閑話 突然の来訪者
門の前が騒がしい。菖蒲は目を通していた文を折りたたむと、立ち上がり近くにいた桂に声を掛ける。
「何かあったのですか?」
「外で例のなりそこないたちが現れたようなのですが、どうやらそれに追われている者どもがいるようなのです」
「追われている? ここの者たちには外には出ないようにと伝えてあるはずです。一体誰が……」
「わかりません。ですがこの中に侵入されては面倒です」
焦りを見せる桂に対し、菖蒲は少し考える素振りを見せると、回廊に出て家屋の外へと視線を向けた。確かに何かがやってきている。だがそこには悪意とは別のものが感じられる。弱々しい気が。
「様子を見てきます」
「菖蒲様?」
「桂、念のため消毒や治癒の準備を整えておいて」
「何を仰るのですか?」
「弱っている者がいるのです。何者かは知りませんが、助けを求める者がいるのであれば、出自を問うことはしないのが鬼の流儀ですから」
「それはもはや古き仕来りのようなものです。今はそのようなことをする必要はありません」
一族は以前よりも強き存在ではなくなっている。それでも菖蒲には放っておくことはできなかった。何よりも菖蒲は感じ取っていた。そこにいる者たちの中に、助ける者たちの中に悪意がないことを。
「みんな手を貸してください」
近くにいる者たちを集い、菖蒲は國の入口の門へと急いだ。
そこで見たモノ。門の外には何かを追いかけている「なりそこない」たち。そしてそれから逃げる者が二人。門の近くまで来たところで、そっと彼らに触れようとするも菖蒲は遮られる。
「いけません姫様。彼らは徒人です」
「徒人……まさか、このような場所にですか?」
「現に彼らには我々が見えていません」
必死に「なりそこない」の方を見て叫んでいるが、菖蒲たちが傍にいるというのに彼らはこちらを見ようとはしない。彼らには菖蒲たちが見えていない。ここにいると感じ取っていないのだ。
徒人。まさかそのような存在がこの地に来るとは考えられなかった。
「徒人ということは、この門とて感知できないはずです。それなのに何故ここを目指したのでしょうか?」
「それはわかりませんが」
「菖蒲様、あそこにまだ誰かが!」
別の声に促されるようにして遠くを見る。そこには「なりそこない」たちを薙ぎ払うようにして何かを背負いながらもこちらに駆けてくる青年がいた。その手は「なりそこない」に触れてしまったのだろう。やけどのような状態になってしまっている。だがそれでもその者は身体が溶けているわけではなかった。
徒人があれに触れれば間違いなくその身は朽ち果てる。あれはそういう存在だからだ。だからこそ徒人がここまでたどり着けることも本来なかったこと。つまり彼は徒人ではないということになる。彼以外の二人がたどり着けたのも、ここを目指したのも、恐らく徒人ではない彼がいたお陰なのだろう。
「であるならば、それに応えるのが私たちの役割です」
「姫様?」
「どうか力を貸してください。彼らを助けます」
「……承知しました」
どんな理由があり、どこから来たのかはわからない。だが彼らは助けを求めている。それだけは間違いなかった。武器を携えた数人を送り、追われている彼を救うために動く。何とか追い払ったものの、ここにたどり着いた彼は菖蒲たちの前に倒れこむようにして膝を突いていた。
「藍!」
「久遠くん!」
倒れ掛かっている彼を呼ぶ者たち。届いているのかいないのか。虚ろになりながらも久遠藍と呼ばれた彼が顔を上げた。菖蒲と視線が合う。間違いない、彼には見えている。菖蒲の姿が。
「貴方は一体、何者ですか?」
「っ……」
顔を近づけて問いかける。しかし彼は口を動かそうとしたところで、それは音になることなく目が伏せられ、そのまま身体から力が抜けていく。菖蒲はその肩に触れて、倒れこむところを支えると、仰向けに横たわらせた。
「姫様」
「彼を運んでください。すぐに対処しなければなりません」
「この者たちはいかがしますか?」
倒れこんだ彼以外は、何が起きているのかを全く理解していない。菖蒲たちの姿が見えず、彼が勝手に動いたように見えたことだろう。
「何かしら事情を聞きたいところですので、羽衣を持ってきてください。彼らにかぶせれば、私たちの姿をその目に映すこともできるでしょう」
「わかりました」
彼の身体が抱えられるのを見て、驚き慌てている彼ら。菖蒲は仕方ないと、己が羽織っている布を一枚脱ぐと、その中の一人の女性の肩に掛けた。
「え……?」
「私の姿が見えますか?」
「あ、え? えぇ⁉ な……」
「今は説明している時間がありません。彼を治療するために、中に運びます。色々と事情をお伺いしたいのですが、時間がありませんので共に来ていただけますか?」
目を丸くして驚く彼女。今まで目に映らなかったものが見え、混乱している最中であることはわかっている。だがのんびり説明している時間はない。
「そちらのお二人にもそう説明してください。二方と手を繋いでいただければ迷うことはないはずですから」
「は、はい」
「ではこちらに」
菖蒲の言葉に従い、残りの男性と女性と手を繋いで後をついてきてくれる。何が何だかわからないはずだが、黙ってついてきてくれることは有難いことだ。突然騒ぎ出す者たちとて少なくない。驚いていてそれどころではないのかもしれないけれども、今は都合がよかった。
「桂」
「こちらに」
「彼をお願いします」
菖蒲の住む家屋に到着すると、彼だけを奥へと運んだ。残りの三人への対応は後回しにして。
見たこともない衣服に身を包んでいる彼。角はなく、耳も丸い。宝石のようなものがはめ込んであるものの、それ以外は特に異質な特徴があるわけではない。
「人間でしょう、彼は」
「えぇ……霊力を持った人間ということでしょうね。だからこの地が見えていた。彼がいたから、あの三人も迷うことなく、この地に来れたということ」
そうでなければ、「なりそこない」となっていたはずだ。彼の持つ霊力が守ってくれていた。だが……。
「桂」
「残念ですが、如何に霊力を持つ人間であろうとも、この状態ともなれば完全に治すことは難しいと思われます。人間は脆弱な存在ですから」
鬼が持つ回復力ならば、治療をすれば治る怪我という程度のもの。けれども彼は人間だ。人に対する効果的な治療方法など菖蒲たちは知らない。同じ治療方法をとったところで、死を回避することはできても、この右手が回復する見込みがあるかは判断できなかった。
菖蒲は黒く変色しつつある右手を手に取る。変色しているだけではあるが、いずれはこの手も朽ちてしまうだろう。
「……彼を助けられるとするならば、あの方法しかありませんね」
「菖蒲様⁉ まさかとは思いますが」
「そのまさかです。鬼の持つ回復力ならば元通りになります」
「ですがそれは……」
「桂が危惧するのもわかります。でも、きっと彼は生きることを選ぶと思うのです。共に在る彼らのために。このままであれば、きっと誰もが己を責めてしまうでしょう?」
会話もしたことがない彼だが、ここに辿りついたということはそういうことだろう。諦めて逃げるわけでもなく、生きようとして行動した結果だと。
「……他の者たちにはどう説明するのですか」
「私から説明します。私がそう行動した結果、その意味、私のことを良く知る貴女ならわかるでしょう?」
菖蒲にはわかる。その悪意を読み取れる。菖蒲が起こす行動の先にいる彼が悪人ではないことなど、菖蒲を知る者たちならばすぐにわかることだ。
「私は菖蒲様のご判断を支持します」
「ありがとうございます、桂」
手に取った右手を離し、菖蒲は彼の顔へと近づくと、首元を覆っていた服らしきものを避けた。そうして首筋に唇を寄せると、その場所へ向けて牙を立てた。




