第35話 処刑前夜(ミモザ視点)
"教会"の総司令部たる教皇庁の敷地内にある第一種有罪聖職者収容所。ここでは罪を犯した元聖職者の中でも特に精霊系魔法の適性が高い危険度の高い囚人を収容しています。そんな収容所の最下層にある牢獄の隅で体育座りしながら、私はひっそりと刑が執行されるその瞬間を待っていました。
着替えさせられた囚人服は生地が薄くて、むき出しのコンクリートの冷たさが直に伝わってきます。そんな冷たい感触に私の心まで段々と熱を失っていきます。
――私の人生って、一体なんだったんでしょう。
心が冷え切っちゃっていたせいか、もう何度考えたかわからない、そんな考えても仕方のないことが頭をよぎります。
私は物心ついた時から教会の中にいて、周囲から「聖女になるべき人間だ」と言われ続けてきました。聖女となる教育を受け、精霊系魔法で"教会"に言われるがままに、人々に手を差し伸べてきました。そして人に手を差し伸べ続けて、間もなく聖女の中でも最高峰の地位にあるとされる大聖女に任命されました。
でも、最高峰の地位と言ってもあくまでそれは教会にとって私が「最も有能な道具」になった、というだけのこと。大聖女は余計なことを考えなくていい、考えてはいけない、そう言われ続け、私に人権なんてありませんでした。
だから、そんな道具である私は自分の魔法で誰かが笑顔になることに対して「嬉しい」なんて感情を抱くこと自体がそもそもいけなかったのでしょう。けれど、私は自分の魔法で感謝されることの喜びを知ってしまいました。そして、ときたま教会の指示がなくても私は困っている人のために自分の精霊系魔法を使うようになりました。
孤児院を助けたり、嵐が来るのを予告して避難を呼びかけたり。そんな私に、多くの人が笑顔になって感謝してくれました。教会としては内心、そんな私のことが面白くなかったんでしょう。ただ、明確な教会への敵対行為とは言えないし、私の活動でむしろ教会への信仰心が篤くなっているところがあったから、ある程度までは見逃されてきました。けれどその信仰心が大聖女である私個人に向くようになってから、風向きは変わりました。そして私は無理やり罪を擦り付けられ、大した弁解の機会も与えられずに死刑が決まりました。
処刑されるのが怖くて、私は一度は逃げ出しちゃいました。そして逃げ出した先でリコッタさまとレイナさまに会って、これまで自分の意思なんて持つことが許されなかった私に、2人は「生きたいように生きていいんだよ」とまで言ってくれました。だから私だって一度は、好きなように生きる人生を夢見てしまいました。けれど。
どんなに逃げても犯した罪は消えない。どんなに逃げても"教会"からは逃れられない。異端審問官の二―ニャさんの襲撃を受けたとき、私の一瞬思い描いた夢はすぐに潰えました。そして、ここから逃げてもまた"教会"は絶対に私を追いかけて、殺そうとするんだろうなと思うと、なんだか疲れてきちゃいました。だとしたらせめて、私に優しくしてくれた人たちを巻き込んでしまう前に教会に捕まろう。捕まって、然るべき罪を受けよう。そう思って私は、無抵抗で二―ニャさんに捕まることを選びました。
「これで私が見せしめとして死んだら、きっと教会にとってはいい反面教師になるはずです! 力に溺れ、人から感謝されることに嬉しいと感じてしまった、考えなくていいことを考えてしまった不良品が最後にどんな目に遭うのか、主を差し置いて信仰の対象となりかけた主への反逆者がどうなるのか。それをみんなの目に焼き付けることで、きっと私みたいな間違いを犯す人はいなくなります。そのために、私の人生はあったんです。それでいいじゃないですか」
無理やり明るい声でそう言って自分を納得させようとしてみます。でも、やっぱりそんな納得できていない理屈で死を受け入れることは容易ではありませんでした。
「……もう今の私には教会が正しいことをしているとは思えません。教会はあくどくて、自分たちの利益しか考えてなくて、本当の意味で人の役に立つことなんてできていない。そんな教会のルールなんてどうでもいいですよ……」
つい漏れ出てしまう本音。
「でも、犯した罪は逃げたところで消えるわけじゃない。罪は正しく罰せられなくちゃいけない。そうしないと組織が瓦解するのは、何も教会に限った話じゃない」
鉄格子の外から声がします。驚いて声のした方を見ると、そこには一度逃げた私を捕まえてここまで連れてきた二―ニャさんが立っていました。いつの者無表情なままで。
「そしてあなたが"教会"に属する人間であることは、たとえ大聖女という立場を追放されても消えない。いつまでもあなたについて回る。どんなにあなたが教会を振り切ったとしても、その二つからはいつまでもあなたは逃れられない」
「……それはそうですね」
二―ニャさんの言うその二点だけは、私としても賛同せざるを得ません。きっとこれから教会から逃れながら生き続けるとしても、物心ついた時から刷り込まれた教会への帰属意識やリコッタさまにしてしまった罪の意識は薄まりこそすれ、完全に消えることはないんだと思います。そんな中で生きていくのはきっと辛いから、むしろ死刑に処してもらえるのはある種の解法なのかもしれません。
――辛いのに耐えかねて死というある種の救いを選んじゃうなんて、やっぱり私は救いようのない愚か者ですね。
そんなことを私は内心、独りごちました。




