第8話 リコッタの恋愛事情
「それで、これからあたし達、どこに行こうか?」
レイナちゃんのその一言でわたしは現実に引き戻される。そうだ、実質的に屋敷を追い出されたわたしと(自称)25年後の未来から来たレイナちゃんに行く宛てなんて特にないんだった。
「ママはこの時代の人なんだし、何か宛てとかきっとあるよね!」
レイナちゃんの期待に満ちた眼差しが痛すぎる……! 正直病気のせいでこれまでの人生の大半を自分の部屋のベッドで過ごしてきたわたしはこの時代の生まれだけど、ここがどこかすらわかってないんだけど……。
「この時代なら野宿でも凍死しないだろうけれど、できれば廃墟を探して雪を凌げるところで寝たいよね」
「凍死とか雪って……レイナちゃん、ほんとにこれまでどんな環境下で生きてきたのよ。しかも今、夏だよ?」
レイナちゃんの言葉にわたしはすかさずつっこんじゃう。そういえばこれまで気にする余裕がなかったけれど、レイナちゃんはごわごわしたコートにマフラー、ブーツといった完全防寒の装備に身を包んでいた。そんなレイナちゃんの装備からレイナちゃんの話す「太陽の死滅した終末世界」はよっぽど極寒の環境だったんだな、って言うのが伺われる。そしてそれと同時に、絶賛真夏の真っ盛りの今そんな恰好でいたらめちゃくちゃ暑そう。見てるこっちまで汗ばんできちゃう。
「そういやレイナちゃん、そんな格好して暑くないの?」
わたしに言われてレイナちゃんもようやく自分が夏には似つかわしくない暑苦しい恰好をしてることに気づいたみたい。
「あー、さっきからちょっと頭がくらくらすると思ってたら暑いのにこんなに重ね着してるからかぁ」
「くらくらするって、それきっと熱中症だよ! 早く服脱いで!」
「ママはせっかちだなぁ。そんなに急かされなくたってちゃんと今脱ぐって。
【術式略式発動_被服爆散】」
慌てるわたしなんかどこ吹く風、といった様子でのほほんと詠唱を唱えるレイナちゃん。そんなレイナちゃんの詠唱に、わたしの頭に一抹の不安が過る。
――ん? 詠唱の呪文がちょっとおかしいような……。
そう思った時にはもう手遅れだった。
レイナちゃんが詠唱を終えた途端……レイナちゃんがそれまで纏っていた衣服は文字通りはじけ飛んでレイナちゃんは下着以外、ほぼ生まれたままの格好になっちゃったんだから。
露わになったレイナちゃんの白い素肌。その身体つきは過酷なところで生き抜いてきたからか程よく筋肉がついた、健康的なものだった。そんな女の子の肉体美をまじまじと見られるとかここは天国かな? なんかだんだん変な気持ちになってきちゃ……。
「じゃなくて! レイナちゃん、それは夏でも脱ぎすぎ! というか公衆の場でそんな格好して恥ずかしくないの⁉」
目のやり場に困って両手で顔を覆いながらわたしは必死にレイナちゃんに抗議する。……もちろん指の間からレイナちゃんの露わになった素肌を覗いたりしてないよ? ホントダヨ……。
でもそんなわたしの抗議にレイナちゃんは殆ど動じた様子もなく
「別に人に見られて恥ずかしいような身体はしてないと思うけど……無駄な贅肉はあんまりついてないし」
と、さらっと言ってくる。う、その肉体で言われると説得力が……でもなくて!
「レイナちゃんがいた時代はどうだったか知らないけど、女の子は自分の素肌を見せるのを普通は恥ずかしがるものなの! それに見せられてるこっちの身にもなってよ。目のやり場に困っちゃう」
「それにしてはママ、さっきからニヤつきながらあたしの裸をガン見してるような気がしてるんだけど……」
「!」
えっ、嘘。わたし、そんなに欲望を隠しきれてなかった……? じゃない。
「み、ミテナイヨ……」
震えたカタコトで答える。レイナちゃんは暫くそんなわたしをジト目で見つめた後。
「これまではそもそも見られる人もいなかったから外で裸になることについて考えたこともなかったけど……うん、確かにこの格好はちょっと身の危険を感じるかも。せめて薄いカーディガンを羽織ることにするね。」
「この微妙な空気やめてぇぇぇぇ!」
わたしの悲痛な叫びが夜の森に響き渡った。
◇◇◇
閑話休題。
あの後。互いにいたたまれなくなったわたし達は「とりあえず休めそうなところを探して歩こっか」というレイナちゃんの言葉で、互いに言葉数も少なく歩き始めた。
因みに先導するのはレイナちゃんの方。なんでもレイナちゃんは幽霊とお喋りできる特殊能力があるみたいで、そこら辺に漂っている幽霊さんから森の奥に、今はもう寂れてしまった教会があることを教えてもらったみたい。
幽霊と喋れるとかタイムトラベルや魔王以上にオカルトの話で俄かに信じがたかったし、誰もいない虚空に向かって一人喋りかけるレイナちゃんはなかなかシュールだったけれど、この時のわたしはもう既にそこにツッコミを入れるほどのメンタルポイントが残っていなかった。わたしだって特に行く宛てがあるわけじゃないし、今はその幽霊さんとやらの話を信じて歩くしかない。
「あのさ。ママってもしかしなくても女の子のことが好きなの?」
黙々と歩く中。思い出したようにレイナちゃんが聞いてきてわたしは吹き出しそうになる。
「な、なんのことかな……?」
「もうとぼけなくてもいいよ。時々、ママのあたしを見る目が野獣の目になるのはうすうす気づいてきたし、例の妹さん――アノンさん? にも姉妹以上の、女の子として好きになっちゃったからこそ、捨てられた時の絶望が深かったんでしょ?」
図星以外の何物でもない指摘に、わたしは答えに窮して夏の夜空を仰ぎ見ちゃう。
レイナちゃんが言うとおり、わたしは多分、いわゆる同性愛者……なんだと思う。
アノンちゃんを女の子として意識し始めてから女の子にしか興味がなくなっちゃったのか、それよりも前からわたしは女の子に対してしか恋愛感情を抱けなかったのか、どっちが先だったのかは今となってはわからない。
けれどわたしは、気づいたら女の子しか性的な目で見られなくなって、女の子しか恋愛感情を抱けなくなっていた。
そんなわたしがこの世界においていかに歪で異端か、ということは自分でも重々わかっている。この世界は異性愛規範が普通で、特に貴族社会は一族の血を後世に繋がなくちゃいけないからその傾向が一般市民に比べて強い。そんな世界の、世継ぎを成すことを生まれながらに人生最大の使命と課されている公爵家の令嬢が女の子にしか性的な興味を示せないなんて許されない。
そう思うと生まれつきの病弱体質があろうとなかろうと、わたしは公爵家にとっての欠陥品で、リーフフェルトさまの婚約相手として失格だったのかもしれない。
「……気持ち悪いよね。女の子のくせに女の子が好きなんて。そして、女の子であるわたしから性的な目で嘗め回すように見られるなんて。しかもそれが一般庶民ならまだともかく、他の貴族の男子との結婚を運命づけられた公爵家の第一令嬢が、だよ? ほんと、滑稽だよね」
自嘲気味な笑みが自然と漏れる。そしてレイナちゃんからも「ママ、きもちわるーい」とかって言葉が返ってくるんだろうな。そんな風に覚悟した。
でも、そんな答えはいつまで経っても返ってこなかった。代わりに、レイナちゃんはしんみりとした調子で言う。
「うんうん、別にそんなに気にしてないよ。でも……恋って女の子と男の子でするものだと思ってたから、ちょっとびっくりしちゃって。――そして、そんな夢中になれるものがあるママのことが、ちょっと羨ましいかも、なんて」
そんなレイナちゃんはなんだかこれまでの無邪気で悩みなんて何もなさそうなレイナちゃんとはちょっと別人のように思えた。
「えっ?」
思わず聞き返しちゃうわたし。するとレイナちゃんははっとしたような表情をして、それからちょっと気恥ずかしそうに頬をポリポリと掻く。
「あたし、もちろんママに会うことも目標だったけれど……人がまだたくさん生き残ってるこの時代で恋人を作ることも目標なんだ。だから女の子が大好きで、初恋で一喜一憂して、恋に一生懸命なママがちょっと羨ましくて。――あたしもいつか素敵な彼女、もしくは彼氏を作って、思いっきり恋愛できるかな?」
こちらを振り向いて満面の笑みを振りまいてくるレイナちゃん。
――えっ、これ今わたし、告白されてる?
もちろんそんなことないってわかり切ってる。でも、ほんの一瞬だけ、そんなことを思っちゃった。期待しかけちゃった。
胸がとくん、と大きく脈打つ。それはさっきまでレイナちゃんに感じていた『女の子一般』に対するときめきとは、ほんの少しだけ意味が違う。ほんのりと顔が熱くなる。
――大好きな人にも婚約相手にもフラれたばっかりなのにわたしが勘違いしそうになるなんて、これじゃわたしが尻軽女みたいじゃん。それもこれも、レイナちゃんがアノンちゃん張りに顔がよすぎるからいけないんだよ、バカ。
火照った顔をレイナちゃんに見られたくなくて俯いたまま、わたしはそんな理不尽なことを毒づいた。
レイナって殆ど人間の生き残っていないところで独りぼっちで生きてきたので羞恥心とかそういうところも現代の感覚とバグってるんですよね。それだけでなく今を生きるわたし達が当たり前に享受しているいろんなものが珍しくて、感動できる。
大筋の華時としてはやっぱり魔王討伐とかになってくるのですが、レイナと、女の子にしか恋愛感情を抱けない貴族としてははみだし者だったリコッタの関係がこれからどうなっていくのかも見守っていただけると嬉しいです。