違う声音で話を切り出したのは、秋のお姫様であるルクリア様でした。
「多分だけど、あの子はアルくんを待っていると思うの」
この言葉には、アルも驚きました。
予想もしない人物、すなわち自分のことを待っているとは、思いもしなかったからです。
「アル。あなた以前、カトレアに使えていたでしょう? その頃のあなたが、カトレアは今でも忘れられないの。……ついてきて?」
そういって、ルクリア様は、階段のほうへと手招きします。
なんだかアルの後ろで、夏のお姫様であるダリア様はきょとんと首を傾げて、春のお姫様であるネメシア様に「カーカーってルールーのこと待ってるの―?」と訪ねます。
ネメシア様は少し困った様子で、「知らないですわ」と答えます。
カトレア様のお部屋の扉を開けると、そこには質素な空間が広がるばかりでした。
とても王女のお部屋だとは思えません。
机と、ベッドと、そして大量の本が収まった本棚があるのみ。
部屋の中は綺麗に整頓されていましたが、しかし、机の上に一冊の本が置きっぱなしになっていました。
秋のお姫様であるルクリア様は、「こっちよ」と部屋の中にアルを招きます。
そして、ルクリア様は机の上にある本を手に取りました。よく見ると、それは本ではなく、日記のようでした。
「読んでみて」と言うルクリア様には逆らえず、アルはページをぱらぱらとめくります。
ついてきていた夏のお姫様ダリア様と、春のお姫様ネメシア様も、興味深く覗き込もうとすると、「うふふ、だめだよ」とルクリア様から止められてしまいます。
アルが開いた日記には、去年のものでしょうか。カトレア様の美しい字で、
「九月十三日 晴れ 今日はアルが来てくれた。嬉しい」
「十月一日 曇り 今日はアルが来てくれなかった。今は秋だから、ルクリアのところかな。寂しい」
「十一月二十一日 晴れ もう少しで私の番。アルは来てくれるかな」
【アル】という単語を見ない日は、ほとんどありませんでした。
「……ねっ?」
と、横で美しく微笑む秋のお姫様のルクリア様に、これにはさすがのアルもたまらず「わかりました」と言うしかありませんでした。
「なによ、ルクリア。いい加減教えてくれてもいいのではなくて?」
「そーだよリーリー。ずるいよっ」
春のお姫様、ネメシア様と、夏のお姫様ダリア様からの言葉に、ルクリア様は笑いながらアルに「日記を見せてあげて」と言います。
アルは自分が見ていたページを開いたまま、二人に「どうぞ」と手渡します。
「あらあら」
「わーっ、カーカーすごい! ベタ惚れ? ってやつだね!」
ひとしきり日記を見たあと、春のお姫様ネメシア様は丁寧に丁寧に、もとあったところに日記を戻しました。
そして、秋のお姫様、ルクリア様は言います。
「今すぐ。今すぐに、アルはその身一つでカトレアのところまで行ってきなさい。……あなたもまた、カトレアのことが好きなのでしょう?」
「な、なんでそれを!?」
アルはいつもの敬語も忘れ、狼狽してしまいます。
当然です、なぜならば彼はカトレア様への想いをずっと心の奥に閉じ込めてきたのですから。
「知っているわ。あなたのカトレアを見る目が私たちとは違っていたこと」
「うぅ……」
本来、召使いには色恋沙汰など許されないというのが、お城における暗黙の了解でもありました。
恋などしていては、王の身の回りのお世話をする仕事など務まらないからです。
「いいのよ。正直になって」
「別に良いですわ。想いを伝えられないというほうが、間違っていましてよ」
「二人が両想いだっていうなら、ダリアたちは応援するよ~!」
秋、春、夏のお姫様たちは、それぞれ賛成してくださいました。
これには、アルも大喜びです。
恋愛、それも、かねてよりお慕いしていたお姫様との恋が許されるとは、彼は思っていなかったのですから。
「早く行ってきなさい、アル。このままでは、二度と春が見れなくなってしまうから」
秋のお姫様、ルクリア様は言います。
のんびりしていられるわけでもありません。こうして談笑しているいまも、冬はより一層深くなっているのですから。
アルはいてもたってもいられなくなって、三つの季節のお姫様にお礼を伝えると、すぐにカトレア様のもとへ向かいました。
愛を伝えるために。
お城についてみると、強烈な寒さがアルを襲いました。
本当にこのままでは春が訪れなくなってしまう。
そう感じたアルは、城の門番に話を通し、城へ入りカトレア様の部屋へ歩みを進めました。
ほどなくして、カトレア様の部屋の前まで来ました。
目の前にあるは、凍りついている大きな大きな鉄製の、それはそれは頑丈そうな、とてもとてもいかめしい扉。
アルは一瞬怖気づきましたが、しかしすぐに拳をぎゅっと握って、声を出します。
「カトレア様! 僕です、アル・ハーゼス=ルースアリアです! 扉を開けていただいてもよろしいでしょうか……?」
その声が、廊下に響いた瞬間――
凍りついていた扉は一瞬にしてもとの扉に戻り、ひとりでにギイイと大きな音を立てながら開きます。
そしてその先にいたのは、紛れもなく、冬のお姫様であるカトレア様です。
雪のように真っ白い腰まである髪、凛とした赤い瞳、美しさと愛らしさが同居した整った顔立ち、すらりとした体つき。何よりも純白のドレスに、白磁のような白い肌。
どれも、アルが傍でお使えしていた時から何一つ変わっていませんでした。
アルは感極まって、早足にカトレアのところへ歩いていきます。
「アル……!?」
カトレア様も驚いていらっしゃいます。
来るはずのない想い人が、自分のもとを訪れてきてくれたのですから。
「どうして、どうして。アルは来ないって、そう思っていたのに、なんで」
「僭越ながら、春、夏、秋のお姫様たちに、カトレア様の日記を読ませていただきました。そのあとは、いてもたってもいられなくなりまして」
カトレア様は、アルの背中に手を回してぎゅうっと抱きつきます。
アルもカトレア様を抱きしめ返し、そして呟きました。
「……カトレア様。ずっとお慕いしておりました――あなたのことが、大好きです――」
「私も……私もアルのことずっと好きだった――始めて私の部屋に来てくれて、私と一緒に遊んでくれて、私のお洋服をかわいいって言ってくれて――そんなあなたのことが、ずっとずっと好きだったの」
「良ければ、僕とずっと一緒にいてください」
「はい、喜んで」
「ありがとう、ございます――!」
「うん……お城出たら、みんなに謝らなくちゃ……」
「そう、ですね。僕もお供いたします」
「それは、させない……好きな人まで一緒に連れ回すのは……」
「僕が行きたいんですよ。カトレア様のもとへ早く行かなかった僕にも責任はあります」
「ふふ……ばか」
「ばかでも、なんでも。あなた様の傍にいられるのなら」
そのまま二人は強く、いつまでも抱きしめ合っていました。
✩ ✩ ✩
「なぁ、カトレア様がお城を出られたらしいぞ」
一人の憲兵が、ひそひそと友達の憲兵に囁きます。
「なに、それは本当か!」
「あぁ。なんでも一人の男とともに出てきたそうな」
「ほう。して、その男とは」
「それがなんと。あいつだよ、アル。あのほら、一時期カトレアお嬢様に使えていた」
「あのモヤシが! へぇ、そんなこともあるもんなんだなぁ」
「しかも、近いうちに結婚するんだと」
「なに!? そいつぁめでたい。パレードの準備をしなくちゃならんな」
カトレア様は、後世も国史に残る偉大な姫として国の民の間で語り継がれていきます。
【冬の恋姫】と呼ばれて。
そしてその隣には、いつも頼りなさそうな一人の召使いがいたそうな――。
これにて、おしまい。