第22話 毒牙の陸冥卿 そのいち
今回、◇◆◇の前後で第三者視点→レイナ視点に切り替わります。いよいよバトル回です!
その日。エルザ・クラウンはエグドラシア王国王都の中心にある高級ホテルの一室で王都を見下ろしながら、朝から赤ワインをたしなんでいた。
彼女のことを名前で呼ぶ人間は殆どいない。定義魔法【万病毒殿】に目覚めて間もなく。人はその強力すぎる魔法に因んで彼女のことをこう呼ぶようになった。『毒牙の陸冥卿』、と。
魔法定義魔法を発現させた当初の頃。エルザは自分のことを定義魔法にちなんだ名前で呼ばれるのが嫌いだった。世界中が自分の定義魔法以外の要素を、親が付けてくれた大切な名前を否定しているように思えたから。
しかし、それももう十何年も前のこと。20代後半になった彼女は既にそんな感覚も摩耗してしまって、毒牙の陸冥卿と呼ばれることに慣れ切ってしまっていた。自分ですら自分の名前を忘れることがよくある。そして摩耗してしまった感性は名前に対する拘りだけではなかった。
定義魔法【万病毒殿】を使えば幾らでもお金は稼げるからお金に困ることはない。世界最強の陸冥卿の一角である彼女は一国の軍隊を1人で壊滅させられるだけの力を持っている。だからそもそも喧嘩を売ってくる人間なんてない。エルザの人生は何の刺激もなく、ただただヌルゲーだった。
今もこうして、今回の依頼がそろそろ終わりそうだから成功報酬を受け取りにきてほしい、と依頼主であるエグドラシア王家に言われたからエグドラシア王国王都に訪れているが、そこにエルザのこだわりは一切ない。
「――つまらないわね」
あくびをしながらそう呟いた時だった。
首筋に冷たい感触が伝わり、エルザに一瞬だけ、いつ振りかも覚えてない緊張感が走る。だがそれと同時に、自分の中で何かが滾るのをエルザは感じた。
――このホテルのセキュリティはエグドラシア王国でもトップクラスのはず。それをかいくぐってきたってことは定義魔法クラスの空間操作魔法で直接転移してきたってことかしら? いずれにせよ、久々に面白くなってきたじゃない。
ニヤリと笑うエルザと対照的に銀髪のテロリストーーレイナは氷のような冷たい目でエルザの首元にナイフを突きつける。
「あなたが毒牙の陸冥卿――エルザ・クラウンだよね? 死にたくなかったら、あなたが15年前にママーーリコッタ=エン=パトラリカにかけた【呪詛】を解除して。できるならあたしは、あなたの命なんて奪いたくない」
「くふふ、へんなまぐれもあるものね。15年越しに終わる仕事の報酬を受け取りに来たところで私が呪い殺す相手の身内が襲ってくるなんて。いや、15年越しに終わりかけてるから今、必死になって私に魔法を解除させようとしてるのかしら?」
「……何が可笑しいの。あなた、今の状況が分かってる? 今のあたしはすぐにでもあなたの首を掻き切れるんだよ。術者が消えればどんな呪詛魔法だって解除される。だからあなたが解除しないならあなたのことを殺してでも」
「あなたの方こそ状況が分かってないみたいね。こんなもの、私には何の脅しにもならないってことを」
次の瞬間。あろうことかエルザはちょん、と自分からレイナの手にしたナイフに自分の首を押し当てていった。
ナイフに滴るエルザの血。彼女の血液がナイフに付着した途端。
【概念定立_【万病毒殿】_種別選択_【腐敗菌】_媒介選択_”血液”_再定義開始】
エルザの血液にあらかじめ埋め込まれた術式が自動発動し、金属製のナイフが一気に腐食する。その腐食が及ぶ直前でレイナはナイフを投げ捨てる。
「ッ! やっぱ近接戦は無理。ミモザ、魔法をガンガン打って戦えるところに転移させて!」
「はい、レイナさん!」
【概念定立_【時空】_種別選択_【空間転移】_行先選択_”森林”_再定義開始】
――やっぱ高度な空間魔法の使い手がいるのね。
エルザが不敵にわたった瞬間。部屋全体が眩い魔法光に包まれた。
◇◆◇
奇襲に失敗した直後。本格的な戦闘だとしたら密室は不利だと判断したあたし達はすぐさま毒牙の陸冥卿を巻き込んで屋外――教会の近くの森まで強制転移してくる。そしてそれと同時に。
【術式定立_【身体超強化】_種別選択_【細菌・毒耐性】_対象選択_”me”_再現開始】
「即効性のウイルスや毒を精製・ばらまく定義魔法を使う私とし宇内でやりあうのは不利と判断して屋外に退避し、それと同時にもともとかけていた毒・ウイルス耐性魔法を更にかける。ちゃんとしてるね」
あたしの詠唱に感心したように言う毒牙の陸冥卿。こっちの魂胆を全て見抜かれているようで正直むかつく……。
「レイナさん、相手のペースに飲まれちゃダメです。そんなことになったら、格下の私達に確実に勝機は」ありません」
「わかってるよ!」
【術式定立_罪人を焼き尽くす業火_対象選択_"PGP"_再現開始】
ミモザにそう答えながらあたしは毒牙の陸冥卿に照準を絞って炎系一般魔法の最上位に位置する帝級一般魔法【業火】を発動させる。本来ならば全身大火傷を相手に追わせて相手を問答無用で行動不能にし、一般治癒魔法での治癒も不可能ではないけれど治療には大量の魔力を要する魔法。人を捕縛するのに使われるにしても最後の最後の手段として使われ、なるべく使用が差し控えられている魔法。あたしだって幾らママの
敵とはいえ、人相手に使うのにはちょっと抵抗があったくらい。でも、それだけの攻撃を受けながらも毒牙の陸冥卿は
「うー、ひりひりする。まあ私相手に高温処理というのは間違ってないわね。いかなるウイルスでも高温には耐えられないもの。
【概念略式発動_薬剤投与】」
と痛がりながらも殆ど火傷の跡はなく、残っていた火傷の痕も一瞬にして治癒される。その光景にあたしは目を見開いちゃう。
「まさかあなた、毒だけじゃなくて薬も造れるの……?」
「毒と薬は容量によって紙一重だからね。だから私は即死でもされない限り不死身よ? どんな傷やどんな火傷を負っても瞬時に治癒役を精製し、自分に投与して治癒できるもの」
さらっと不死身という言葉を口にする目の前の女の子に、あたしの中でふつふつと怒りが沸き上がる。
「……そんな自分は死の危険がない上に多くの人を病気や毒から救える力を持ってるのに、なんでママを病気で苦しめたりするの?」
「? そんなの、殺しの依頼を受けた方が儲かるからに決まってるじゃない。それに、他人が幾ら苦しんでいたって私は苦しみも、痛みも感じない。そんな相手に何を感じろと? むしろ私の毒や病苦で苦しみもがいている『選ばれもしなかった人間』を高みから見下ろすのは滑稽じゃない?」
なんの疑問も抱いていないかのように言い放つ陸冥卿にあたしは悟る。
これまでのあたしは正直、対峙している女の人を殺すことにほんのちょっとだけ躊躇があった。幾らママに酷いことをして、世界を滅ぼしちゃえる力を持ってると言っても、彼女だって同じ人間だから。でも今、はっきりと分かった。今あたし達が目の前にしてるのは……人の皮を被った悪魔。
「あなた以外の他の人は病気やケガだってそんなにすぐに治らないで、長い間苦しんでるんだよ!? しかもママの場合は、生まれてからずっとずっとあなたにかけられた呪いで苦しめられて、やりたいこともいっぱい我慢させられた! なのに、なのに……あなただけ半不死身だなんて、世の中不平等すぎるよ……。やっぱりあなたのことは許せない」
「普通の人が食らってたら大火傷で最悪死んでたかもしれない帝級魔法を真正面からぶっぱなしといて、よくそんなことが言えるわね? 今度は私から行かせてもらうわよ」
【概念定立_【万病毒殿】_種別選択_【神経毒】_対象選択_”tgp”_再定義開始】
彼女が詠唱した瞬間。
「ぐはぁっ、はあ、はあ……」
急に全身に痺れが回ってあたしはその場に膝を付いちゃう。全身が熱くて異常なほど心臓の鼓動が早まる。胸が爆発しそうなほど苦しい……。
「ミモザさん、大丈夫ですか⁉」
【術式略式発動_邪悪を洗いながす浄化】
いきなり苦しみ出したあたしにミモザは駆け寄って解毒の精霊系魔法をかけてくれる。でも。
「うわあああ!」
解毒の魔法のはずが更に全身の痺れが酷くなる。
「な、なんで……」
「くふふふ。どう? 私とっておきのブレンドの神経毒は。即効性で全身に回る強力な毒素だけでなく、本来は独の効果を打ち消せる聖職者の浄化の力が強ければ強いほどそれに反発して毒が強まる特別仕様にしてみたの。仲間に私の定義魔法と相性のいいはずの精霊系魔法を使うシスターがいたら私に勝てるとでも思った? 残念! 聖職者どもなんて最初から陸冥卿の敵じゃないのよ。それは教会最強戦力と言われる大聖女を出してきたところで変わらないわね」
勝ち誇ったような笑みを浮かべる毒牙の陸冥卿。そんな彼女に、あたしはぐっと下唇を噛んだ。




