第28話 逃走すべし
俺の後ろで川に小石が投げ入れられたような音が聞こえ、振り向いた。音を立てた犯人は川の水を汲んでいる女性と子どものだった。それらしき人がいないか周りを見渡すが、今まで平和に暮らしていた俺がわかるはずがない。足元で小さく音がなった。下を向くと俺が踏んでいる草の音だとわかった。風で揺れる木の音や、鳥のさえずりさえにもいちいち体を震えさせられる。
イズの衝撃の告白を受け、俺の神経が過敏になっているのがわかる。
「い、命を狙われているって、もっと早く言えよ……!」
「言い忘れていました」
「何でそんな大切なこと忘れるんだよ!」
「忘れていたので仕方がありません」
涼しい顔をして冷静に答えるイズに対して、俺は全身が赤くなっているだろう。こんなに赤く、暑くなっているのは怒りというよりも、焦りのためだろう。
「何故、命を狙われているのじゃ?」
「命を狙われる理由なんて皆目見当がつきません」
「なんか恨まれるようなことでもしたんじゃないのか?」
自然と敵を作りそうなタイプだし……。
「私はワスレナ村で質素に暮らしていたので、そんなことは断じてありません」
「質素に暮らしているからって恨まれないことはないと思うんだ」
「それでですね。私の右斜め後ろの木の陰にスキンヘッドの男二人いるのがわかりますか?」
イズに言われた方向を目線だけ動かし見た。確かにいる。ガタイのいいガラの悪そうな兄ちゃん達がいる。
「あの人達です。一か月前からずっと、見張られているのです」
「おいおいおいおい……。大丈夫なのかよ」
「たまに銃弾が飛んできます」
「大丈夫じゃないじゃねぇか! 銃弾って、拳銃か!? こんな平和な時代に拳銃を持っている奴らがいるのか!?」
「一部の人は持っていますね。裏ルートということです」
「うぇぇぇぇ」
「私が人と接触したとき、銃弾が飛んでくる確率が高いのです」
「はっ……。つ、つまり?」
「もうすぐ、拳銃を撃ってきますよ」
「に、に、にげ……」
「逃げましょう」
イズとサラファと目を合わした。それが合図だと言わんばかりに俺達は一斉に走り出した。サラファは俺の横に並んで浮いている。
走りながら後ろを振り返ると、スキンヘッドの男二人も俺達同様走っている。これは絶対追いかけているってやつだ! しかも、胸ポケットから黒く光る鉄の塊を取り出した――――拳銃だ。
「ひぇぇぇ。拳銃出したぞ!」
「情けない声ですね」
「し、仕方ないだろ! こんなの初めてなんだから!!」
「なるべく姿勢を低くしてください」
「わ、わかっ、わかった!」
俺の後方で光が弾けたような音が聞こえた。その音は俺の耳の中を振動しながら入っていき留まる。山の木霊のように耳の中で何回も音が聞こえる。
次の瞬間、俺の真横で金色の塊が音速のように通り過ぎていった。銃弾だ。平和ボケしていた俺には信じられない光景。俺の横を銃弾が通り過ぎていった。
「やはり、撃ってきましたね」
「うわぁぁぁぁ」
「舌を噛みますよ」
「アクト、しっかりするのじゃ!」
サラファの心配するような声が聞こえた。サラファの方を見上げると、サラファは俺の右斜め上でふよふよと浮かんでいた。
「っておい! サラファ! そんな上にいたら銃弾に当たるぞ!」
「大丈夫じゃ。わしは、魂じゃからあんな魔力のこもっていない玩具は当たらぬ」
「な、なんだってー!?」
魂というのはなんて便利なんだ……。このときばかりは本気でそう思った。
「ハァハァ……」
もう、寝不足で頭痛がするし、視界が霞んでくる。走るのも辛い。
サラファに危険が及ばないということは、逃げてしまってもいいのではないか……? そう思うんだ。イズもあんなにすごい魔法使えるんだから、拳銃なんて、あんな奴らなんて簡単に倒すことぐらい出来るだろう。それに、俺が今ここで死んだら、サラファの体を取り戻すことが出来ないだろう。サラファを守るために今は生き残らなければならない。そうだろ? そうだって! そうなんだ!
「イズ、二手に分かれよう」
「二手に分かれて、私を見捨てて逃げるのですね」
「へぇぇぇ? なんのことだ?」
図星を指されて、思わず妙に高い声で返事をしてしまった。
「もしかしてあなた、気が付いていないのですか? 心の声が口から出ていましたよ」
思わずサラファを見ると頭を抱えて首を横に振っていた。
あ、俺の悪癖、やっちまったな。
「こ、声に出ていましたか……」
「今のであなたの人間性がわかりました。あなたはサラファさえ助かれば、私なぞ死んでしまっても構わないということですね。あなたの言い分もわからなくはないです。確かに、あなたにとっては、私はただの他人ですからね」
「ご、ごめんなさい……。寝不足で辛くて魔が差しただけなんだぁ!」
「寝不足を言い訳にするのですか。これからもそのような言い訳をして逃げていくつもりですか? 自分で決めたことの責任も取らないで、自分は悪くないと言いたいのですか?」
俺は、耳障りな事を聞こえなくする能力『ノイズキャンセラー』を発動した!
だけど、イズの静かな怒りが怖くて発動は失敗に終わった。
「嫌なことに耳を塞ぐなんて、あなたは子どもですか。そうやって」
「まぁまぁ、イズ。その辺でよいじゃろう。アクトはこれから変わっていくじゃ。大目に見てやってはくれぬか」
「サラファが言うのなら、仕方がありませんね」
「もう逃げません……」
俺の体力と精神力はもうボロボロだ。全て俺のせいだが……。
「早くあの人達を撒きたいですね。サラファ、この先に隠れられそうなところがあるか見て来てくれませんか?」
「わかったのじゃ!」
「き、気をつけるんだぞ!」
サラファは走っている俺達よりも早く移動し、青い屋根がある家の角を曲がったと思うと、すぐに戻ってきた。
「どうでした?」
「角を曲がった先にもう一軒家があるのじゃ! 家の裏に荷物が置いてあって、隠れても見つかりづらそうじゃぞ」
「その家の影に隠れてやり過ごしましょう」
「わ、わかった」
「あの家の角を曲がりますよ」
イズの後ろをついていくように青い屋根がある家の角を曲がった。拳銃を持っている危険な奴らはまだ角を曲がって来ていない。その隙に角を曲がったすぐ近くにある家の裏に入り込んだ。バケツやらゴミ箱やらが乱雑に置いてあり、隠れてやり過ごすには良さそうな場所だ。
「あいつら、どこ行きやがった!」
「探すぞ!」
ゴミ箱の裏にうずくまり身を隠していると、土を力強く踏む足の音とドスの利いた声で叫ぶ声が聞こえてきた。
きっと、あの拳銃を持った男達だ……! そのまま、通り過ぎてくれ……! 頼むから……!
このまま破裂でもしてしまいそうな勢いで心臓が激しく脈を打つ。気を抜くと手で塞いでいる口から悲鳴が上がりそうになる。
足音は雷が遠ざかっていくように小さくなっていた。
行ったのか……?
「わしが様子を見てくるのじゃ」
イズはサラファの言葉に頷いた。
人に見つからない分、魂って便利だな……。
サラファは家の影から顔を出し道の様子をあちらこちら見渡していた。
「どうやらいないみたいじゃ!」
「撒いたみたいですね」
「良かった……。俺の人生終わりかと思った……」
「サラファのおかげです。ありがとうございます」
「どうってことないのじゃ!」
サラファはドヤ顔に近い笑いを浮かべていた。
「ああいう奴らは魔法で追い払えないのか?」
「魔法を使うのは原則禁止されているのです。あんな人の目があるところで使ってしまうと、私が捕まってしまいます。悪いことをするときは、隠れてしなければいけません」
「あっちは銃弾ぶっ放しているんだぞ!? 正当防衛だろ?」
「ああいう人達は敵に回すと厄介なので、見て見ぬ振りをされているのです。ですが……」
「なんだよ……?」
「何故、私の命を狙っているか気にはなりますね」
相変わらず冷静で落ち着いているイズだが、顔をよく見ると、濃く深い青の瞳は死んだ魚のような目をしていて、背筋に水を掛けられたみたいに驚いた。
「こ、こえー……」
「どうしたのじゃ?」
「いや、なにも」
「そんなに追いかけられたことが怖かったかの?」
「それもあるけど……まぁ、なんというか」
イズって、サラファの友人なんだろうけど、ちょっと近寄りがたい雰囲気があるな……。
そういう思考が頭の中でグルグルと回っていたとき、イズが立ち上がった。また心の声が口から出ていたか!? と思ったが、どうやら違ったようだ。
「あ、この道知っています」
「それは良かったのじゃ!」
「自分の村だから当たり前だろ」
「黙ってください」
「……」
「まぁまぁ、アクトもイズも仲良くするのじゃ」
「仲良くしているつもりです」
「えっ」
仲良くしているつもり? 事あるごとに『黙ってください』というのに!? あれのどこが仲良くしているんだよ! 悪意しかないだろ。
「アクトよ。イズは昔からこうなのじゃ。それに表情も表に出さないから誤解されやすいのじゃぁ……」
「確かに、ずっと無表情か嫌な笑いをしかしていないもんな」
「嫌な笑いとは失礼ですね」
「もう少し、笑顔とか増やしてみたらどうだ?」
「ふざけないでください」
「な、なんだとぅぅぅ……」
「まぁ、まぁ、二人とも落ち着くのじゃ」
「落ち着いています」
「俺も落ち着いているぞ」
「その割には、二人とも眉間のしわが寄っておるのじゃ」
睨み合っている俺達を見てサラファは苦笑いをしながらため息をついていた。その後、大きな咳払いをした。
「イズよ。おぬし、この道を知っていると言ったな。なら、家まで行くことは出来るのか?」
「はい。ここを真っ直ぐに行くと私の家があります。この家をいつも目印にしていたので、間違いないです」
「ならば、行くのじゃ」
「そうですね」
「おぅ……」
険悪な雰囲気は残りつつも、俺達は乱雑に置いてある荷物を避けながらイズの家に行くために歩き出した。




