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夕暮れの観測者たち

本作は現在執筆中のプロトタイプ版です。

自分がこんなの読んでみたいというので書き始めました。

そのあたりをご了承いただけると幸いです。

 白い天井。

 微かに漂う消毒の匂いが、喉の奥をかすかに刺激した。

 柊蒼真は、無言のまま病院の廊下にある長椅子に座っていた。

 制服の袖口には、まだうっすらと砂の痕が残っている。

 握っていた刀の感触が、指先にこびりついたままだ。

 頭上の蛍光灯が、ほんの僅かにジジ……と音を立てた。

 壁際の自販機が冷却音を鳴らし、どこか遠くでナースコールが鳴っている。

カツカツカツと靴音が近づいてくる。

 足音の主が立ち止まった気配とともに、隣の椅子がわずかに軋んだ。

「篠宮くんは、今、応急処置中だ」

 落ち着いた声が隣から落ちてくる。

 顔を上げると、黒髪を後ろで束ねた眼鏡の男が、椅子に腰をかけていた。

 年齢は二十代後半だろうか。

 黒いロングコートの裾が椅子の脇で静かに揺れて、隣の空気が少し変わった気がした。

「……助けてくれてありがとう。君がいなければ、彼はもっと酷い怪我をしていたかもしれない」

「……僕は、ただ……動いただけで」

 柊の声は、どこか遠くにあった。

 言い訳のようで、違うようで、自分でもよくわからない。

 男は、そんな柊の迷いを咎めることなく、静かに頷いた。

「游木 圭。教師をやってる。君の学校の人間じゃないけど、まあ……少し、事情があってね」

「游木……先生」

「うん。そう呼んでもいいよ」

 柊はかすかに頷く。だが、その目は遠いままだった。

「……さっきのこと、誰かに話す必要はない。いや、話さない方がいい。あれは事故として処理されるから」

「でも……あれ……『鬼』って……」

 喉の奥がかすかに震えた。

 長く伸びた手足。裂けた口。赤黒い舌が地面を舐め、角が夕日を背に鈍く光っていた。

 あの時の恐怖が、皮膚の裏からじわじわと滲み出す。

 思い出したくないのに、まぶたの裏には、あの姿が焼きついて離れなかった。

「信じられないのはわかる。でもね、柊くん──これは“あり得ないことが起きた”じゃない。“あり得ることが起きた”んだ」

 その言葉に、柊は息を呑んだ。

 游木の視線はやわらかく、けれど、奥に鋼のような芯を感じる。

 そしてそのときだった。

「報告終わった。遅くなってごめん」

 軽い足音とともに、ひょいと片手を挙げて歩いてくる白髪の青年。

 夕陽が窓から差し込み、白髪が鈍く光を弾いた。

 紅の瞳。

 飄々としたその姿には、緊張感というものが見当たらない。

 游木がわずかにため息をついた。

「遅い」

「ごめんごめん」

 神邑理人は冗談めかして肩をすくめながら、柊に軽く会釈を送った。

「途中で記録整理もしてたからさ。で、状況は?」

 白髪の青年──神邑理人が、ちらりと柊に目をやる。

「よっ。柊、大丈夫?」

 軽く手をひらひらと振りながら言うその声は、戦闘時の鋭さとは打って変わった柔らかさだった。

 柊は少し驚いたように顔を上げるが、すぐにうなずいた。

「……はい」

「ちょっとだけ、席を外すね」

 神邑は自然な仕草で言い、柊の隣の游木に視線を向ける。

 二人は並んで廊下の端まで歩いていく。

 柊はその背を見送ったが、すぐに目を篠宮の治療室の扉へと向け直す。

 ドアの向こうから、かすかに器具の動く金属音が聞こえる気がした。

 距離を取った先で、神邑が声を潜める。

「女性の方は意識を失ってるだけ。軽傷だよ。精神的なショックはあるだろうけどね」

「刃衛の方は?」

「傷は深いけど命に別状はない。数週間は現場には出られないけど、運ばれてすぐ処置できたから、後遺症もないと思う」

 游木は小さく頷いた。

「助かったか。あの子たちが来てなかったら、間に合わなかっただろう」

「だね。助かったよ。あの刃衛、待ち合わせの場所に来てなくて、あっちこっち探し回ったらアレなんだもん」

「保護対象が忘れ物をしたから取りに行くと連絡があったんだが」

「え、聞いてない」

 神邑はスマホを取り出し、確認する。

「ごめん、気づかんかったわ」

「毎回言っているが、報連相はしっかりしてくれ」

「了解」

 ニコッと笑ったあとに胸ポケットからサングラスを取り出した。

 掛けようとしたところで手を止めた。

「あ、そうだ。篠宮はあっちの子だったよ。だから連絡しといた」

 游木は目を細めた。

「だから、対処できたのか」

「……正確には“しようとしてた”って感じかな。現場で倒れてる彼の状態と、柊くんの話を少し聞いて、なんとなく察しただけだけど」

 神邑は肩をすくめる。

「けどまあ、痕跡を見ればね。立ち位置と血の飛び方、それから刀の落ち方……動きも判断も、悪くなかったんじゃないかな」

「なるほどな。あの程度のケガで済んだことに納得したよ」

 游木は軽く頷きながら、ふと微笑んだ。

「ま、名誉の負傷ってやつだね」

「だったら、篠宮は刀を持っていたのか?あの場にはあの刃衛の刀しかなかったと思うが」

「刀は持ってなかったみたいよ。今月中に貰う予定だったみたい」

「それでは彼は使えないと分かっていて、刀を振るったのか?」

「だね。ホント、無茶するよ」

 神邑はニヤッと笑った。

「でも、そういうヤツはキライじゃない」

 游木もまた、クスッと笑みを浮かべる。

「ああ、私もだ」

 そして、游木が少しだけ表情を引き締めた。

「……で、柊の方は?」

「そこがね、いちばんの驚きだよ」

 神邑が視線を柊の方へ向ける。

 長椅子に座ったまま、篠宮がいる治療室のドアを見つめ続けている少年。

 その肩にはまだ怯えが残る。

 だが、それを覆い隠すように、静かな芯が灯っていた。

「彼、完全に一般人だった。しいて言うなら、篠宮の家の道場で剣道を習っていたってことくらいかな」

「それで構えることはできたってことか」

「だけど、それじゃあ“あの刀”は使えない」

 游木の眉が動く。

「封鬼刀か」

「うん。刃衛に与えられる封鬼刀には登録だ。術印に刀気を込めた血を垂らして契約する、あの手順。知ってるでしょ?」

「もちろん。登録してない人間には扱えない。下手すれば刃が鬼に通らないどころか、反発される」

「でも、柊は使った。いや──使えたんだよ」

 游木が静かに息を吸い込む。

「刃衛の刀は登録者以外には効果がないはずだ。封鬼刀もそう。ましてや、臨時使用の術なんて彼が知ってるはずもない」

「知ってるはずないさ。彼は完全な一般人。院のことも、鬼のことも、何も、な~んにも知らなかった」

「じゃあなぜ……」

「僕にも、確かなことは言えない。でも──」

 神邑は、ふと口元を引き締め、視線を再び柊へと向けた。

「僕が術で動きを止めたその一瞬、彼は迷わず踏み込んだ。恐怖を抱えていたはずなのにね」

「しかもトドメまでしっかりと、だね」

「あのとき封鬼刀が呼応してた。それも、はっきりと」

 游木が腕を組んだまま、少しのあいだ黙る。

「刀の登録を迂回する手段があるにはある。臨時起動──高位の封理師か刃衛、それか稀だけど深い適性を持つ者だけが使える裏技のようなもの」

「その秘術に匹敵する“何か”が彼の中にあるのかもしれない」

 游木の声は低く、どこか慎重に言葉を選んでいた。

「意図的にやったとは思えないけど」

「うん。だからこそ、僕は――あの瞬間を見逃したくなかった」

 神邑の横顔が、どこか静かに熱を帯びていた。

「久しぶりに唆られたよ。怖くても、迷っていても、それでも前に出た。なんの訓練もしたことがない子供が、とどめを刺したんだ」

 ククッと喉の奥を鳴らす。

「……あれは圭にも見ておいてほしかったな」

 游木は黙って神邑の言葉を聞き、ふと目を細める。

「なるほど、それは私も見たかったな……そういうのは記録じゃ残せない」

「だから“見てた”人間の判断が大事になる」

 二人の視線が、再び柊の方へ向かう。

 廊下の照明がちらつき、影がかすかに伸びていた。

 窓の外では風が木の枝を揺らし、ざわりと音を立てる。

「でも彼はこっちじゃない」

「そうなんだよね~あっちなのが残念なんだよ」

 彼の背中は、まだ小さく震えていた。

 その姿はとても『鬼』を退治したとは思えない。

 怯えた子供の姿だった。

 それでも、まなざしはまっすぐで扉の向こうの友を見つめていた。

「いっそのこと、こっちに入れちゃって、あとでごめん!知らなかった~っていうのは?」

「馬鹿言うな。報告はしているんだろ」

「まあね、篠宮がいるから流石に誤魔化せない。あの家は真面目君ばっかだからきっちり報告するだろうし」

「そうなると、あっちが動くな」

「だろうね。こんな逸材見逃すはずがない。あと柊は京衛校だしね」

 神邑が手に持っていたサングラスを掛けた。

 神邑が手に持っていたサングラスを掛けた。

「ざ~んねん。でも、コレが最後ってわけじゃないし」

 軽やかに言って笑うその声に、どこか寂しさが混じっていた。

 游木はその横顔にちらりと目をやり、肩越しに振動音を感じてポケットからスマホを取り出した。

 画面には、既読済みの報告と、未開封のメッセージが並んでいる。

 操作もせず、ただその通知の意味を読むだけで、次に起きることがだいたい察せた。

 その間に、神邑がふと窓の外に視線を向ける。

 夕方の光はすでに弱まり、外の景色は街灯に照らされて輪郭を取り戻しつつある。

 正面の病院入口前、黒い車が一台、滑るように停まった。

「……来ちゃった」

 ぽつりと呟いた神邑の声には、わかっていたのに避けられなかった、そんな残念さが滲んでいた。

 車の後部ドアが開き、黒いスーツ姿の男と、グレイのスーツの女性が無言で降り立つ。

 二人は無言のまま、病院の中へと歩を進めていた。

 神邑は小さくため息をつき、サングラスの縁を指先で持ち上げる。

「さて……お迎えが来た。そろそろお開きかな」

 游木がスマホの画面を閉じ、スリープに戻す。

「事務処理は俺がやる。君は、あの子に一言だけ伝えてくれ」

「うん、任された」

 窓の外、足早に近づいてくる二人の姿が、ガラス越しにぼやけて揺れていた。

 その風景の向こう、静かな廊下の端で──柊はまだ、篠宮のいる扉を見つめ続けていた。


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