裏切り
タジボグ王の野営地、篝火の明かりを頼りに、一人の軍装の女性が若い兵士を連れて王の幕屋へ進んでゆく。入り口の衛兵は女の顔を見ると、うやうやしく礼をした。青いドレスを着ていれば、さぞ美しかろうと思われる容姿をしていた。とはいえ、質素な軍装は彼女を別の意味でも美しく際立たせていた。
彼女は幕屋の中へ入って真っ直ぐに王の居室へ向かった。そして布で仕切られた部屋の入口に若い兵士を待たせておくと、声をかけてから中へ入った。
中央には、若いながらも威厳のある青年が、幾重にも積み重ねられたクッションの上に座っていた。そして両脇には、頭を丸坊主にした、いささか腹の出た男と、筋肉質のすらりとした背の高い道士が侍していた。二人とも、眼光が鋭い。
「シルヴァーナ、そこに座るがいい」
彼女は王に一礼して、示された場所に座った。
「兄上、御用とは、何でございましょう」
「喜ぶがいい。そなたの夫が決まった。このグリマルの労で、サイネリアの族長だ。歳も近いし、何よりあそこは領地も大きく、豊かだ」
「兄上」
シルヴァーナは、きつい目をして兄を見た。
「私は明日の先鋒を承っております。そのようなお話は、戦いのあとでお願いいたします。もっとも、私は兄上のお為になるのなら、どのような方にも、嫁ぐ覚悟でおりますゆえ」
「頼もしい姫君だ」
グリマルが、「はっはっ」と笑った。
「しかし姫。兄王陛下のお気持ちもお察し下され。勝つと分かっている戦いに、むざむさ妹を使うこともないと思し召して、このグリマルに命をくだされたのです」
「この戦に加わることは、前々からお願いしてあったことです。それに少数と侮ると、手痛い目に遭いますよ、グリマル」
「侮ってなどいませんぞ。姫さま、策は弄してあります。すでに内通者に話を通してあります」
「それだけ?」
「そ、それだけとは――」
「それだけで、あのユリウスに勝てると思っているの?」
「シルヴァーナ」
王は二人が言い争うのを遮った。
「そんなに、あやつに負けたのが悔しいか」
「はい」
彼女は兄を真っ直ぐ見つめた。
「たいへん悔しゅうございます」
そのとき彼女の脳裏には、隻眼の男の面影がよぎった。
「よかろう。行くがいい。ただし、生きて帰れよ」
根負けしたように王が言った。
「軍を動かすのは、夜明けと同時だ。しかし、夜襲があるだろう。油断するな」
「はい、兄上」
シルヴァーナは再び礼をすると、外に出た。
彼女の心は燃えていた。
(あの男、私をただの女に引きずり下ろした男。許さぬ)
シルヴァーナが出て行ったあと、グルマルが王に語りかけた。
「正直なところ、姫の言われる通りです。内から切り崩す工作をしましたが、内通者はたった一人。グマン家の長子は、アリウス・ハザールと長の座を争って遺恨を持っています。しかし元来は親友同士、どこまで本心か」
「親友であったからこそ、根が深いとも言えるぞ」
このとき道士が初めて口を開いた。
「内応者は一人でもよい。それで敵が浮足立つのなら。それより戦闘の方で勝たねば、話にならぬ」
と、王が言う。
「左様であります。傘下に入った部族からも、陛下への忠誠を見せるために兵を率いて来ておりますが、さて、使い物になるかどうか。もっとも、我らの同胞だけでも、六分の割合で何とか勝てるかと」
謀臣が王に応ずる。
「他の連中も、使えるようにするのだ、グリマル」
王が言葉を返す。
「アヴァールを下せば、この国を完全に平定できる。しかし、できねば、私の代で、このミーアンの地を統一することは不可能だ」
「お気の弱いことを」
「では、ドゥマー。おまえはこの戦い、完全な勝利に導くことが出来るか」
「すべては、神の御心です」
答えに対して、王は鼻を鳴らした。
「坊主どもの逃げ口上だな。おまえは、アリウスに勝てるのか、と訊いているのだ」
「分かりません。今までの敵と勝手が違います。他の部族には超常者がおりませんでした。ですから、赤子の手を捻るようなもの。しかし今回は、相手がどれほどの力を持っているのすら分かりません。私も死力を尽くすことになるでしょう」
王は背を少し反らせ、深々と身体をクッションの中に埋めた。
「今までに戦ったことのない敵……か。その力、欲しいな」
二人の廷臣は王の言葉を待った。
「アヴァールの四家の内、能力のある者の血と〝エクトゥスの秘儀〟が欲しい」
「心得てございます」
謀臣のグリマルがうやうやしく答えた。道士のドゥマーは押し黙ったままだ。
「しかし、あの憎っくき〝悪魔の申し子〟、なんとかならぬものか」
「四家の内、ヴァラビの出身でございましたな」
ドゥマーが、押し殺した声で言った。
「まだ子どものくせに、戦場に出たその日から負けたことがない。四家の出身ということもあって、兵からは軍神のように崇められています。我が軍の兵も今や、あやつの名を聞くだけで震え上がる始末です。次の長には、あやつが最有力候補だと聞きます」
道士は己が知っていることを伝える。
「いくら戦上手でも、まだ子どもだ。出来るなら、生け捕れ。手なずけるのも一興だな」
王の言葉に、グリマルがうなずく。
「そういえば、あの子ども、ヴァラビ家の者ではないという噂もあります」
「グリマル、どういうことだ」
「ヴァラビ家の跡継ぎが他郷に出かけ、行方知れずになって数年、その父が『息子の子どもだ』と言って連れて来たのが、あやつだと」
「それは初耳だな。しかし、あれほどの将器は得難い。我が神の信徒にすれば、我が命も聞きやすかろう。ドゥマー、そのときは頼んだぞ」
「承りましてございます」
道士は頭を下げた。
「いかにアヴァールといえども、カルナ教徒になってしまえば……な」
グリマルは意味ありげに、ドゥマーを横目で見た。洗脳せよ、とのことだ。
道士は頬をぴくりと動かしただけだった。
「いや、道士長どの。この戦、よろしくお頼み申しますぞ」
道士ドゥマーは沈黙したまま、王に礼をすると、退出した。
***
アヴァール族のユリウスたちは、眼下にタジボグ王の野営地が一望できる場所にいた。
「我々の役目は、攪乱と破壊だ。敵の力を分散させ、時間を稼ぐ。王の幕屋を目指して真っ直ぐに駆け抜ける。馬の足並みを揃えろ。何があっても、止まるんじゃないぞ」
彼の言葉は一軍の隅々まで伝わった。
「ユリウス、見ろ。夜が明ける」
シオデが東を指さした。山の端が少し明るくなってきている。
ユリウスが右手を挙げた。
騎馬兵がいっせいに走り出した。
異変に気づいたのは、シルヴァーナだった。彼女は眠らずに軍装のままでいた。
遠くの幕屋から次々と火の手が上がり、悲鳴と馬蹄の轟が聞こえる。
彼女は兵士に命令を下すと、馬に飛び乗った。
アヴァールの一軍が土煙を上げながら、すぐ近くまで迫って来た。
野営地の混乱がひどくなった。武器も取らずに逃げ出す者、物音に慌てて同士討ちを始める者、そこへ驚いた馬たちが逃げ出し、いっそう騒ぎに輪をかけたのだった。
シルヴァーナの集めた一隊が、敵に矢を射かけた。アヴァールの軍にも、落伍する者が出た。しかし彼らは、死傷者を馬に乗せて、あとに同胞の死体を残さなかった。
アヴァールの軍は火矢をまた征矢を絶え間なく射かけながら、疾風のようにつき進んでいく。
と、その前に、ファルスの騎馬隊が正面から立ち向かった。中央には、ひときわ目立つ甲冑の者、王がいた。
双方が高速ですれ違う。
剣戟の音と血しぶきが上がった。
何体かの人馬が、どうと地面に倒れた。
アヴァール軍の勢いが止まった。
「止まるな、ゆけい!」
脇腹に深手を負って落馬したユリウスが叫んだ。
馬上のシオデは一瞬、迷ったが、馬首を巡らすと、残った兵をまとめて再び駆け出した。
ユリウスは剣を杖に、片膝をついた。血と共に脇腹から力が抜けて、立ち上がれない。しかし目は、王を真っ直ぐ睨みつけていた。
馬上から、タジボグ王の声がした。
「見事な指揮だ。馬に馴れた草原育ちの我らにも、勝るとも劣らぬ」
周囲を囲み、王の兵たちがじりじりと迫ってくる。幕屋のほとんどは、燃えていた。
焦げ臭い煙が漂う中、ユリウスがゆらりと立ち上がった。
そのとき、まだ息のあったアヴァールの兵が、最後の力をふり絞って、短剣を王の馬に投げた。
馬は棒立ちになり、王を振り落として、横倒しになって絶命した。
その機を逃さず、ユリウスは王に駆け寄り、剣を振り下ろした。
しかし一瞬早く、ファルスの兵が彼の肩を切った。
彼は手元が狂い、その隙に王は身を避け、彼の手から剣をもぎ取った。
小柄なユリウスが二人の兵士に押さえ込まれる。
「ふん、しぶとい奴だ。かなりの深手だな。しかし、ドゥマーなら治すだろう」
「王よ。何故、殺さぬ」
「おまえが、ユリウス・ヴァラビだからだ」
ユリウスは、目をかっと見開いた。
「それほど、我らの血が欲しいか」
彼は渾身の力を振り絞って兵士たちの手を払い除けると、近くで燃えていた幕屋の炎の中に身を投じた。
人びとの口から、一斉に叫び声が上がった。
軍神と呼ばれた少年の姿は、炎の中に消えた。
王は無言で見つめていたが、踵を返すと再び馬上の人となった。
*****
ユリウスに心を残しながら馬を駆るシオデの前に、シルヴァーナの率いる一隊が向かってきた。今度は乱戦となる。
「覚悟おし。よくもあのときの辱めてくれたな。思い知らせてやる」
「おまえ、あのときの女か」
シオデは、シルヴァーナの剣を払いのけた。
「姫! 助太刀を」
と叫んで、歩兵が槍を突き出す。
シオデはその槍を叩き切った。
「姫だと? ファルスのじゃじゃ馬だったか。しかしオレは、おまえを辱めた覚えはない」
彼は馬を操り、飛んで来た矢を切り払った。
「ただ、捕虜となったあんたを丁重に送り届けただけだ」
「私の手に、口づけした」
シルヴァーナは再びシオデに剣を振り下ろした。
「礼を尽くしただけだが?」
「それが気に食わぬ」
シオデは彼女の剣を軽くいなし、笑った。
「女扱いが、気に食わなかったか」
シルヴァーナは頭に血を上らせて襲い掛かった。
「王の妹と聞いては、今度は容赦せぬ」
シオデの剣がうなりを上げて、振り上げられた。
そのとき、彼の両脇から、二本の槍が突き出された。
彼の手の動きが止まり、シオデはそのまま落馬した。
「姫、ご無事でしたか」
二人の兵が口々に言った。
「ええい、邪魔だてを。あっちへお行き」
思いがけない姫の剣幕に兵たちはその場から逃げ去っていった。
シルヴァーナは馬を降りて、シオデを抱き起した。まだ息があった。
「不覚だったな。なぜ、とどめを刺さない?」
「なぜ……そう、何故なのだろう」
シルヴァーナの目から、涙があふれた。
「分からぬ。しかし……」
そのとき姫はうめき声を上げ、前に倒れ込んだ。彼女の背から、血が流れていた。
「ファルスめ。思い知ったか」
そう叫んで、一人の男が彼女の背にとどめを刺そうとした。それは、王の軍に加わっていた他部族の者だった。
シオデはシルヴァーナの剣を取り、立ち上がると、その男を一撃で斃した。
しかし、それで力が尽きた。彼は地面に倒れ込んだ。
「シオデ……もっと別の形で……出会っていたら……私は……」
シルヴァーナの息が絶えた。
シオデも目の前がしだいに暗くなっていくのを感じた。
「……」
彼の最後の言葉は、わからない。




