第3章:「夜(よ)が明けるのは、まだまだ先だ。」(前章の続きの場面より)
総裁室の床のカーペットに、
ふたり仲良く並んで座る。
榎本:「・・・日本の酒と、ブドウの酒の『いちばんの違い』がわかるかね?
それは『造りかた』だ。
コメはほうっておいても酒にはならないが・・・ブドウは、葡萄酒になる。
ブドウには、それ自体に発酵させる成分が含まれてるわけでね・・・その意味では、この酒は、実に『理にかなった産物』というわけだ。
・・・ヨーロッパの人間が考えそうなことだ。」
(ここで土方、ようやく赤ワインを口にする。)
榎本:「悪かないだろ・・・?」
土方:「悪くはない。
・・・良くもないが。」
榎本:「まぁ、好きに言ってりゃいいさ。
そのうち、やめられなくなる。
(ワインを土方のグラスに注ぎながら)いずれ日本でも、葡萄酒が造られるようになる。
とくにこの蝦夷地は・・・ヨーロッパの風土と似ているから、もってこいだ。
やがては、この地で造られた我々の葡萄酒が、世界で飲まれることになるかもしれん。
・・・サンドウィッチも、どうぞ。」
(土方、生まれて初めて、サンドウィッチを食し・・・『ん・・・なんだこれは。意外にうまいじゃないか!』という反応を示す)
土方:「・・・榎本さん。
俺には、どうしてもわからねえ。」
榎本:「どうぞ。」
土方:「・・・あんたという人間だよ。」
榎本:「そりゃそうだろ。
私だって、まだ『自分』がわかっちゃいない。
おまえさんにわかるはずがない。 」
土方:「・・・初めて、あんたから蝦夷地へ渡る話を聞かされたとき・・・あれはたしか、仙台だった。
あまりに途方もない話に、俺は驚いた。
(土方、ワインをちびりと飲む)
・・・あんたは、じわじわと開拓を進め、チカラを蓄えて、最後には『独立』をめざすと、俺に打ち明けてくれた。
薩長に張り合って、『日本にもうひとつ、新しい国をつくろう』と、あんたは言った。
・・・無茶なハナシだ。だから俺は乗った。」
榎本:「あんたが乗ってくれたおかげで・・・その後、兵の士気が、いちだんとあがったよ。」
土方:「しかしあんただって、腹の底では、それが『夢でしかないこと』はわかっていたはずだ。
・・・本当に『新しい国』が造れるなんて、思っちゃいなかった。
でも、それでよかったんだ。
俺たちの思いは、ただひとつ。
薩長に『一泡』ふかせること。
・・・このまますんなり、薩長の新しい世になることが許せなかった。
だからこそ俺は、『槙本武揚』に賭けた。
それなのに、どうして今になって、やつらに頭を下げる。
なぜ最後まで戦おうとしない。
俺ははっきりいって・・・あんたに失望した。」
榎本:「・・・そりゃ、すまなかったね。」
土方:「いっときでも榎本武揚に・・・『近藤勇』を重ねた自分が恥ずかしい。」
(土方、剣をついて立ちあがる。)
榎本:「・・・勝手に近藤さんと重ねて、勝手にがっかりされたんじゃ、こっちゃたまんねぇな。」
土方:「近藤さんは『信念の人』だった。
正しいと思った道を、あの人はひたすら歩きつづけた。
『まじめさ』が首を絞めたこともあったが・・・人は、その『まっすぐな生き方』に惚れて、あの人についていった。
悪いが・・・あんたとはちがう。」
榎本:「あたりまえだ。
(榎本も立つ)
・・・私は『榎本武揚』だ。
ただ、土方君。
君はひとつだけ『思いちがい』をしているようだ。
・・・あのとき私は、『本気』だった。
君は無理だと思っていたようだが、私は本気で国を造ろうと思っていた。
蝦夷地に『新しい国』を。
(微笑して)
・・・きたまえ。」
(ふたりは、五稜郭の天守閣へ)
榎本:「君は・・・案外、『リアリスト』なのかもしれないね。」
土方:「リアリスト・・・?」
榎本:「・・・君のように、夢におぼれず、『現実』をしっかりと見つめる人のことだ。
たしかに戦場では、的確な状況の判断が何よりも大切だ。
夢を追っている場合ではないな。
・・・しかし、私はちがう。」
土方:「あんたはなんだ。」
榎本:「・・・『マヌケなロマンチスト』さね。」
(ふたりは、天守閣の階段をのぼり、さらに頂上の展望台へ)
榎本:「『新しい国を造る』と言っておきながら、薩長のしていることはなんだ。
徳川の力を奪い取り、『山分け』してるだけじゃねぇか。
・・・だが、私はちがう。
なにもないところから、『新しい国づくり』を始めたかった。
見たまえ、この豊かで広々とした土地を。
水は清く、土もよく、そしてその下には鉄や銅や石炭が、計り知れぬほど眠っている。
・・・私はこの地を踏んだとき、ここなら『新しい国』が生み出せるにちがいないと思った。
私は、君のように人を斬ったこともない。
長い間、オランダに留学していたし、その前は海軍操練所で生徒たちを教えていた。
・・・およそ、サムライらしくないサムライだったが、それでもあの日は、気持ちが高ぶったものだ。
薩長に張り合って、この地で『新しい国』をつくる・・・われら自身の手で・・・。」
土方:「あんたのいうとおり、俺はいままで、『死に場所』を探してきた。
その横であんたは、いまのいままで・・・本気で薩長に勝つつもりでいたのか。」
榎本:「もちろんだ。」
土方:「・・・あんた、バカだ。」
榎本:「おほめの言葉、と受け取っておくよ。
しかし夢は醒めた。
・・・醒めたからには、私はいさぎよく『白旗』を揚げる。
これからは・・・私の夢にチカラを貸してくれた人々をいかに救うかが、私の仕事だ。
・・・実をいうとね、戦が終わったら、私はこの地で『牛』を飼うことにしていたんだ。」
土方:「牛・・・?」
榎本:「ああ。何万頭もの牛だ。」
土方:「・・・でかいハナシだな。」
榎本:「牛の乳を飲んだことがあるかね・・・?」
土方:「ない。飲みたくもない。」
榎本:「西洋人にとっては・・・それは大きな『滋養のもと』だ。
そしてその牛の乳からは、『バター』や『チーズ』が作られる。」
土方:「チーズ・・・?」
榎本:「さっき食べた『サンドウィッチ』の中にはさまっていたものだ。」
土方:「・・・牛の乳だったのか。」
榎本:「うまかったろ?」
土方:「・・・ああ。」
榎本:「やがてはこの国の人々も、それを食するようになるだろう。
そのときのために私は・・・この地に『牧場』をつくり、牛を育てるつもりでいた。
この広い大地を開拓し、農業や牧畜をさかんにして、人々を豊かにする。
そしてやがては、薩長がつくる国よりも、はるかに我々のつくる国を、すばらしいものにしてみせる。
・・・すべては『夢』におわった。」
(ここで、榎本の部下の『大鳥圭介』が、天守閣にあがってくる)
大鳥:「・・・探したぞ。」
土方:「(大鳥に)おぅ。」
榎本:「なにがあった・・・?」
大鳥:「分散していた各陣の指揮官が戻ってきた。」
榎本:「・・・ご苦労だった。」
大鳥:「みな、先のことを不安に思っている。
総裁から、『ひとこと』もらえないだろうか。」
榎本:「すぐに行こう。
(土方に)
・・・君もつきあってくれ。」
(指揮官たちが集まる大部屋にて)
大鳥:「注目!! 」
(全員、たちあがって榎本総裁と土方と大鳥を迎える)
榎本:「(座るよう、うながして)そのまま・・・そのまま・・・そのまま。」
大鳥:「総裁から・・・お話があるッ!!」
榎本:「・・・座ってくれ!」
指揮官たち:「ははっ。」
榎本:「長いあいだ・・・ご苦労であった。
戦は本日でおわりだ。
・・・よくぞ、ここまで戦ってくれた。
心から、礼をいうぞ・・・。」
指揮官A:「・・・ここまできて、本当に降伏するんですか?」
指揮官B:「(土下座して前へ進み)
われわれはまだまだ戦えます!
なんで・・・薩長のやつらに降伏しなくちゃならないんですか・・・土方さぁああん!!」
指揮官A:「総裁ッ! 最後まで戦いましょう!!」
(指揮官たちは大声で、いっせいに榎本たちに詰め寄る)
指揮官C:「大鳥せんせえ!!」
(大鳥は、落胆したような、放心したような様子で、ゆっくりとしゃがみこむ。榎本は、大勢にすがりつかれ、泣き声で自分を説得しようとする彼らの声に、無言でたたずむばかり。土方・・・それらを厳しい目で見つめる)
☆ ☆ ☆
(ろうそくともる、暗い通路を榎本・土方、並んで歩きながら)
土方:「・・・何も思わないのか。
あの声を聞いて・・・」
榎本:「すでに『降伏』は決まったことだ。」
土方:「降伏はするな。」
榎本:「・・・びっくりするようなことを言うね。
それじゃいままでの話はいったい、なんだったんだ・・・?」
土方:「ようやく気づいた。」
榎本:「・・・?」
土方:「俺は『死に場所』のことしか考えてなかった。
そしてあんたの頭の中には・・・『降伏』のことしかなかった。
俺たちは、『大事なこと』を忘れていたようだ。」
榎本:「・・・なにをだね?」
土方:「『あきらめない』ってことだ。」
あんたはたしかに『バカ』だ。
・・・『バカなロマンチ』だ。
だが俺は、『もうひとりのバカなロマンチ』を、日本一のサムライにするために、人生を費やした。
どうやら・・・その『ロマンチ』とやらに付き合うのが性に合ってるらしい。
・・・俺は、あんたの夢に賭けることにする。」
榎本:「『夢は醒めた』と言ったはずだ。」
土方:「・・・いや、ちがう。
夜が明けるのは、まだまだ先だ。
榎本さん・・・いいか。
これは『死ぬための戦い』ではない。
これから俺たちは・・・
『生きるために戦う』んだ。」
榎本:「・・・ひとこと言っておく。
『ロマンチ』ではなく・・・『ロマンチスト』だ。
変なところで切らないでほしい。」
土方:「・・・知ったことか。」
(ふたりとも、微笑する)
土方:「ここは俺にまかせてくれ。」
榎本:「・・・中身次第だ。
まずは、どうする?」
土方:「まずは・・・『軍議』だ。」
榎本:「・・・土方君。
君にひとつ、謝らなければならないことがある。」
土方:「・・・なんだ?」
榎本:「どうやら私の『見立て』は、まちがっていたようだ。」
土方:「・・・なんだ?」
榎本:「あんたこそ・・・筋金入りの『ロマンチ』だ。」




