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守りたいと思った、その瞬間に

本作は現在執筆中のプロトタイプ版です。

自分がこんなの読んでみたいというので書き始めました。

そのあたりをご了承いただけると幸いです。

 声のした方へ、柊と篠宮は走った。

 夕方の街は、すでに放課後の喧騒が静まりつつあり、人の気配はまばらだ。

 日差しの残る通りを曲がり、狭い裏道へと足を踏み入れる。

「……あっちかも」

 煉が息を切らしながら指さした先。

 古びたビルの裏手、ふだんは誰も通らない場所に、張りつめたような空気が漂っていた。

 二人が近づいた。

「……人が倒れてる」

 柊が目を見開き、駆け寄る。

 地面には、スーツ姿の男性が血を流して倒れていた。

 体には大きな裂傷があり、腕の中には意識を失った女性の姿が抱かれている。

「大丈夫ですか……!」

 声をかけるが、返事はない。

 そのすぐ傍、血の中に刃が落ちていた。

 手放されたばかりらしい。

 男の指先には、まだ刀の柄を握ろうとした形が残っている。

 そのときだった。

 生臭い風が吹き抜け、ビルの陰から黒い影がぬるりと姿を現す。

 異様に長い手足、裂けた口からは舌がだらりと垂れ、地面に赤い液体がぽたりと落ちた。

 額には角のようなものが生えていた。

 柊の背筋が凍る。

「……なに、あれ……」

 震える声でそう呟いた柊に、隣の篠宮が目を細め、息を潜めるように答える。

「鬼……だと思う。化け物ってより、もっと厄介なやつ」

「……鬼?」

 柊が小さく繰り返す。

 言葉としては知っている。

 昔話や迷信の中のものだ。

 けれど、目の前にいるそれは、まさに現実に立っていた。

「待って、それって本当に昔話とかにでてるあの……?」

 問いかける声には、恐怖と疑念、そして信じたくないという色が混じっていた。

 そのとき、篠宮が一歩、前へ出た。

 目を細め、地面に落ちていた一本の刀に目を留める。

「待って、煉、行くの? 危ないよ……!」

 柊が思わず声を上げる。

 だが篠宮は、振り返らずに短く言った。

「大丈夫」

 そう言って、静かに刀を拾い上げた。

 重みと手触りを確かめる。

 ずっしりと重く感じた。

(やっぱり、これじゃ……)

 刃に視線を落とし、ほんのわずかに表情を曇らせる。

 だが時間はなかった。

 篠宮は鬼に向かって構えた。

 剣士の動きだった。

 無駄がなく、呼吸もぶれない。

 いつもの穏やかな空気が、すっと引き締まっていく。

「煉っ、剣道やってるからってっ」

「大丈夫だ。下がってて。なんとかする」

 そう言って、篠宮は一歩前に出た。

 柊は咄嗟に腕を伸ばしかけた。

「まって、煉っ」

 止めたかった。

 けれど、その背中はもう迷いなく前を向いていた。

 鬼がゆらりと姿勢を変える。

 にじむような足取りで、ゆっくりと近づいてくるその姿は、まるで現実ではないもののようだった。

 黒く染まった皮膚、異様に長い四肢、割けた口元から垂れ下がる赤黒い舌。

 風が吹き抜けた瞬間、篠宮が地を蹴る。

 靴底が地面を削る音が静けさを裂き、体が一条の影となって駆けた。

 次の瞬間、張りつめた空気が鋭く震える。

 ひとすじの光が走り、鬼の肩に深く食い込む。

 ──斬れた。

 けれど、刃の奥で何かが鈍く抵抗した。

(……重い。硬い)

 感触が手元にずしりと返ってくる。

 篠宮は眉をひそめながら、わずかに体勢を引く。

 確かに斬ったはずなのに、鬼の皮膚の下にある何かが、刃を通さないように押し返してくる。

 次の瞬間、鬼の腕が蠢くように振り上がった。

 太く長い腕が、風を巻き込む勢いで横へと薙ぐ。

「──っ!」

 篠宮は反応する。半身を返し、身を引く。

 その動きには鍛え抜かれた流れがあった。

 だが、それでも完全には避けきれなかった。

 鬼の腕が篠宮の脇をかすめ、激しい衝撃が彼の体を襲う。

「くっ……!」

 篠宮の体が横へと弾かれるように吹き飛び、数メートルほど地面を転がった。

「篠宮っ!」

 思わず柊が叫んだ。

 篠宮は地面に膝をつき、顔をしかめながらもなんとか体を起こそうとする。

 服の袖が裂け、肩が赤く染まっていた。

 だが、その目はまだ鬼を捉えて離していない。

 遠くなった距離の先で、鬼がにたりと嗤ったように口を歪める。

 じわりと、再びその巨体が篠宮ににじり寄っていく。

 そのとき、金属の音が鳴った。

 何かが転がり、跳ね、そして柊の足元に、刀が突き立った。

 篠宮が先ほどまで握っていたもの。

 鬼の一撃で吹き飛ばされた拍子に、彼の手から離れたのだろう。

 土に深く刺さった刀身が、まだ淡く揺れていた。

 柊の鼓動が、またひとつ、大きく鳴った。

 恐怖と焦燥の中で、柊はその柄を握りしめる。

 鬼が篠宮に向かって歩を進めていた。

 体が勝手に動いた。

「やめろ!!」

 叫びとともに、柊は刀を振り抜いた。

 刃が鬼の胸元を切り裂き、淡く光る。

 鬼がたじろぎ、距離を取った。

 息を荒げる柊の隣に、ふいに白い影が滑り込んできた。

 真っ白な狐。尾を翻し、素早く鬼の脚を引っかく。

「よく踏みとどまったね」

 静かな声とともに、青年が現れる。

 真っ白な雪のような髪。

 そして、真っ赤なルビーのような瞳。

 長身の彼は、まるで空気を切るように歩み寄ってくる。

 柊の肩が小刻みに揺れている。

 呼吸はまだ浅く、刀を握る手がわずかに震えていた。

 その様子を一瞥した青年は、ふと視線を柊の胸元へと下ろす。

 ブレザーの左胸。

 そこには、二本の刀が交差するようにデザインされた校章の刺繍が、夕日を受けて微かにきらめいていた。

「……君は、京衛の生徒か?」

 落ち着いた声が、風のように静かに響く。

「えっ……? あ……はい」

 息を整えながら柊が答えると、彼は軽く頷いた。

「手伝ってくれるなら、その刀、もう一度構えてくれるか。僕が動きを封じる」

 言葉の意味は完全には理解できなかったが、柊の手は自然と柄を握り直していた。

「ちょっとだけ、下がっていて」

 男の声が、風のように静かに響いた。

 だがその言葉には、抗いがたい強さがあった。

 狐が地を滑るように駆け、鬼の目前でくるりと宙を舞う。

 尾が閃光のように一閃し、風を巻き上げた。

 続けて男の手がが宙に舞い、指先が印を切る。

「僕の可愛いコ、ソレを逃がすな──『縫縛陣』」

 足元に展開される六芒の陣。

 淡く光る術式が地面を這い、鬼の周囲に光の糸が奔る。

 唐突に鬼の足が止まる。目を見開き、咆哮を上げたその体を、目に見えない鎖のようなものが幾重にも絡め取っていた。

「っ……ぐぅ……」

 抵抗するたび、光の糸が締まり、軋むような音を立てる。

「今だ」

 男が振り向かずに言った。

 柊の呼吸が一度止まる。

(僕が──やるのか)

 体が震えていた。

 足が、腰が、指先が、全身が警告を発していた。

 だが、同時にどこかで火が点いていた。

 篠宮がやられた。

 誰かが傷ついた。

 このままでは、また……。

 握る刀に、もう迷いはなかった。

 柊は一歩、また一歩と鬼へと歩み寄る。

 その眼には、はっきりと宿っていた──意志の光。

 鬼がこちらを見る。

 赤く濁った瞳が、柊の姿を捉える。

 牙を剥いた口が開く。

 唸るような咆哮が喉から漏れる。

 だがそれを、柊は睨み返した。

「ここで……終わらせる!」

 地を蹴る。

 男の狐が再び駆け、鬼の動きをほんのわずかに封じた。

 その一瞬の隙を逃さず、柊の体が一直線に飛び込む。

 刀が、風を切った。

 光が走る。

 斬撃は、正確に鬼の胸元──仄かに光る胸へと突き立った。

「っ……!」

 鬼の動きが一瞬、止まる。

 次の瞬間、鬼の身体が内側から崩れ落ちた。

 黒く濁った瘴気が噴き出し、霧のように溶けていく。

 静寂。

 柊の肩が上下に揺れていた。

 荒い呼吸を繰り返しながら、それでも立ち続けている。

「……よくやったね」

 男がようやく近づき、静かに声をかける。

 柊は返事をする代わりに、刀をそっと地面に置いた。

 手のひらが震えている。

 緊張が解け、全身から力が抜けた。

「君がいなければ、間に合わなかった。ありがとう」

 言葉に込められた重みを、柊はまだ受け止めきれなかった。

 ただ──胸の奥が、じんわりと熱くなっていた。

(僕が……助けれたんだ)

 手の中の感触がまだ残っている。

 それが、誰かを救ったという確かな証だった。

 風が吹いた。

 春の気配を乗せた風が、鬼の瘴気を払い、沈んでいた街をゆっくりと包んでいく。

 静けさが戻った空気の中で、男がふと立ち上がり、柊の隣に立った。

 手についた砂を軽く払うようにしながら、ぽつりと口を開く。

「……そういえば、名乗ってなかったね」

 軽く笑って、前髪を指先でかき上げる。

 その瞳には、どこか飄々とした光が宿っていた。

「僕は、神邑。今はちょっと、こういう役をやってるだけ。あんまり気にしなくていいよ」

 その軽さは冗談のようでいて、柊の気持ちを和らげるような温度があった。

 柊は少しだけまばたきをしてから、「……そうなんですか」と息を混じえた声で返した。

 まだ震えの残る手を見下ろしながら、それでもどこか、安堵したような顔を浮かべていた。

 風が一度だけ、静かに吹き抜ける。

 ほんの数秒の静寂が、ようやく終わったことを告げるように、どこか遠くで誰かの足音が響いた。

 重くもなく、急ぎすぎるでもない、落ち着いた歩調だった。

「……ずいぶん派手にやったな、理人」

 低く落ち着いた声が、静けさの中に溶けた。

 姿を現したのは、整った顔立ちに眼鏡をかけた長身の男だった。

 片手には、使用されたばかりの術符がいくつか残っている。

 けれど、その出番は結局なかったようだ。

「遅いよ、圭」

 神邑が肩をすくめて言う。

「……そっちがきっちり抑えてたから、出る幕なかったよ」

「たまたま、いい助っ人がいてね」

 神邑がちらりと柊を見る。

 その視線に気づき、眼鏡の男もゆっくりと歩み寄ってくる。

「君がやったのか?」

 柊は、少し間を置いてから頷いた。

「……はい。でも……あの人が、動きを止めてくれたから……」

 静かに頷いた男の視線が、柊の手元へと落ちる。

 まだわずかに震えている指先を見下ろし、静かに言葉を継いだ。

「それでも、刃を振るったのは君だ。よくやった」

 その一言に、柊はまばたきをして、小さく「ありがとう」と返す。

 次の瞬間、はっとしたように顔を上げると、転がっている篠宮のもとへ駆け寄った。

「煉……大丈夫、怪我……っ」

 地面に膝をつきながら声をかける。篠宮はうっすらと目を開け、苦笑するように頷いた。

「……平気。かすっただけ……ちょっと飛ばされたけど、骨は折れてない」

 その声に、柊の肩がほんの少しだけ緩んだ。

「……無茶は、しないようにな」

 眼鏡の男はそれだけ言うと、ゆっくりと離れ、倒れていた人たちの方へ向かった。

 神邑がその場に残り、そっと柊の傍にしゃがむ。

「しばらく動かない方がいい。緊張が抜けた今は、身体の感覚がぶれているはずだ」

 柊はこくりと頷き、荒く上下する自分の胸に手を当てる。

 まだ速く打つ鼓動を感じながら、そっと目を閉じた。

 遠くでパトカーのサイレンのような音が聞こえた気がした。

 空はすっかり、春の光を残したまま夕暮れへと向かっていた。

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