プロローグ
あるあるな話ですが、一度書いてみたかったもので。
よろしくお願いいたします。
平地に幕屋が点在している。明るいときであれば、渓谷近くの広い野には、草が風になびき、鹿や兎の遊ぶ姿が見えるだろう。しかし今は、すべてが闇に閉ざされ、数万の人馬の静かな気配のみが満ちている。少し欠けた月は赤く、地にある篝火は、その月のかけらが落ちたように、小さく灯っている。山は平地の周りを黒い影となって取り巻くようにそびえ立ち、湿った風が木々の梢を鳴らした。
「いやな風だぜ」
若い歩哨がつぶやいた。
闇の中から、カンテラの光がやってきて、「おい」と声がした。歩哨は、びくりと動いて青ざめた。
「交代だ」
淡い光の中に、人の姿が浮かび上がった。
「おどかすなよ」
同僚を見て、若い歩哨は息をついた。
木々がざわめく。
何かがやってくるかのように、地鳴りがした。
大地が二、三度大きく揺れ、男たちもよろめく。
交代のためやってきた男がカンテラを取り落とした。ガラスが割れ、火が燃え上がると、すぐに炎は小さくなった。それと共に、大地の揺れも収まった。
「また、地震か」
明かりを取り落とした男が、残り火を踏み消しながら言った。
「連中の仕業かな」
若い歩哨は、それをぼんやりと眺めていた。
「まさか」
「でも、アヴァールは自然を自由に操ると言うぞ。特に今の長は、その力が強いそうだ」
ふん、と交代の歩哨が鼻を鳴らし、土を踏みにじった。
「周り中が敵だらけってことか」
闇の中に、狼の遠吠えが響いた。
若い歩哨は同僚にあとを頼むと、逃げるように立ち去った。
かつて、ミーアンの土地は多くの氏族に分かれていた。
西に険しい山々を頂き、南は森林地帯、北にはなだらかな山が連なって高原が広がり、東は大海、そして川は西から東へと流れて、中央には肥沃な平地を形づくっていた。その土地に住む氏族は数百ともいわれ、それぞれに異なった習俗を持っていた。そして、ときに争い、ときに和し、それを繰り返し幾多の部族が興亡した。
けれども、北方のファルス族が若き長のもと、馬を駆り、剣とカルナの教えによって統一を行った。
ファルス族は元来、高原の遊牧民であった。中央で多くの氏族が争っている間、しだいに下行し、半農半遊牧の生活を営んでいた。
彼らの今の長が族長として選ばれたとき、ミーアンの中央では長年の争いの果てに五つの部族が覇をとなえていた。だが、歴代のどの長よりも秀でていたこのファルスの若者は、次々とそれらを自らの支配下に収めた。そして中原の聖山ルドラで自らミーアンの王を名乗り、国名をヒスタニアと定めた。
聖王タジボグである。
彼は臣下にも恵まれた。数多くの臣の中でも特に名高いのは、グリマルとドゥマーである。
セ・ナ・グリマルは王の謀臣であり、のちに王国の宰相となる人物である。旧家の出ではあるが、庶子であるために幼い頃、里子に出され、辛酸を舐めた。温厚な性格ではあったが、その知謀は、ときに人の心底を寒からしめるものがあったという。財を貪らぬ人物であった。また、民治が上手で、死後も人びとに慕われた。しかし、それがかえって王家の嫌疑を招き、三代のちにささいなことで一族は滅ぼされた。
サイネリア・ドゥマーは、カルナ教の道士である。彼は、一神教のこの宗教の熱烈な信奉者であった。そして、ミーアンを統一することは、平和な世を築くこと、それは神の御心にもかなうという信念を持っていた。さらに彼は、超常者であった。のちに道士たちが国政に容喙し、跋扈するについては、良きも悪しきも、すべて彼が種をまいた。
さて、ファルスの族長・タジボグが王になった年、彼の許に下らぬのは、西のアスティニア地方に住むアヴァール族のみとなった。
アヴァール族は他の多くの氏族と同じように多神教を奉じていた。いくつかの集落に分かれ、主に狩猟と農耕を行い、ときに交易に出かけた。争いごとは、各集落の長老が収めた。それでも決まらない場合は、民会にかけた。さらに収まらない場合には、僧会が決裁した。しかし、僧会まで訴訟が持ち込まれることは、めったになかった。
僧たちは生涯独身で、やはりここも長老が統率していた。長老には、代々超常者がなった。彼らの間には、『エクトゥスの秘儀』と呼ばれる自然を操る術が伝えられていた。
一族の内のハザール、ヴァラビ、シンド、グマンの四家からは、たびたび超常者が出た。そのため、この四家の者のみは、非常時、僧でなくても、僧会の長を兼ねることが出来ることになっていた。
タジボク王がアスティニアに軍を進めたとき、僧会の長には、ハザール家の若者、アリウスが選ばれていた。




