第49話 サラファ
クレンフルがローブの中に入れていた水で、イズが作った魔力飛行船の小型版に乗り込む。
水の飛行船に触る。イズが出現させた水ではないからか、いつもの触り心地ではない。少し硬い。水の飛行船の中身は操縦するような物はついていない。
「これ、どうやって飛ぶんだ?」
「魔力です。移動するのも魔力です。従って、魔力が切れるとこの飛行船は墜落します」
「そ、そうなのか……」
イズが俺達の命を握っているということだな。
「イズ様、よろしくお願いします!」
「当たり前です」
イズがそう言うと、お尻がふわっと軽くなる。下を向くと地面から離れている。水の飛行船は浮いているようだ。
あー怖い。下を見ただけで足が震えそうだ。下は見ないようにしよう。絶対。
「私は操縦をしているので、他の魔法は使えそうにありません。なので、申し訳ないのですが、今の私は戦力外です」
「僕も水に魔力を注いでいるから、気を抜けないんだ」
「つまりは、戦えるのは俺だけということだな」
「役立たずでごめんね」
「役立たずなんかじゃないだろ!」
「アクトくん、ありがとう」
「口を閉じないと舌を噛みますよ」
イズに言われ、俺とクレンフルは口を閉じる。
「一気に追いつきますよ」
力の入ったイズの声が聞こえたその瞬間、水の飛行船はシーナ達が乗っている飛行船に向かって急上昇する。
早い早い早い早い早い早い……。悲鳴が出そうになるが口を閉じて拳を握り、必死に我慢する。
「くそっ……!」
足が震えてきた。振動で水の飛行船が揺れないか心配する程足が小刻みに震えている。全身の血の気が引いていく感覚に襲われる。
このままでは戦う以前の問題だ。途中リタイアし兼ねない。
駄目だ。駄目だ。サラファを助けないといけない。
「…………!」
突如、頭が痛くなる。
――低い男の声が聞こえて……。
(逃げろ……)
頭が割れる程痛い。
(逃げろ……)
また、あの声だ。正体不明の声。
俺の頭の中で喋る声。
しばらく、聞こえてこなかったのに……。
どうしてこんな時に、聞こえてくるんだ……!
(逃げろ……)
うるせぇ。
(逃げろ……)
うるせぇ。
(サラファ……)
そうだ。俺はサラファを助けるんだ。
サラファを守るんだ。
俺は必ず守るんだ
だから――
「邪魔するなぁぁぁぁぁ!」
大声で叫び、俺の頭の中で煩く呟く声を断ち切るようにチョップをする。
(……ト……)
「ハァ……ハァ……」
(…………)
「ハァ……」
チョップのおかげか、煩い声は聞こえなくなった。
――前にやる気を出すためにサラファにしてもらったチョップを思い出した。震えていた足はもう震えていない。大丈夫だ。
「アクトくん、大丈夫? 怖い?」
「冷静に……」
無表情のイズは低い声で俺に何かを言いかけたが、俺の顔を見ると口元を緩めた。
「……なっているようですね」
今、俺がどのような表情をしているかわからない。だが、気持ちはわかる。逃げない気持ちだ。真っ直ぐな気持ちだ。
大丈夫だ――俺達は、サラファを必ず取り返すことが出来る。
「アクトさん、シーナ達が乗っている飛行船が前方にあります」
前を見ると、俺達が乗っている水の飛行船よりも一回り大きい魔力飛行船が飛んでいる。
炎を出して飛び立った排気口からは煙が出ている。
「接近しますよ」
「あぁ……」
俺達が乗っている水の飛行船は、シーナ達が乗っている魔力飛行船のすぐ隣――もうすぐ衝突しそうな距離まで近づく。
イズが手を上に振ると俺が座っているすぐ横の水の壁に穴が開いた。
イズとクレンフルが俺を見て静かに頷く。
飛行船が壊れかけているのか? 何てそんな馬鹿げた考えはしない。イズとクレンフルが俺をじっと見つめる意味。当然わかっているつもりだ。イズもクレンフルも俺を信頼してくれている。
――俺もその信頼に応えなければならない。
「ありがとう」
サラファを取り戻しに……
「行ってくる」
「油断はしないようにしてください」
「頑張ってね!」
十センチ程の隙間。落ちたら完璧に死ぬ高さ。下は見ない。
シーナ達が乗っている魔力飛行船の上に右足を乗せる。魔力飛行船は上下に揺れている。魔力飛行船に乗せた右足に力を入れる。水の飛行船に残っている左足。左足に羽が生えたようなイメージをしながら思いっ切り飛び跳ねる。
「……っ!」
左足も無事に着地しイメージで取り付けられた左足の羽は取れていく。
丸みのあるフォルムで銀色をした鉄の塊。――魔力飛行船は滑りやすそうな外見とは違って、意外にしっかりと足の裏が張り付いているような感じだ。
だが、ここは空中。風は強いし、鳥が飛んでくるかもしれない。おまけに夜で視界が悪い。唯一の明かりは俺の頭上にある月の光だけだ。……いつ何が起こるか全く予想が出来ない。
「アクトさん、その魔力飛行船に穴を開けるので、気を付けてください」
「あ、あぁ! わかった!」
魔力飛行船の上に水の塊が出現する。水の塊は俺と同じぐらいの大きさで何となく人の拳のような形をしている。俺は水の塊から少し離れた。
水の塊は魔力飛行船の上部をパンチするように打撃した。
――鉄が割れたような鈍い音が響き渡る。
水の塊は上空で弾けて消える。水の塊が打撃した部分を見るとそこには人が二人程入れそうな穴が開いていた。
「イズ……」
操縦していてもこんなことが出来るなんて、やはりイズはすごい。
イズやクレンフルが味方だと心強い。それに、味方がいるあり難さ。ずっと逃げてきた俺には感じることが出来ない感情だ。
穴に近づき、魔力飛行船の中に入ろうとしたその瞬間――
「てめぇ! 何勝手に穴を開けているんだよォ!」
シーナとサラファが魔力飛行船の上に立っていた。シーナは眉間にシワを寄せて腕を組み仁王立ちしている。サラファは縄に縛られたままだ。
「サラファ!」
「アクト!」
サラファの元に駆け寄ろうとしたその時、シーナが魔力飛行船を強く踏みつけた。鉄がへこむような鈍い音が聞こえ立ち止まる。
「おおっと! 近づくんじゃねぇよォ! アタシがてめぇの目の前に出てきたのは感動ごっこをさせるためじゃねぇんだよォ!」
シーナは大きく息を吸う。
次の瞬間、シーナは俺の目の前にいた。
「なっ――」
シーナの拳が俺の顔面を打撃する。もろに当たってしまい後ろによろけてしまう。
「止めるのじゃあ!」
「動くなよクソ幼女! その場から足を一歩でも動かした時点でこのくせぇ男をここから落とすぞォ!」
「ひ、卑怯者じゃ!」
「誰が卑怯者だァ。戦争中コソコソと隠れていたてめぇに言われたくねぇなァ」
シーナは油断をしているのか俺のことは一切見ずにサラファの方を向いている。
完全になめられている。
「くそっ!」
後ろを向いているシーナ。体勢を低くしシーナの横を通り過ぎてサラファの元へ向かおうとする。
俺の耳元で息を吸う音が聞こえたと思うと、背中に重い衝撃。――俺の背中にシーナの足が乗っている。
「てめぇ、アタシを出し抜こうとしていたのかァ? 甘ぇよ。てめぇはアタシには勝てない。いいか。アタシは魔王だ。魔王は特別なんだよ。てめぇみたいにそこらじゅうにいる奴とは違うんだよォ」
シーナは俺の背中を強く踏む。背骨が割れそうな程痛む。
「サラファ……」
俺は諦められない。
背中に乗っている足を掴む。
「てめぇ! また足を掴みやがってェ! さっきと同じように上手くいくと思うんじゃねぇよォ!」
「思ってねぇよ!」
シーナの怒声に対抗するように声を張り上げ、腰と手に力を入れて勢いよく立ち上がる。背中に乗っているシーナの足にも力が入る。
「てめぇぇぇぇ!」
「負けるかよぉぉ!」
掴んでいるシーナの足を右に放り投げるように力任せに手を振った。俺の背中に全体重をかけていたシーナの体は俺の背中から退く。
「……っ!」
シーナは俺の隣で尻もちをつき唖然とした表情をする。シーナは唖然とした表情から般若のような顔に変わりつつ、最終形態になったシーナの表情はまさに地獄を牛耳る大魔王のようになった。要するにとてつもなく激怒している。シーナは顔からマグマを噴出させるのではないかというぐらいに激怒している。
「っざけんなよォォォ! クソ野郎がァァァァァ!」
「お、落ち着くんだ!」
「誰に向かって言ってんだァァァ! コラァァァ!」
「か、可愛い顔が台無しだぞ!」
「な、なんだよ、それ……じゃねぇ! お世辞言ったって容赦しねぇからなァァァァ!」
一瞬、機嫌が直ったような感じがしたがやはり激怒している。
シーナは口を開き大きく息を吸おうとする。またそれだ。さっきからこの仕草をよくしている。この仕草に一瞬で移動する秘密があるのか……? もしそうなら、させてはいけない。
息を吸おうとするシーナの口目掛けて手を伸ばす。シーナはそれに気が付き、すぐに口を閉じた。
「ぐっ……!」
――次の瞬間、俺の腹の上にシーナが跨っていた。
やはり、また魔法を使われてしまった。
シーナは俺の腹に跨り、次々と俺の顔面に打撃を与えてくる。抵抗をしようとしたが、手がシーナの膝に封じられ使えず、身動きが取れない。
口の中に血の味が広がる。生温くて鉄臭い。俺の頬を殴るシーナの拳には俺の血かシーナの血か、はたまた二人ともの血か……わからない血が付着している。
「あともう少しだったのに、残念だったなァ!」
重いパンチだ。だけど、アリーシャのパンチと比べると軽い。
「あと、もう少し?」
「あぁ、そうだァ」
シーナは俺の顔面を殴り続ける。
「シーナ! 止めろ! 止めるんじゃあ!」
「クソ幼女は黙って見とくんだなァ!」
サラファの声が聞こえる。涙が入り混じった声。
――サラファ。
「ハァ……。ハァ……」
「…………」
シーナは疲れてきたのか息を切らしている。それに、殴る力が弱まってきたような気がする。
だが、流石に俺も殴られ疲れてきた。
「……疲れたのか?」
「……っ! んのぐらいで疲れている訳ねぇだろォ!」
シーナは顔を真っ赤にしながら、八重歯を剥きだしにして右の拳を上に振り上げ、俺の顔面を打撃する。魔力飛行船の銀色の機体が血で汚れる。
――意識が朦朧としてきた。
「ハァ、ハァ……。目が遠くなってやがるなァ。あの世が見えてきたかァ!?」
「あぁ、そうだな。俺はもうすぐ死ぬんだな」
「ハッ! 素直で面白ぇじゃねぇかァ!」
「なぁ、地獄への手土産として最後にシーナの魔法の秘密を教えてくれないか?」
シーナの表情が一瞬曇るが、その後すぐに口元に笑みを浮かべた。
シーナは俺の前髪を荒々しく掴むと顔を近づけて口を開いた。
「いいぜェ。最期に素直になった褒美だァ。アタシの魔法は時を止める魔法だ。てめぇももう気付きかけている思うがな、この魔法は息を吸い止めることで発動する魔法。アタシの、東の魔王シーナ様の特別な魔法だァ!」
「そうか……」
俺は静かに顔を上げる。
さようなら――
「ありがとう」
俺の唇とシーナの唇が合わさる。柔らかくしっとりとした感触。シーナの口から小さく上がる悲鳴。息を止められないように、力を入れ閉じているシーナの唇をこじ開ける。
「やめっ……。いれっ、るなァ」
シーナの口内に俺の舌がゆっくりと入っていく。少し粘り気のある唾液が俺の舌に絡みつき離れない。
予想外の出来事にシーナの体は腰が砕けたようで俺の腹からゆっくりと滑り落ちる。俺の手が自由になる。両手でシーナの両頬を掴むように触れて更にしつこく攻め立てた。
シーナの頬は赤く染まり、潤んだ瞳は俺を映す。唇を離すとシーナは力なく俺の腕に体を落とした。倒れたシーナをその場にそっと置き、俺は立ち上がり、サラファの元へと向かう。
――俺のファーストキスよ。
「さようなら!」
短剣でサラファを縛っている縄を切りサラファの体を自由にした。
サラファは顔を真っ赤にして、俺と目を合わせようとしない。
「……ありがとうなのじゃ……」
「あ、あぁ」
何だか機嫌が悪そうなサラファ。
もしかして、さっきのシーナとのやり取りのせいだろうか。
「くそがァァァ!」
シーナの悲鳴のような叫び声のような声が聞こえ、シーナの方を見る。
シーナは涙を流し、手の甲で唇をゴシゴシと拭いている。
「ア、アタシは……アタシは、汚れちまったァ!」
「シーナ……」
「もう、アタシは、耐えられねェ!」
そう言うとシーナは走り出した。だが、シーナが向かっている方向に足の踏み場はない。
「もしかして、自殺するつもりか!?」
シーナを追いかけるためシーナがいる方向へ走る。
――追いつかない。そう思ったその時、シーナは俺の視界から消えた。
「……!」
魔法を使ったのかと思ったが違ったようだ。視界を下げると、うつ伏せに倒れているシーナがいた。どうやらつまずいて転んだみたいだ。
「だ、大丈夫か?」
シーナに手を差し出すがその手はすぐに弾かれた。
「触んじゃねぇよォ! アタシを辱めたクソ野郎がァ!」
「そ、その言い方には語弊があるような……」
「もう、アタシは生きている価値なんて、ねぇんだよォ」
「悪かったよ……」
シーナはとても傷ついているようだ。
そして、女の子をこんな風に泣かせてしまって、俺の心も、とても傷ついている。罪悪感でいっぱいだ。
「だけど、死のうとなんかするなよ」
「何で、てめぇにんなこと言われなきゃいけねぇんだよォ! ほっとけよォ!」
「シーナが死んだら悲しむ人がいるだろ」
「……!」
シーナは目を丸くして俺の方を見る。
「サイ、ネイ、ヨイ……」
「シーナのこと慕っている人がいるんだ。生きよう?」
「…………」
シーナは俺を睨み舌打ちすると立ち上がり、俺の右頬にビンタを一発してきた。大きな音を立てて俺の右頬に痛みがじんわりと広がっていく。
「……今日のところは、これで許してやる」
シーナはそう呟くと、穴が開いたところから魔力飛行船の中に入っていった。
「サラファを返してくれたのか?」
「そういう、ことじゃな」
サラファがゆっくりと俺の方に近づいてくる。
「サラファ……!」
「アクト」
サラファは俺の目の前で立ち止まり微笑み、飛び込むようにして俺の胸に顔を埋めた。温かい。魂のときとは違う温かさ。生きているという温かさだ。
サラファの背中に腕を回そうとしたその瞬間、襟を強く引っ張られた。予期せぬことで反応できず前に倒れていってしまう。
「……!」
温かく柔らかいものが唇に触れてすぐに離れた。
「サラファ……」
「ふぁーすときっすじゃ」
照れたように笑うサラファ。
顔がにやける。
「ファーストキスな」
サラファと手を繋いでイズとクレンフルが待っている水の飛行船に戻る。水の飛行船に戻るとクレンフルが笑顔で向かえてくれた。しかし、イズはじとっとした目で俺を見ていた。
「イズ?」
「まさか、あんな方法でシーナを撃退するとは」
「恥ずかしいから言うなよ」
「褒めているのです」
「アクトくん、色男だね~」
「止めろって!」
「まぁ、それはともかく」
俺とイズとクレンフルは目を合わせ、サラファの方を見る。
「「「サラファ、おかえりなさい!」」」
「ただいまなのじゃ!」
サラファの瞳から涙が流れる。
空を見上げると、真っ暗な中で月が一つだけあった。月の光は水の飛行船の気泡を照らしており、一つ一つが輝く宝石のようでとても綺麗だ。その光はまるで俺達を祝福しているように思えた。




