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神隠しと鬼の姫  作者: 紫音
第三章 交わり

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1話


 稽古を終えた藍の下に菖蒲がやってきた。もはや見慣れたともいえる光景なので、藍は周囲の者たちから見えぬ場所へと移動する。すかさず菖蒲が袖を掴み、顔を近づけるとそのまま頬に口づける。


「すみません、藍に会いたくなってしまったものですから。邪魔をしてしまいましたか?」

「終わっていたから邪魔じゃない。けど、どうせ俺も屋敷に戻るところだったんだから、待っていた方が良かったんじゃないか?」


 以前ならば文句を言っていた伍緑も、もう諦めも入っているのか何を言うこともなくなった。翡翠に至ってはにこやかな笑顔を向けてくる始末だ。存分にやってくれと、その表情が物語っている。そういったお膳立てをされようとされまいと、菖蒲の行動が変わることはない。もっといえば、周囲に人がいようといまいと関係がないともいえる。人前でも菖蒲は構わず藍に抱き着いてくるし、隙を見せればキスだってしてくるのだから。こうして視線を避けるような場所に移動しているのは、藍の意志が尊重されただけだ。それでも避けられていた時よりもマシだと思う程度には、藍も随分と絆されているのだろう。


「待っているよりも私が出向いた方が速いではありませんか」

「……そういう問題かよ」

「そういう問題です」


 藍が溜息を吐くも、菖蒲は変わらず笑っている。つられるようにして藍も苦笑した。


「藍も笑ってくれるようになりましたね」

「あんたの前で深く考えても仕方ないだろ? それに……」

「それに?」


 あえて言葉を止めたというのに、菖蒲はその先を促してくる。これを伝えてもいいのだろうか。そう思いながらも、藍は少しの逡巡のうちに口を開いた。


「最近、俺はここで生まれてここで育ったんじゃないかって……そういった感覚に陥ることがある」

「……藍」

「覚えている。まだ俺は……でもいずれは忘れるんだろうな。あいつのことも、家族のことも」

「この世界は現世と妖の棲み分けのために創られたようなものです。未練を残さないために、狭間にはそういった力が働いていることは否定できません」


 元々この地で生まれた菖蒲たちは何も思わないし、そんな影響などないに等しい。現世への未練を残さない。それは恋慕や親愛といった感情の他に、憎しみや恨みなどの感情も含まれる。そうして妖たちは現世への全ての感情を捨て去った。永い時間を生きる妖たちからすれば、元々現世での出来事は一瞬の瞬きのような時間だったかもしれない。それでも未練はない方がいい。そういうシステムのようなものを始祖は狭間に織り込んでいたのだろう。


「忘れてしまえば思い出すことも焦がれることもない。ここに残された側からすれば、理にかなっている」


 現世のこと。思い出せることはまだある。家族も友人も学校も。ただふと感じてしまう。それは人間に焦がれた物語の中の出来事なのではないかと。そこに自分がいると錯覚していただけで、藍はここで、菖蒲の伴侶として生を受けて、これまで生きてきたのではないかと。


「俺には人間であるという感覚があるし、そうであるならばここで生まれたことはあり得ないと理解できる。そこで引き戻されるんだ……俺はここで生まれたわけではないと」

「そうですか」


 薄情なことだ。今頃卓也は、両親や姉、兄はどうしているのか。ここに来た時は考えていたのに、今はそれさえも考えることがなくなっている。現世の()()()()のことを思い出す回数が減っている。それだけここに藍が馴染んでいる証拠なのだろう。


「藍はおそらく守られているからなのだと思います」

「守られている?」

「私の血を、牙を受けても尚、そうしていられることが何よりも証。加奈は……もう以前のように学校でのこと、有希さんたちのことも話をしてくれることがなくなりましたから」

「持った方、なんだろ?」

「はい」


 菖蒲の妖力を受けて、狭間の世界に留まることになった加奈。人間であるという自覚はまだ持っているものの、この世界で生きていくことに疑問を抱いていない。友人もできて、明るい毎日を過ごしている。藍のことは幼馴染のように捉えているのか、これまで以上に近い距離感を取るようになった。


「それでもいい、と俺は思っている」

「構わないのですか? 現世での話ができなくなっても」

「……加奈は、ここに俺一人が残されることが嫌だと言っていた。現世に戻っても、俺だけは帰れない。一人だけ残すことに罪悪感を抱くくらいならば、一緒に残ると。俺の為ではなく自分のために」


 取り繕ったところで藍が原因なのは変わらない。でも加奈が自分の為だという言葉を偽りだと切り捨てられなかった。実際に卓也が藍の立場であったならば、藍も残ることを選んだだろう。加奈と藍は友人であってもさほど親しい間柄ではなかったが、卓也と有希という恋人たちの友人という点では同じだった。あの場で卓也が残れば有希も残ると言い出しかねない。かといって卓也も藍一人を残すことを嫌がっていた。加奈が残るといったからこそ、あの二人もすんなり現世に戻ることを決めたのかもしれない。


「藍……」

「加奈が現世を忘れたとしても、あいつを守る。どんな理由があっても」


 それが藍に出来る精いっぱいのこと。いつか藍がそれを忘れることがあっても。


「だから菖蒲……俺が忘れることがあっても――」

「わかっています。私が守ります。貴方も、加奈も。それがこの國の姫である私の役割。その身が朽ちるその時まで決して(たが)えません」


 藍の声にかぶせるように告げ、菖蒲は頷いた。次にゆっくりと藍に抱き着き、その頬を胸に寄せてくる。


「だから貴方も私に力を貸してくださいね。貴方は、私の伴侶なのですから」

「あぁ」




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