人形の宴
日本人形の髪がのびるとか、フランス人形が人を呪うとか、ぬいぐるみが夜中に歩き回るとか。人形は人の恐怖心を煽るものらしい。しかし、いつもこうして座ったままの状態で放置されている身としては、どうやったらそんな器用なことが出来るのか、教えてほしいくらいだ。
私はフランス人形である。現在の持ち主が小学生の時に、彼女の親戚の家から貰われてきた、伝統ある骨董品だ。ちなみに、持ち主――ヨリコが、私の美しい顔を嫌って触ろうともしないため、名前はない。失礼な話だが、初対面で「怖い顔!」と叫ばれたきり、出来るだけ私を見ないようにしているようだ。おかげで、この家に来てから今まで、ピアノの上で埃を被る日々である。
私の隣には、ぬいぐるみのクマが座っている。名前はピッツィキという。お世辞にもセンスの良い名前とは言えないので、私は親しみを込めて「クマ」と呼んでいる。このピッツィキはヨリコの長年のお気に入りだ。現在中学生の彼女は、さすがに一緒に寝ることはなくなったが、いまだに暇があるといじくっている。
ピッツィキと私の関係はどうなのかと言うと、クマが私を無視している。それというのも、初めてピッツィキの名前を聞いた私が大笑いしてしまい、クマが機嫌を損ねたからだ。以前いた家では隣の人形と賑やかにやっていたので、いまだに独り言を言う癖が治らない私には、この状況は少しつらい。
クマが返事をしてくれないせいで、しゃべったことが独り言になってしまう退屈な日々。かと言って、毎日毎日、あの年頃の娘特有のテンションの高さでめちゃくちゃにいじり倒されているクマを見れば、自分の境遇に文句を言う気もなくなってくる。
どちらにしたって、私たちは人形なのだ。人が作り出したものだから、意志を持つことは許されない。人と心は通わないのだ。日々退屈なのは当たり前。私はとうの昔に諦めていた。
――けれど。
転機が訪れたのは、ヨリコが十四歳――私がこの家に来てちょうど六年目の、十一月だった。
◆
引っ越すことになったよ、とヨリコの父は言った。
夕飯の席である。いたって暢気に海老フライを食べていた母親とヨリコは、一瞬、石のように動きを止めた。私の居るリビングから、ダイニングの様子はよく見えるのだ。
固まっていた母娘は、次の瞬間、異口同音に叫んだ。
「どこにッ!?」
父は暢気である。海老のしっぽをコリコリとかじりながら、
「長野だよ」
と軽い調子で言った。長野ってどこ、と隣のクマに聞いてみたが、もちろん返事はない。
親子はなんだかんだともめている。どうやら引っ越すのは来年の二月になるそうで、仕事上の都合というやつなので時期はずらせないらしい。転勤と言うやつだ。ヨリコは転校なんて絶対イヤ、と叫んでいたが、食事を済ませた父が部屋に引っ込んでしまうと、母に愚痴るだけで何も言えなくなってしまったようである。
それから、現在――一月までの間、ヨリコと両親はずっともめていた。ヨリコの学校のことだ。ああ見えて比較的頭の良い彼女は、家から少し離れた私立中学に通っている。今は二年生、来年は受験である。この時期に転校させるのも微妙だが、「下宿する」と言った彼女の言葉を、両親は「心配で置いておけない」の一言で退けた。ごもっとも、である。
そもそも、彼女が転校を渋っているのも、受験が心配だとかいう理由ではないのだ。好きな男の子がいたらしい。
私がなぜそんなことを知っているのかと言うと、ヨリコが毎日、ピアノにもたれて、私の所から丸見えの場所で携帯電話をいじっているからだ。日記をつけていたらしい。その中に頻繁に登場した「Y君」というのが、彼女の想い人だ。常にハートマークとセットになっていたので丸わかりである。
ヨリコはもともと「やかましい」という形容詞がぴったりの娘だ。普段から突拍子もない行動が多く、しかもその犠牲者はもっぱらクマのピッツィキである。触っていると落ち着くのかなんなのか、電話をしているときなど無意識にいじっていることが多い。話しはじめた時は冷静だから良いのだが、話が弾んで興奮してくると、クマは足をつかまれてバスケットボールよろしく床に叩き付けられることになる。実に気の毒だ。
それが最近輪をかけてひどくなっていたので、おそらく両親も気づいていたのだろう。とにかく、彼女の「引っ越したくない」主張は、極めて不純な動機から発しているもので、両親が下宿を許さなかったのも無理はない。
それでも一月も半ばを過ぎて、引っ越しの日取りが決まってしまうと、駄々っ子のように騒いでいたヨリコもようやく静かになった。彼女はやっと部屋を片付けることにしたらしい。最近は天井を通して、ガタガタ言う音とヨリコの素っ頓狂な声が、頻繁に聞こえてくるようになった。一階はと言うと、母親が細々としたものは片付け始めていて、以前よりすっきりしている。父親は自分の荷物をまとめ終えて、最近では母親の指示のもと、台所の片付けを手伝わされているようだ。
そうして、部屋からは日々物が減っていき、代わりにダンボールが埋めていったが、その間私たちにはなんの変化もなかった。ピアノの上で、相変わらず返事をしないクマに、返事がないとわかっているのに話しかけていただけである。
しかし、母親が部屋のあちこちに置かれていた小物類をまとめはじめた時、私には関係ないな、と思って眺めていたら、クマと一緒に出窓に移されてしまった。ピアノの上も片付けるらしい。
日干しのつもりか、窓の外に向けて置かれたので、いつもと違う景色が楽しめた。部屋の中をうろうろしているヨリコの姿にも飽きてきたので、ちょうど良い。
窓の外は隣家の庭だった。灰色の大きな猫が、芝生の上に長々と寝そべっている。虫か何か飛んでいるらしく、しきりに腕を伸ばしているが、起き上がってまで追う気はないらしい。動くたびにヒゲが揺れる。可愛い。
猫を見ていたら、ふと引っ越してもピアノの上に置かれるのだろうか、と思った。退屈だ。
窓辺が良い。くるくると様子の変わる外の景色を眺めるのは、これが初めてだった。悪くない。
人間にはわからないのだ。十年一日の如く、ずっと一つ所に居なければならないことの、苦痛にも近い退屈が。
人形は人が作ったものだ。意志を持つことは許されない。けれど、人に近い形に作られた時点で、私たちは意志を持つのだ――否応なしに。
けれど、やはり人と心は通わない。私がピアノの上に飽きていることなど、あの人たちには伝わらないのだ。どうせ引っ越し先でもピアノの上に置かれるに決まっている。
窓の外の猫を見ながら、私はなんだか憂鬱になった。
◆
引っ越し当日は上々の天気だった。天気も上々だったが、一週間ほど窓辺で干された、私の気分も上々だった。
窓辺で考えたことは、口には出さなかった。柄にもなく憂鬱になっているなどと、クマが聞いたら笑うだろう。それでも、憂鬱な気分に浸っているうちに、なんとなく開き直るような気持ちになってきたのは確かである。どうせどこに行っても退屈なものは退屈なのだ。しばらくは新しい家の様子を見て楽しめるかもしれないし、家を移る機会があっただけマシだ。
そう考えたら俄然気分がのって来るのだから、不思議なものである。私の思考回路は、とことん単純に出来ているらしい。
朝来たトラックに家具や大きめのダンボールは積まれてしまって、さっきまで小物が入った袋や箱が部屋に散らばっていたのだが、今はそれももうない。あとは窓辺に置かれた私たちだけである。
戸締まりをしている母親の足音があちこち移動するのを聞きながら、私はクマと一緒に待っている。クマはともかく私は割れ物だから、ダンボールに容れなかったのだろう。すぐに迎えに来るはずだ。
◆
十分後、静まり帰った部屋の窓辺で、私は呆然としていた。
部屋には何もない。光がななめに差し込んで、床が反射する。私が居る出窓から見える道路に、さっきまで停まっていた車の姿はもう、ない。
――置いていかれてしまった。
最悪だ。せっかく乗り気になってきたのに、まさか置いていかれるなんて思わなかった。私はともかく、クマのピッツィキはヨリコのお気に入りなのだ。そこまで忘れっぽくなれるものだろうか。
この先ずっと、しゃべらないクマと、少しのガラクタに囲まれて過ごせと言うのか。退屈なんてものじゃない。
本当の本当に最悪だ――。
――ラァッキィィィ!!
隣で素っ頓狂な声がした。何事かとそちらを見ると、なんとクマのピッツィキが立ち上がってバンザイをしていた。
――へ。
間抜けな声が出た。このクマは――立てるらしい。私は首を回すくらいがせいぜいなのに。
――な、何?何がラッキー?
クマはくるんとこちらを向いた。そのままとことこ歩いてくる。
――やあやあ、僕の名前を聞いて爆笑した失礼なお嬢さん!相も変わらず怖い顔だ。
口を開くなり失礼なクマである。私はムッとして言い返した。
――あんたも失礼だわ。
――そうかね。まあ良い。ところで君はさっき、何がラッキーなのかと聞いたね。
――聞いたけど。
クマはわかってないな、と言わんばかりに首を振って見せた。器用だ。
――それは愚問に等しい。人が居るから動けない、居なければ勝手に動く、それが人形じゃあないか!人間どもは怖い話が好きだろうに。君はその怖い顔をもっと生かしたまえ!
なんだこいつは、である。まったく意味がわからない。
――でも私動けないのよ。陶器だもの。
――なんと!僕は動けるぞ。
――見りゃわかるよ。でも、動けるならなんであの人たちが留守の時とか、動かなかったの?
――それは君、あの馬鹿な人々がいつ帰ってくるかわかったものじゃないだろう。人間なら好き好んで危険を冒すのだろうが、あいにく僕はぬいぐるみだ。そんな危険を冒すほど、僕は馬鹿じゃあないのだ!
――じゃあ、引っ越してったから今動いてるの?
――そのとおり。
やっとわかったか、と言った口調だ。しかし、
――忘れたって気づいたら、たぶん取りに来るんじゃないかな。あんた、あの子のお気に入りじゃない。
――来るもんかね。長野は遠いぞ!
自信たっぷりに言ったが、その後に小さく「たぶん」と付け加えたのを、私ははっきり聞いた。
それにしても、こんなに変なクマだと思わなかった。口ぶりは少々古いな気がするし、声は大きいし、いちいちオーバーリアクション。
――まあ、そんなことは良い。それより僕はそろそろ、ドンチャン騒ぎたいんだがね。
――ドンチャン騒ぎィ?
――君は顔が怖い上に堪え性がないから、毎日毎日退屈だー退屈だーと騒いでいたが、僕が黙っていたのは何故だと思うね。こんな時に弾けるためだ!おわかりかね?
――はあ。
まくし立てられて二の句が継げない私を差し置いて、クマは出窓から飛び降りる。そのまま軽やかに空中て一回転して軟着陸した。
――というわけだ。怖い顔して不機嫌なお嬢さんのために、僕が一つ、躍って見せてあげようじゃないか!
ピッツィキは舞台に立っているように、ペコリとお辞儀してみせた。それから軽やかに飛び上がって部屋の中央へ。
部屋には何もない。窓から光がななめに差し込んで、床で反射する。
ピッツィキの目も光を反射して煌めく。彼はおどけた調子でこう言った。
――さあ、お嬢さん。
足を交差させて、くるりとターン。ピッツィキは高らかに宣言した。
――ショータイムだ!!
◆
人形の宴が始まる。
こんにちは。
この小説は、高校の時に課題で書いたものを、こちらのサイトに公開するにあたって加筆訂正したものです。タイトルは変えましたが。
一人称って書きやすいですね〜。三人称のほうが好きなんですけど、書けないんです。難しくて。
蛇足ですが、クマのピッツィキの名前は、イタリア語の「つねる」「つまむ」といった意味のpizzicareからとっています。
ではでは、読んでくださってありがとうございました。