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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

砂糖菓子と夜の歌

作者: 夕子

***注意***

この話は人が死ぬ、流血などの残酷な描写がございます。

また、グロテスクな描写もありますので、そのようなものが苦手な方はこの話を読まないことをお勧めします。


この話は前後編構成の後編となっています。




―――誰が駒鳥殺したの?




***




空はほのかな青紫へと変わり始めた。太陽は東側から光り出している。

夜明けだからか、人影はまばら。道路を走る車の数も少なかった。

そして、俺と少女は夜明けの光に照らされる道を歩いている。


「……っつーかさ」

「はい」

「本当にお前、アソコに住んでるのか?」


この都市には危険地帯(デンジャーゾーン)と呼ばれている場所がある。

都市を牛耳る組織はその分恨みも多く買っている。恨みを募らせては組織に特攻を仕掛けるバカども……革命者(テロリスト)が、そこには多く住んでいるのだ。

……まあ、革命者などと当人達は謳っているが、外から見ればただのゴロツキであることに変わりない。時間があれば組織に特攻、暇な時は酒場でどんちゃん騒ぎ、日中だろうと夜中だろうと喧嘩だのなんだのが絶えることのない嫌な場所だ。


「わたくしも本当は静かな所で暮らしたいのですが、中々条件に合うお家が見つかりませんの」

「へぇ」


そんな所で暮らすくらいなら条件を落とせばいいものを……とは思うのだが、年頃の娘さんらしく、この少女も変な所で頑固らしい。


「……ん? その口ぶりだと、一人暮らしなのか?」

「はい。それがなにか?」


それがなにか?ではない。

よくもまあここまで生きられたものだと内心感心してしまう。


「……いや、だからこそここまで図太いのか?」

「なにがですの?」

「なんでもないぞ、っと」


歩行信号が赤になっていることに気付かず、そのまま前に進もうとした少女の手を掴む。

彼女が止まった瞬間、その目前を大型のトラックが通り過ぎて行った。

一歩でも踏み出していれば危なかっただろう、その状態に。


「あら」


少女は若草色の目を丸くして、ただ一言だけしか声を上げなかったのである。

内心、呆れてしまった。

もう既に走り去っていったトラックを眺める少女の頭に、俺はポスりと手を乗せる。


「お前なぁ……もう少し危機感を持てよ」

「危機感、ですか? なぜですの?」

「何故って……今お前の目の前を通り過ぎたのを考えてみろ」


信号が青に変わる。

トラックが通り過ぎました、と少女が白線を踏みながら、俺の言葉に応えた。

……答えになっていない。


「当たったら、死ぬ」

「……ええ、死にますの」

「死ぬのは、イヤだろ」

「イヤ、で―――――」


背後を通り過ぎて行ったバイクの爆音のせいで、残念ながら最後まで言葉は聞き取れなかった。

だが、きっと「イヤです」と言ったのだろう。

死にたい人間は、そうそういない。特に、この都市では。

誰も彼もが、醜く地べたを這いずり回り、生に執着しているのだから。


俺だって、そうなのだから。


「―――おにーさん?」


少女の甘い声。

蕩けた蜂蜜のような声が、俺の思考を捕らえた。


「……ああ、悪い。どうした?」

「ぼうっとしていらしたから、ご注意を促しただけですわ」

「注意?」


少女のほっそりとした指先が、ある一点を指さす。

同じ場所を目指して視線をずらし…………顔を、引きつらせた。

其処は、既に危険地帯の目の前だった。


「……その服で、この町を歩くのは些か危険と思いますの」

「同感」

「ですが、わたくしの家はこの近くですので、もう大丈夫ですわ」


そう言って、少女は看板が下がっている通りを進まずに左に曲がって、小さな路地を歩いていく。


「あ、おい……」

「おにーさんにお礼をしたいのですが、お時間はありますか?」

「……まあ、そこそこ」


本当は無いのだが。

まあ、仕事と少女のお礼を天秤にかけるなら、後者に傾くのは自明の理だ。

俺はぴょこぴょこと歩いては此方を振り返る少女の後ろに続きながら、脳裏で此方を睨む上司と相棒の顔を打ち消した。


「ふふ、うれしい」


少女は楽しそうに笑いながら、小走りに駆けていく。

薄暗い路地の中で、少女の若草色はとても綺麗に浮かび上がっていた。

まるで妖精だな。そんな、らしくない感想が思考に過ぎる。


その時だ。


「―――ナハトムジィク!」


幼い子供の声が聞こえた。

視線を正面に向けると、5、6歳くらいの子供達が、きゃらきゃらと笑いながら駆けてくるのが見える。


「ナハトムジィク! また出たよ! また出たよ!」

「ナハトムジィク! ナハトムジィク! 悪い猫さんまた出たよ!」

「ナハトムジィク! 悪い猫さん対峙して! ナハトムジィク! さぁ早く!」


軽やかに歌いながら、子供達は太陽に向かって駆けてくる。

少女の横を通り過ぎ、俺の後ろへと走り去る子供達の声を聞きながら、俺は少女を一瞥した。


「……なぁ、ナハトムジィクってなんだ? それに、あの変な歌も」

「このあたりの子供達の間ではやっている歌ですの。わたくしも詳しい事は知りませんが……ここの近所の子供達はみんなよく歌っていますわ。中心街では、歌われていませんのね」

「まあ、基本あそこは忙しないからな。子供なんて公園で遊んでるくらいだろ」


そういえば、この前また近くの公園を取り潰して新しい施設を造ろうなんて話が出ていると聞いたが、本当だろうか。

どうでもいいことを考えて居たが、ふと気付くと少女は俺のすぐ傍に立っていた。


「つきましたわ」


にっこりと少女は笑う。


「ようこそ、わたくしのお家へ」




***




オルゴールの音がする。

少女が好きそうな、可愛らしい曲が響いている。

ワンルームの小さな部屋の真ん中には、木で出来た小さな椅子とテーブル。テーブルには淡い緑のクロスがかけられ、中心には白い小さな花を生けた花瓶が飾られていた。


「どうぞ、お座りになってくださいな」


少女が指示した木の椅子に座り、部屋を見回す。

部屋の隅にはやはり木で出来た棚があり、見た目そこそこ値の張りそうなアンティークの食器類やカップが置かれていた。その横の壁には小さな額縁に入った絵が飾られている。

品のいい部屋というのが、最初の感想。

外の荒れた路地とは完全に別物だ。


「女の子の部屋は、あまり見ちゃいけませんの。秘密がたくさん詰まってますので」


少女がティーポットとカップ2つを乗せたトレイを手に、テーブルに向かって歩いてくる。

トレイをテーブルに置いてカップに紅茶を注ぎながら、少女はにこりと微笑んだ。


「女の子は、秘密をためるほどきれいになるそうですわ」


そう言って彼女はティーカップを差し出してくる。

小さな花が縁にあしらわれた、可愛らしいティーカップ。


「…………さんきゅ」


カップを受け取った途端、なにやらいたたまれなさが胸の奥から滲み出てくる。

まあ、それも当然と言えば当然だ。生まれてこの型、こんな少女チックな部屋に足を踏み入れたことは一度も無いのだから。

そんないたたまれなさを流すために、カップを唇に寄せる。

一口、飲んだ。


「うまい」

「あら、本当ですか?」

「本当だって。こんなうまいの、久々に飲んだ気がするな」

「うれしいです」


ふふ、と笑う少女は幸せそうで。

そんな姿を見るたび、やはり砂糖菓子みたいだな、と思う。

砂糖菓子。やわらかくて、ふわりと口の中で溶けて消える、甘いもの。


「あ―――」


何かを口にしようとした、その最中に、ふと脳裏をよぎる、黒い影。

180は越えていそうな高い身長、針金のように細い体にまとわりつく黒い服、顔を覆うガスマスク。

そして、チェーンソー。


あの、切り裂き魔。


「―――と、そうだ。あの切り裂き魔のことなんだけどよ」

「はい、なんでしょうか」

「お前、もしかしたら狙われてるのかもしれないし、保護でも受けておいたらどうだ?」


保護というよりは、軟禁という形になってしまうだろうが、まあそちらの方が安全だろう。

ぶっちゃけ、今回の犯行で目を付けられてしまったのかもしれないから、先に此方を聞いておくべきだった。

だというのに、少女は笑顔で首を横に振る。


「平気ですわ」

「…………正気?」

「ええ、正気ですの」


にこにこと笑いながら、少女は答えた。

そして彼女はふと小首を傾げて、俺を見上げてくる。


「もしかして……心配、してくださっているのですか?」

「折角知り合ったのに、死んじまったら後味悪いからなぁ」


一応、本心ではある。とはいえ、断られた以上は無理強いをする気はない。

一度進めて、断られた。なら、もう気にすることはない。あとはもう自己責任だ。

死んでしまっても、俺の責任じゃない。


「おにーさん」


少女は綺麗に微笑んだ。

白い手の中にあったカップをテーブルに置いて、不意に体を此方に伸ばしてくる。

小さなテーブルはいとも簡単に、俺と彼女の距離を縮め、そして―――



「―――――ありがとうございます」



蜂蜜色が、視界の隅をちらついている。

やわらかなぬくもりが、俺の頬に触れた。


「わたくしを、心配してくださって」


ぬくもりが離れ、若草色が視界に映る。


「そういえば、名乗り忘れていましたの」


少女はただ見る者がうっとりとしそうな、甘い、甘い―――蜂蜜のような笑顔を浮かべる。

その二つの若草の中に映る自分の顔は、よく見えた。


「わたくし、アイネ・クライネと申します。以後、お見知りおきを、おにーさん」


若草色の中にいる俺は、初恋をしたばかりの、子供(ガキ)のような顔をしていた。




***




「ええ!? それ本当なの!?」



そんな声を上げたのは、後輩だった。

視線が一気にそいつと、そいつが持つ電話に集中する。


「場所は? 危険地帯(デンジャーゾーン)の廃工場に向かってる? 他に人は? ……うん、わかった」


電話を切った後輩に向かって、上司が淡々と言葉を紡いだ。


「どうした」

「……切り裂き魔が、見つかったそうです!」


緩み始めていた空気が、俄かに引き締まる。

ピリピリとした緊張感が場を支配し始めたころ合いを見計らってか、上司が静かな、だが有無を言わせぬ語調で告げた。


「この機を逃がすな。全力で切り裂き魔を捕らえる」

『はいッ!』

「A班は先行している者と合流し切り裂き魔の追跡の続行、B班は廃工場で待ち伏せ、私とC班は切り裂き魔と接触しようとしている存在を探す。切り裂き魔が危険地帯(デンジャーゾーン)で発見された以上、革命者(テロリスト)の構成員の可能性もある」


その言葉に各々の了解の言葉を返し、最高速度で準備を終える。

後輩や同僚達が、準備を終えた順から部屋から飛び出していく。


「……さて、と。さっさと終わらせますか」


準備を終えて、スーツを纏う。

最後に、デスクに置いた黒塗りの銃を手に取った。

そして、笑う。




窓の外に見える空は、既に黒々とした色に染まっていた。




***




『―――すいま―――対象が突―――ト変更―――ロスト―――た』


ザザ―――、と雑音(ノイズ)まじりの声が耳に仕込んだ受信機から聞こえてくる。


『此方廃工場―――敵―――少々―――苦―――応え―――を―――』


耳の中に砂嵐。そんな表現が生易しい位の、雑音。

通信妨害されてるな、と思った時には遅かった。


対象―――もとい、切り裂き魔に近づこうとする男の姿を発見し、追跡。そのアジトに侵入した。

だが、それこそが罠だった。アジトには何かの薬が充満していたのである。

咄嗟に退避したわけだが、危険地帯(デンジャーゾーン)から出てすぐの袋小路で、そのアジトの人間達に追い込まれてしまったのだ。


切り裂き魔に現を抜かし過ぎたかな。


そんな事に思考を巡らせていると、けほ、と咳が溢れ出る。


アジトに入ると同時に薬だと気付いてすぐに退避したのだが、どうやらあの薬、相当に強いものらしい。

指先や爪先から痺れてきていて、じわりじわりと体を蝕み始めているのがひどく億劫だった。

だが、その様子を見せたら、確実に自分達は袋叩きである。


「へッ、これでてめえらもおしまいだな!」


自分達の周囲に集まった男達の下卑た笑い声が響く。不愉快だなぁ、などと思考の隅で思う。

だが、その声で苛立ちを覚えるようなことでは、この仕事は勤まらないものだ。

涼しい顔で笑い声を流してやると、それに苛ついたのか包囲の輪が狭まり、殺気が漏れ始めた。


「……なぁ、今どんな感じ?」


小声で相棒に尋ねる。

こんな奴らなんて弱くて話にならないのが常なのだが、今に限っては話が違ってくる。

相棒と、上司のコンディションは、乱戦が始まる前に聞いておく。


「右足と左手の動きが少々鈍い」

「……私は右手だ」

「マジか。俺もまあ似たようなもんですけど」


少し、厳しいなぁと思う。

後輩と同僚の(チーム)が来てくれるなら僥倖か。

そう、思った瞬間。



―――空から、何かが降ってきた。



「な―――ッ!?」


ソレはダンと大きな音を立てて、俺達と男達の間に着地した。

姿を視認した瞬間、ゾワリと悪寒が背筋を撫でる。


180は越えていそうな高い身長、針金のように細い体にまとわりつく黒い服、顔を覆うガスマスク。そして、手に持つチェーンソー。


「切り裂き魔……ッ!!」

「ああ、お前らこいつを探してたんだよなぁ? この切り裂き魔(リッパー)を!!」


男の一人が高らかに笑う。

そんな中、切り裂き魔はガスマスクに手をかけた。

マスクが地面に向かって落下していき、からんと乾いた音を路地に響かせる。

だが、転がるマスクよりも、その素顔にまず驚愕した。


「……お、んな……?」


マスクの下にあった顔は、どう贔屓目に見ても女にしか見えなかった。しかも、まだ年若い方だろう。

赤紫の瞳には、冷たい色しか宿っている。感情が抜け落ちたような顔の中で、唇だけが弧を描いて歪な笑みを浮かべていた。


気味の悪い、顔だった。


「―――なァ、」


少女がこてり、と首を傾げる。

その手に持った電動の刃が、ゆっくりと、速さを増していった。


「こいつラ、殺していいノ?」

「ああ。殺せ、リッパー! こいつら全員、バラバラにしちまいな!!」


きゅるるると響く、不愉快な金属音。

少女の瞳だけが、うっそりと赤く輝いている。


「うン。それはとてモ―――」


振り上げられた、刃。

身構える俺達を見て、少女はとても愉しそうに嗤うのだ。


「たの し そう だ ネ」


銀色の刃が月の光を反射した。


嗚呼、綺麗だな。


なんて、阿呆なことを考えた。

目前には人間離れしている切り裂き魔、四方を男に囲まれ逃げ場はない。こんな状況でどうやって生き伸びろというのだ。

それでも、生き汚いのが人間だ。振り下ろされる刃を見、よけようと体は無意識に動く。


ガチン。火花が散る。

道路に叩きつけられたチェーンソーに、一片の血肉は付いていない。


「まァだ、だヨ」


安堵は早い。

女は再びチェーンソーを構えて、今度は横薙ぎに払ってくる。

咄嗟に屈む。髪が数本持っていかれた。


「ほラ、もっと気張ってくれヨ」


囲む男達が囃し立てる。

もっとやれだの、早く殺せだの、嬲り尽くせだの。好き勝手なことばかり。


不愉快に思う反面、正直、生存率は絶望的だった。

狭い路地。男達の包囲網。切り裂き魔。こんな状況で、どうやって生き残れる?


無理だな。


「もっト、泣き叫びなよォ!!」


けたけた笑いながら、髪を振り乱し、チェーンソーを振り回す、女。

命がけで振り回される凶刃をかろうじて裂ける。男達が侮蔑と嘲笑を響かせる。


……こんな状況で死ぬ、のか。


「……それは、嫌だな」


そう、呟いた―――瞬間。



「―――多人数で少人数を襲うのは感心しないですよ」



声がした。

鈴を転がしたような、こちらの事情とは噛み合わないだろう呑気な声が。

上から。


「ア?」


その可憐な声に、誰もが一時停止した。

甘やかな声に惹かれ、全員が揃って上を見る。


一つの窓から、ハニーブロンドの髪をなびかせて、少女が彼らを見下ろしていた。


「こんばんは。いい夜ですわね、おにーさん達」

「お前……」


ふと、気付く。

此処は、あの少女の居住地の近くである。

ミスったな、と内心舌打ちをした。切り裂き魔に狙われている少女に、本人を連れてきてどうする。

だが、当の切り裂き魔はどうでもよさげに少女を見上げているだけだ。


「あァ?」


その中で、男達の中の首領格が、彼女を見て目の色を変えた。

大方、俺達を始末した後で彼女をどうにかしようとでも考えているのだろう。

上司が馬鹿馬鹿しいとでも言いたげなひどく冷めた顔で、首領格の男を見つめていた。


少女はふわり、窓から身を踊らせた。奇しくも、切り裂き魔と同じように。


だが、切り裂き魔とは違い、少女は音も無く、まるで重力が無いかのように軽やかに着地した。

若草色のリボンを蜂蜜色の髪につけ、リボンと同じ色の上着を羽織り、比較的地味な色のミニスカートを穿いている。朝、会った時と同じ格好。

夜に若草色を浮かび上がらせながら、少女は微笑んだ。


「多人数で少人数をいたぶるなんて、駄目ですのよ? 物語でもそういう方々は大抵返り討ちにされているわけですし」


実際には、こちらが返り討ちにされかけているのだが。

彼女がそれを知る由はない。


「それと、毎夜毎夜人のお家の前で騒がないでくださいまし。安眠妨害ですの」


まさか、この少女……その為におりてきたのだろうか。

……一概にありえないと言えないのが、また恐ろしい所である。


「お嬢ちゃん、何にも知らねぇで入ってくるんじゃねえよ」

「こいつらは、俺達から全てを奪った張本人―――あの組織の連中なんだぞ!?」


この男達の言葉が逆恨みによるものか、あるいは正当な恨みによるものかは、俺に知る由は無い。

逆恨みを受ける義理はないし、正当な恨みを浴びせられるのも面倒だから、知る必要はない。

だが、この少女は、果たしてどんな反応をするだろうか。

驚くか、悲しむか、同調するのか、それとも―――。



「はぁ、そうなのですか」



だが、少女は生返事を返しただけ。


「『はぁ、そうなのですか』って……他に言うことねぇのかよ」

「そうですわね。特に興味ないですもの」

「な……」

「……それで、あなた達はそんな目的で、わたくしの命の恩人様方をどうにかしようとしてたのですか?」


あっさりと首肯した彼女に逆に問い返され、しかも彼女自身意識していないだろうが一種の侮蔑が含まれているような声で問われたことで、元々短気な荒くれ者達が、少女に向かって走り出そうとした。


「ああああぁァァァァァ!」


突然の絶叫。

男達が動く前に、切り裂き魔が痺れを切らしたのか、ぎらりと光るチェーンソーを振るう。


「もウ、面倒くさいんだヨ!! どいつモこいつモ!!」


それは癇癪を起した子供のようにぐしゃりと髪の毛をかき乱し、爛々とぎらつく赤紫の瞳で、若草色の少女を睥睨した。



「とっとと死ねヨ!!!」



そうして振り上げたチェーンソーを一瞥し、



「―――動かない方がいいですよ」



少女は静かに言葉を紡ぐ。




***




「動かない方がいいですよ」



しゃらん。

鈴のような、音が聞こえる。


がしゃん。

何かが落ちた、音が聞こえる。



「…………あ、レ?」



切り裂き魔の、茫然とした声。

その、チェーンソーを持った片腕が、根本から切り落とされて(・・・・・・・)いた。

洪水のように流れ出す赤が、路地を赤く染めていく。

だが、それだけではなかった。


「ァ、が―――ッ!?」

「うあぁ―――!!」


路地の入り口側にいた、男達が何人か。そいつらが、一瞬でばらばらになったのである。

ぐちゃりと熟れたトマトが破裂したような、赤。転がる肉片と鉄の臭気がなければ、きっと赤いペンキを零したのだと勘違いしただろう、それほどまでに異常な量の赤が路地を鮮烈に染めていく。


驚いていないのは少女のみで、そして彼女は、頬に付いた血痕を拭うこともせず、うっすらと微笑みながら、肉の塊となった元人間を見て、呟いた。


「だから、言ったのに」


声は甘い。周囲に響くとやけに空々しかった。

振り返った彼女は、凍りついた場を見て、綿菓子のように笑う。


「動かない方がいいですよ?」


再度、同じ言葉を告げた。

その鈴を転がしたような声も、今では死神の足音にしか聞こえない。


「あ、ぁ、あああ……!」


切り裂き魔が声を上げる。それが苦痛か、あるいは全く別の何かなのかはわからなかった。

チェーンソーを見下ろして、赤紫の瞳で少女を食い入るように見つめている。

誰も動かない。否、動けない、というのが正しいか。

そんな中、遂に恐怖に耐えかねたか、男の一人が声を上げた。


「な……なんだよ、なんなんだよお前はァッ!?」

「何、と申されましても。わたくし、奪われた名前を取り戻しに来ただけですのよ?」


そう言い置いた彼女は、赤い路地に向かって手を一振りした。

しゃらしゃらと何かが巻き取られるような音が聞こえ、一拍置いて答えがわかる。


「糸、か……」

「正解ですの」


掠れた上司の声を聞き取った少女は振り返って頷いた。花が綻ぶような笑みを浮かべた、その表情。

可憐な笑顔、鉄の臭いがこびりつく路地。

ひどく、現実味のない光景だ。


「これが、わたくしの武器ですわ」


よくよく見れば、少女の服の袖口から、蜘蛛の糸のように細い細い、透明に近い糸が何本も零れている。

それらは上下左右すべてに広がり、男達に絡みついているのが見えた。

だが、たかが糸が、男達を切り裂く武器に至るのだろうか。


「ふふ、信じていなさそうな顔ですのね」


男達を見て、少女はにこりと笑う。


「でしたら、動いてみたら、如何です? 今なら動いても大丈夫ですので。動けないと、思いますけれど」


だが。

誰一人として、動く者はいなかった。

否、違う。動けなかった(・・・・・・)

彼らを縛る糸は誰一人解放しなかったのである。さながら、蜘蛛の巣にかかった羽虫のように。


「なんでだよッ!? なんで、動けない!?」


男の悲鳴が響く。

それに構わずに、俺は疑問を声にした。


「……奪われた、名前って」

「それは簡単な答えですのよ、おにーさん」


少女はにっこりと笑う。

甘やかな笑顔を浮かべた少女は、ただ静かに答えを紡いだのだ。


「わたくしが、切り裂き魔(リッパー)だからに他なりません。偽物(かのじょ)に奪われた名前を、本物(わたくし)が取り返すことに、何か問題でもあるでしょうか?」


自分こそが本物だと、少女の声は朗々と響く。まるで舞台を見ているような、そんな気分にさせられる。

血塗れの路地を舞台に見立てれば、月光はスポットライト。少女はただ一人、主役の座を勝ち取っていた。


「……」


そう、困ったことに。俺は、彼女が本物の切り裂き魔だと認めていた。

理由はまあ、いくつかある。一件目の被害者と彼女が立った今殺した男達の切り口が、全く一緒だったこととか、色々。


「あ、ははははハ」


乾いた笑い声。

視線を向けると、切り裂き魔だった少女が笑っていた。

そう、切り裂き魔だった少女が、片腕を失くしたまま笑っていたのである。

何かを掴むような、動作。


「ははは、あはははは!!」


ぶちり、ぶちり。

何かが千切れる音がする。


「あら」


少女は頬に手を当てる、その若草色の瞳が意外そうな色を浮かべた。

糸が千切れたのだと、気付くのは容易い。


「ああ、あああ―――」


掌を血色に染めながら、黒い少女は嗤う。

体中を血染めながら、楽しそうに、本当に楽しそうに、笑う。


「―――会いたかった(・・・・・・)!!」


黒と赤に塗れた少女は、残った片腕でチェーンソーを振り上げると、若草色の少女に襲いかかった。

髪を振り乱して凶刃を振り下ろす、少女。振り下ろした凶刃を踊るように避ける、少女。

血みどろのワルツのよう。


「会いたかった! 会いたかった! ずっとずっとずぅっと会いたかった!! あの夜から、ずっと、ずっと!!!」


月に照らされた白刃が、銀色に輝く軌跡を描いて少女に襲いかかる。

黒の少女の口上は、長年離れ離れになっていた恋人のように情熱的で、どこまでも激しかった。


「さァ、僕と戦っテ! 血みどろの夜を、僕に見せてヨ!! ねェ!!!」


それに呼応するかのように、段々と速く、激しくなっていく、チェーンソーの動き。

そして、彼女はチェーンソーを振り上げた。


「―――ナハトムジィク!!!」


相対する少女は、


「それは、なんですの?」


いつものように、首を傾げた。

しゃらん、と夜闇に響く涼やかな音色。

それだけで、黒い少女の動きは全て封じられたのである。リモコンで一時停止を押した時のように、急激に、唐突に。


「わたくしは、切り裂き魔(リッパー)


切り裂き魔(リッパー)の指先が微かに動く。

しゃらしゃらしゃら。音が響き、捕らえた少女に細く赤い線が引かれていく。

そして。


「それ以外の名前は、持っていませんの」


ぐしゃり。がたん。

トマトを路地に落とした時のように、少女の体が弾けた。

もっと正確に言えば、体を細切れの肉片にされて、血が弾け飛んだのである。


ぐしゃりぐしゃり。

大量の肉片と夥しい量の赤が、路地を赤黒く染める。


「……うわ、」


言葉も出なかった。絶句していた。

誰も彼もが、恐ろしい未来を思い描いて、そう遠くない場所にある絶望を想定し、恐怖する。


「あ、あ―――あああ、ああああああああ!!!」


恐怖が勝ったのか、男の一人が奇声と共に銃を構えた。

否。構えようと、する。


「へ、」


すぱんと、銃を持っていた手首が切れた。まるで玩具のパーツのように、あっさりと。

男の間抜けな声。銃を持った手が、血みどろに沈む。


その音に、少女は振り向いた。


切れた手首と、流れ出る血を止めようともせず、呆けている男を見て、小さく首を傾げる。


「おかしな方。動かない方がいいと、言ったのに」


まるで、どこかに鍵を忘れてしまったかのような、そんな声。

そんな声で、彼女は絶望を告げた。


一拍置いて、男達全員の体は肉片に変わり、大量の赤が噴き出した。


「……地獄絵図、だな」


上司が呟く。まったくもって同感である。

鉄の臭いは既に路地にこびりついて取れないように思えた。

そんな中、少女はいそいそと糸を回収している。月光に照らされた透明な糸は血を吸って赤く輝き、凶悪な蜘蛛の巣の姿を漆黒に浮き上がらせていた。


「うへぇ」


見れば見るほど、その蜘蛛の巣には逃げ場がない。絡み取られたら、獲物に食われるのを待つだけの、哀れな羽虫に変貌するだろう。


「なぁ」

「なんですの?」


しゃらしゃらと夜に響く糸の音。

それを歌と形容して、『夜の歌(ナハトムジィク)』。

切り裂き魔(リッパー)』も、『夜の歌(ナハトムジィク)』も、彼女の名前だったのか。


「なんで、助けてくれたんだ?」

「助けた、というわけではございませんわ。元々、わたくしは偽物(かのじょ)を追っていたわけですから、偶然です」

「あ、そう……」


詰まる所、彼女が切り裂き魔の死体の傍にいたのは、偽物を殺すためだったということなのだろうか。

それならそうと言ってくれれば……いや、言われても信じないか。


「ですけど、暫くは探すのは控えようと思っていましたのよ?」

「え?」

「心配してくださったでしょう? おにーさん」


にっこりと、少女が笑う。

相も変わらず、砂糖菓子のような笑顔を浮かべて。

こんな血みどろの惨劇を見たにも拘らず、俺はそんな甘やかな印象を拭えなかったのである。


バカみたいな、話だが。




***





―――私がですと雀が言った



こんばんは、Abendrotです。

流石に此処を最初に読む、という奇特な方がいらっしゃるとは思いませんが、一応注意を。

この砂糖菓子と夜の歌は、砂糖菓子と切り裂き魔の後編となっております。まず先に、砂糖菓子と切り裂き魔を読むことをお勧めします。



……というわけで、此処からちょっとネタバレが入ります。



この話は解決編です。

切り裂き魔の正体だったり、謎の少女の正体だったりが明らかになります。

ところで、切り裂き魔の正体に驚いてくださった方はどれだけいるのでしょうか。正直、ばればれだったような気もしますが……。

『砂糖菓子と夜の歌(以下、夜の歌)』の最初の方で子供達が歌っていた歌は、実は隠喩だったりします。

『ナハトムジィク』が『彼女』で、『悪い猫さん』は『模倣犯』ということです。模倣犯はコピーキャットともいいますし。

ちなみに暴露すると、前編『砂糖菓子と切り裂き魔(以下、切り裂き魔)』の最後の方に登場した謎視点の独白は、切り裂き魔……黒い少女のものです。


前編では推理小説ではありませんなんて言いましたが、私は何故前回これを推理小説などと思われるなどと思っていたのでしょうか……?

ええ、本当になんちゃってファンタジーでした。


前編の文末、後編の文頭と文末にある一文は、全てマザーグーズの一節です。

本当は、リジー・ボーデンにしようかなと思ったのですが、流石に初っ端からグロいのはあれかなぁと思い断念しました(リジー・ボーデンが気になる方は調べても構いませんが、当方は一切責任を持ちません)。


さて。実はこの物語は私が高校時代に初めて書いた小説のリメイクだったりします。

本当はもっと短いものだったのです。ぶっちゃけると『夜の歌』の後半あたりがそれです。


では、此処まで読んで頂き、ありがとうございました。

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