九章 水の精霊
カイザル王子は、長きに渡る戦に、疲弊していた。拠点を制圧すれば、すぐにまた次の拠点と、休む暇を与えられず、ただ兵糧だけが城から届けられていた。
とても無謀な戦を指示している父王のアクサル王は、今ではカイザル王子よりも若くなり、昔とはほど遠いほど凶悪になっていると、兵士の間で噂が飛び交っていた。
数週間前にも、自身の妃である母親を手にかけた、などと小耳に挟んだ。
カイザル王子は、大剣を杖代わりにして、高台の上に座っていた。そこへ、1人の兵士が、カイザル王子の元へ走って来る。
「カイザル様ー!」
「どうした?」
兵士は、カイザルの耳に伝令を伝える。
それを聞いて、カイザル王子は目を見開く。
「…それは、確かなのか…!?」
「…はい。」
カイザル王子は、顔に手を当てた。体が震えて、汗が噴き出してくる。
「…父上が、闇堕ちした…だと!?」
こんな事が、敵の国であるヴォウンに知れ渡れば、確実に弾圧されかねない。
大滝の外では、ミュンヘンたちがまだ探しているようで、滝の音に紛れて小さく怒鳴り声が響いている。
それを、俺達は滝壷の洞窟の中から聞いていた。
「行きましょう!」
俺は、頷く。そして、洞窟の奥へ進んで行く。
その中は、静かでとても冷えていた。
「灯りが必要ですね。」
ガッセは、荷物から松明を取り出した。灯りに照らされると、洞窟がどれだけ広いかが分かる。
俺は、暗闇に少し怖くなり、ゴクンと唾を飲む。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ。問題ない!」
1人ではないことが、とても心強かった。
俺達は、半日ほど歩いて行った。
「…ま、まだ奥があるのぉ?」
俺は、疲れてしまい、腹を空かす。腹の虫が、洞窟内に響く。
ガッセは、フッと笑う。
「食事にしましょう。」
ガッセは、焚き火を起こして、荷物の中から食料を出す。ナンカガ特製、燻製の肉だ。
「どうぞ。」
「サンキュー!」
俺は、大きな肉を頬張る。保存食があるなんて、とても助かる。
「水も有りますよ。」
水筒を、ガッセから受け取る。そして、一口飲む。
「ん…!これ、酒じゃないかぁ!」
「え!?」
俺は、あの長老の顔を思い浮かべる。
『あのちゃめっ気がある長老なら、やりかねない!』
「ホホホッ、気が利くじゃろ?」
などと言っている長老の顔が目に浮かぶ。
「あのじいさんめぇ!酒じゃあ、喉が乾くじゃないかぁ〜!」
「私としたことが、迂闊でした!」
何故か、ガッセが謝る。
「どした?別に、ガッセのせいじゃないじゃん。」
オドオドしているガッセを見て、俺は不思議がる。
「…そ、その。言いづらいのですが…。」
「うん?」
俺は、煙草を出して、酒の入った水筒を横に置く。
「私は、実は…、下戸なのです…!」
俺は、思わず加えた煙草を落とす。
「…えっ。ええ〜!?だ、だって、結婚式の宴で、けっこう飲んでたんじゃ…!」
ガッセは、首を横に振る。
「注がれた酒は、全てティアに飲ませていました。」
「いつ?一体、どんなタイミングで、彼女の口に入れてたぁ〜!?」
驚きすぎて、大声を出してしまう。
「…その、迫られそうになった時に、さり気なく…。」
ガッセの手慣れた手口に、思わず吹いて、口に手を当ててしまう。
「お前、たらしかよっ!?」
そう言えば、ティアがかなり酔っ払っていた事を思い出す。ますます、気の毒になってしまう。
「男として、とても恥ずべきことで…言い出す事が出来ませんでした!…その、落胆…なさいますよね?」
ガッセは、初めて弱みを見せる。意外な一面に、俺は笑って見せる。
「そんな事ないよ!そんなこと、気にしてたのかぁ?落胆なんか、する訳ないだろ?」
俺は、煙草に火をつける。
「じゃあ、水分はどうやって取っていたんだ?」
「樹の実を割って、果汁を口にしていました。今も、密かに腰に常備しています。」
ガッセは、小さな木製の水筒を見せた。
「そんな少量で、大丈夫なのか?」
「日頃、鍛錬しておりますので…!」
「駄目だ!人間の60%は、水で出来てるんだぞ?熱中症にでもなったら、一体どうするんだぁ!?」
俺は、ガッセを叱る。
「ね、熱中症とは…?」
「汗や排泄で、水分が足りなくなって、熱や立ち眩みなんかしたり、下手したら死んでしまう場合もあるってことだよ!」
俺は、腕組みをして教える。
「…ミハルは、錬金術にも詳しいんですか?」
「錬金術?知らないけど、あっちの世界では、常識だったからな。」
ガッセは、パアッと、顔を赤らめる。
「貴方は、とても物知りなのですね!」
「そ、そんな事ないよ!ただ、向こうの常識を言っただけ!」
俺は、少し照れてそっぽを向く。
『博識なのは、ガッセのほうだろ?なんか、偉そうな事言って、恥ずかしいじゃねぇか!』
俺は、ガッセの体を思って、う〜んと考える。
「…それなら、直ぐにでも水の精霊を取得しよう!ウンディーネを説得することが出来たら、いつでも真水が手に入る!そうすれば、ガッセが熱中症にならなくてすむ!」
「わ、私のために…?」
「そうだよ。ガッセが倒れたら、俺じゃあ抱えてやれないからな!」
ガッセは、笑顔で見てくる。
「ありがとうございます!」
満面の笑みを見て、俺は眩しくなる。
『イケオジの笑み!迫力が、ハンパねぇ〜!!』
俺は、コホンッと咳払いをし、ガッセを促す。
「さ、さあ。サッサと奥に向かおうぜ!」
「はい!」
ガッセは、セッセと焚き火を消して、荷物を背負う。
※
洞窟の奥に進むと、大きな扉が立ちはだかった。
『…わぁ〜。なんか、ダンジョンボスとか出て来そうな雰囲気だなぁ。F◯とかだと、召喚獣と戦って取得するんだよなぁ。』
扉を見上げて、冷や汗をかいている俺を見て、ガッセが声をかける。
「どうしました?」
「あ、いや。なんでもない。入ろう!」
俺は、力を少し入れて扉を開けようとすると、扉は簡単に開く。
中を覗くと、大きな湧き水が泉を作っていて、下まで透明なため、良く見える。その中央に続く石の道が出来ていて、ラウマのいた儀式の間のように、丸くなった場所がある。
そして、妖精達が溢れている。
『長老が、言っていた。精霊と契約する時、下手をすると、命を取られると。』
「ガッセは、扉の前で待ってて!」
「分かりました。お気をつけて!」
俺は、笑顔で頷いた。そして、一息つくと中央に続く石の道をまたいで行った。
中央にたどり着くと、俺は魔力を感じて正面を向く。
『まずは、敬意を払って…。』
俺が、深呼吸をしてその場に座ろうとすると、突然声が響く。
「わらわの住処に、何用じゃあ?」
「えっ…?」
洞窟に響く声に、俺は辺りを見渡す。
ガッセも、辺りを見渡している。
「何やら、美味しそうな匂いがするのぉ?」
その声と同時に、正面に大きな光が現れ、とてもセクシーなお姉さんが、姿を現した。
『まだ、何もしてないのに、呼び出すことができた!?』
「あ、あなたは、もしかして、水の精霊、ウンディーネ様でありますか?」
俺は、少し緊張感を持ちながら尋ねる。
セクシーお姉さんは、ウフフッと微笑む。
「そうだと言ったら、お前の持っている酒を、わらわにくれるのかぁ?」
「さ、酒…?」
俺は、マントをめくり、渡されていた腰にしまっていた酒の入った水筒を見る。
セクシーお姉さんは、キャアッ!と歓喜の声をあげる。
「そう!それそれ!わらわに、渡してたもれぇ〜!」
「そ、そうすれば、俺を守っていただけるのでしょうか?」
「するするぅ〜!契約してやるぞぃ!」
『…え。そんな、簡単に…?』
俺は、直ぐ様酒の入った水筒を、セクシーお姉さんに片膝を折って捧げた。
「ありがとうございますっ!これから、よろしくお願いしまっす!」
「うむ。よろしい!守ってやるぞぃ。」
セクシーお姉さんのウンディーネ様は、青い光の粒になり、俺の胸の中に入っていった。
『セクシーお姉さん、ゲットだぜぇ!!』
俺は、ポ◯モンのサ◯シ風に、親指を立てて笑う。
ウンディーネお姉さんと契約した俺は、直ぐにガッセの所に戻った。
「も、もう、契約なさったのですか?」
「ああ、うん。なんか、長老の持たせてくれた酒が役に立つとは思わなかった。こんな形で役に立つとは、さすがに思いもしなかったよぉ!」
『長老、グッジョブ!』
俺は、頭に浮かんでいる長老に、親指を立てた。長老も、ホホホッと頭の中でウインクしながら、親指を立てている顔が思い浮かぶ。
「じゃあ、早速ウンディーネお姉さんに、出て来ていただくとしますか!」
「えっ…?」
俺は、ガッセに真水を飲ませようと、硝子のコップを出して、声をかける。
「それでは、ウンディーネお姉さん、よろしくお願いします!」
俺が言うと、ミニサイズのウンディーネお姉さんが、ポンッと姿を現し、水をコップに注いでくれる。
「ほら、ガッセ。水だよ!」
俺は、ガッセにコップを渡す。
「あ、ありがとうございます!」
ガッセは、嬉しそうに水を一気に飲み干す。
「…!」
様子を伺うと、ガッセはフリーズして、顔が青くなって、その場に倒れる。
「…あ、あれ?ガッセ…!?どしたぁ〜!?」
俺は、ガッセの落としたコップを持ち、匂いを嗅ぐと、顔が青くなる。
「さ、酒…!?ちょっ、ウンディーネお姉さん!水の精霊でいらっしゃるんですよねぇ!?何故に、酒を!?」
ミニサイズのウンディーネお姉さんは、テヘッと舌ベラを出して、ちゃめっ気を見せる。
『まさか、酒を渡したから!?』
「あの、ウンディーネお姉さん。普段は、ちゃんと真水を出してくださるんですよね?」
慌てて尋ねると、ウンディーネお姉さんは、コクリと頷く。
「…本当。お願いしますよ、お姉さん!ガッセが、倒れちゃったじゃないですかぁ!?」
お姉さんは、マリリンモンローポーズをして、姿を消す。
「ちょっ!お姉さん?!」
俺は、途方にくれて、仕方なく湧き水が、ちゃんと飲めるか、コップに注いで飲み、気を失ったガッセに飲ませる。
「ごめんなぁ、ガッセ!これからは、確かめてから飲ませるから!」
俺は、ガッセの頭を膝の上に乗せて、一晩このダンジョンスペースで過ごす事になるのだった。
「はぁ〜…。ウンディーネお姉さんは、酒癖が悪かったとは…。これから、気をつけてよう!」
イビキをかいて寝ているガッセの額を撫でて、少しホッとする。
『こんな、のんびり出来る時間は、これからいつ訪れるか分からない。今のうちに、休んでおくか。』
俺は、片膝を立てて、一服するのだった。
静かなダンジョン洞窟に、ガッセのイビキが響いている。
※
首都カイラは、この時に異変を迎えていた。
闇堕ちしたアクサル王の影響を受けていた兵士たちが、街人たちを斬殺したり、女性を襲ったり、壊滅的な事態になっていた。
街人たちの悲鳴が、飛び交う。
「ギャァァァ!!」
「た、助けてぇー!!」
兵士たちの肌は、黄土色になり、耳が尖っていた。
それは、司祭のシドルが、口にしてはいけないと言っていた、"魔族"の魔物たちの出現だった。
一晩、夜を明かした俺は、ガッセが目を覚ますのを待っていた。
「後、雷の精霊ボルトと、風の精霊エアル…かぁ。まだ、地理を覚えてないからなぁ。ガッセが、道案内してくれないと、どの道動けないなぁ。」
言い終わった後に、1つあくびをする。いつも、ガッセが見張りをしてくれているから、今夜は俺が見張り番をした。
すると、ガッセが突然目を見開く。
「はっ…!」
「おっ、目が覚めたか、ガッセ!ごめんなぁ…。酒とは知らずに、飲ませてしまって!」
「…い、いえ…。酒…?」
記憶に無いらしく、ヨロヨロと体を起こしながら、ガッセは口に手を当てて下を向く。
「私は、酒を…?!」
「そっ。ウンディーネお姉さんのいたずらで、酒を飲ませてしまったんだよ。これからは、ちゃんと確かめてから飲ませるから!…って、どした?」
下を向いて、微動だにしないガッセに、様子を伺う。
すると、ガッセは勢い良く口から吐く。
「うわぁ~!ほんっとごめん、ガッセ〜!!」
俺は、背中を擦る。酔冷ましが無いことを、後悔する。イケオジ、弱点が酒とは、俺は心から申し訳なく思う。
「す、ズビバゼッ!オエェ〜!!」
「謝らないでぇ!悪いのは、俺の方なんだからぁ〜!!とりあえず、体調がもどるまで、ここに居ようなぁ〜!」
俺は、ガッセの背中をひたすら擦る。
次の旅立ちには、少し時間が必要だった。