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僕が子供のときは

作者: 月出穂霧

 僕が子供のときはスマホなんてなかった。あるのは今のガラケーとも程遠い携帯電話で、画面は小さいし、ボタンは多いし、重くて厚くて硬かった。それが最先端だったのなんか、とうの昔だ。

 あと、僕が子供のときはテレビだってこんなに薄くはなかった。テレビの上に置物が置いてあったりして、その下で流れる教育番組とかよく見ていたなぁ。自分より年上の子供がいっぱい出てる番組でお気に入りの人を決めたり、アニメの主題歌を覚えて毎週熱唱したり。それに子供のときは早起きが得意だったから、朝早くにやっている通販番組もよく見ていた。ゴミを残さず吸い取る掃除機とか、何回使っても切れやすい包丁とか、大人が上手く言うもんだから、子供の僕はすぐいろんなものが欲しくなった。

 僕が子供のときは小学校も近かったから歩いて行けた。今じゃスクールバスで通うような所に学校が統合されてしまった。そりゃあひと学年10人前後じゃ少なすぎるよな。でも、今は統合した小学校もそのくらいなんじゃないか。

 そういや小学校といえば、僕が子供のときは1年生で地域の人から動物を借りて一年間育てたりしていた。2年生になったらみんなでバスに乗って野菜の苗を買って、学校の近くの畑で育てて収穫したりしていた。動物は大事に育てているつもりでも死んじゃうのだっていたし、自分で苗から育てた野菜はやっぱり美味しかった。今の小学校でもしているのかな。

 それに、僕が子供のときは地元ももうちょっと活気づいていた気がする。地域別の運動会なんかがあって、大人から子供までみんな参加してとても盛り上がっていた。夏のあの祭りももっとすごかったんだ。朝からそわそわして、友達と神社で神輿が出てくるのをずっと待っていたなぁ。男の人達はみんな昼間っから飲んで酔っ払っていた。怖かった父も酔っ払うと愉快な人だった。大きく回る山車。道路に残った跡。子供を噛むはっこと、はっこを見て泣く子供。今でも思い出すあの光景。実家を離れてからはまだ1回も参加していない。あんなに、おじいちゃんやお父さんみたいに、神輿を担いだり、山車を引いたりしたかったのに。

 あぁ、そうだ。僕が子供のときはおじいちゃんがまだいた。元気に生きていたんだ。元気すぎるほどに。おじいちゃんは、僕にすぐ怒鳴ってたしげんこつを食らわせてたし、僕を外に締め出したことだって何回もあった。でも、おもちゃだって買ってくれた。即席ラーメンだって作ってくれた。運動会で1位取ったときなんかはすごい褒めてくれたなぁ。そして、病気になって入退院を繰り返し、最後に退院して、家で静かに亡くなった。おじいちゃんがいなくなったときも僕は子供だった。

 そして今、僕が子供のときは10歳だった姉も、もう大学を卒業し、25歳の誕生日を迎える。僕が子供のときは朝から晩まで働いていて、ずっと家に居なかった父も、60歳になり定年退職をした。僕が子供のときはどんどん遠ざかっている。それでも思い出せるのだ、あの場所も、あの雨も、あの切なさも。

 僕は、この二度と味わえない過去を抱え、戻りたい衝動を抑え、前を向いて歩く。そしてまた時々振り返る。


「僕が子供のときは…」

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