第17話 母と娘の初デート 後編(レイナ視点)
鈴のついた扉を開けた瞬間、来店を告げる鈴の音とともに香ばしいバター? の香りが鼻孔をくすぐってくる。
「って、ここにあるの全てパンなの⁉︎」
ショーケースに入れられた30種類以上のパンを目の前にしてあたしは目を見張っちゃう。
「そうみたいだね。わたしも街のパン屋さんに実際に来るのははじめてだけど……食パンから総菜パン、菓子パンまで、いろんな種類のパンがこの店にはある。わたしのおすすめは……何になるんだろ」
ママの話を聞きながらショーケースに目を走らせていると。あたしの目はとあるパンに引き付けられる。それは、渦巻きみたいな形に練り上げられ、真ん中にこげ茶色のクリームが入れられている一品だった。
「これは……」
「レイナちゃん、チョココロネが気になるの?」
ちょこころね。その単語に、とくん、とあたしの心臓は大きく跳ね上がる。それは、名前だけはミモザからの話で幾度となく聞いたことがある食べ物だった。
「……あたしが元居た時代がめちゃくちゃになったのはね、『魔王』の『ちょこころねからチョコレートを抜く魔法』によるものだったんだって」
あたしの言葉にママはごくり、と息を飲む。
「ごめんなさい、だったらあんまりいい思い出はないよね。他のパンを」
「うんうん、そういうことじゃないの」
「えっ?」
あたしの否定に、ママは戸惑ったような表情を浮かべる。
「あたし、物心ついた時から魔王が世界を滅ぼした魔法として『チョココロネ』の話を聞いてきた。でも、あたし自身はチョココロネなんて見たこともなければ食べたこともなかった。どんな味がするんだろう、ってずっと思ってた。チョコ自体、人造魔導食糧のチョコ味でしか知らなかったからね。だから、ここで出会えたならせっかくだし食べてみたいかな、なんて」
あたしのその言葉にママは嬉しそうに目を細めて、それから軽くウインクして言う。
「じゃ、今日のお昼ごはんにチョココロネ買っていこう。きっと、レイナちゃんが想像しているよりもずっとずっと美味しいから」
悩んだ末、あたしはチョココロネに加えてメロンパン・チョコクロワッサンにピザトーストを選んだ。因みにママのセレクトはツナサンドにアップルパイ。
あたしとイチカちゃんはパン屋さんの紙袋を抱えて燦燦と夏の太陽光が降り注ぐ川辺へとやってくる。涼しげな水のせせらぎが優しく耳を撫でる。
「レイナちゃん、そんなに買って全部食べれるの? というか太らない?」
「食べる分には大丈夫! それにあたし、体型とか全然気にしないし。むしろ、もしもの時に備えて脂肪は付けられるだけつけておいた方がいいし!」
「レイナちゃんの言う『もしも』の時はこの時代じゃ、ほぼ100パーセント来ないと思うよ……。食べ過ぎてお夕飯入らなくなったって知らないからね」
「わかってるって!」
そう答えつつ、まずは今日一番の運命の出会いだったチョココロネを手にとる。
こんがりと焼き目のついた生地に優しく包まれたドロッとしたクリーム。これがきっと、「チョコ味」じゃない本物のチョコレートなんだよね。そんなチョココロネを太い方から一齧りした瞬間。口の中で深みのある甘みが広がる。
——チョコってこんなに美味しいものだったんだ。こんなに美味しいのに、なんで『魔王』はチョココロネからチョコレートを抜く魔法なんて使ったりしたんだろう。チョコがなくなったら、ただのコロネになっちゃうのに。それに……こんな魔法で、どうやって世界は滅んじゃったんだろう。
チョコの甘さを噛み締めながらそんなことを考えていると。
じぃっとママがあたしのチョココロネを見つめてる視線にあたしは気づいた。
ママも食べたいのかな。そう思って、チョココロネの反対側の先っぽを少しちぎってイチカちゃんに差し出す。
「ママもちょっと食べる?」
「べ、別にねだっていたわけじゃなくて! ただ、念願叶ってのチョココロネだからかレイナちゃんがおいしそうに食べてるなぁ、って思っちゃっただけで! それに……」
そこでママは言葉を濁す。
「あっ、ママ、チョコレート苦手だったりした?」
あたしのその問いにママは「あっ、うん」と曖昧に頷いただけで、結局あたしから差し出したチョココロネを受け取ることはなかった。
——そして結局、あたしはお昼御飯用に買ったパンを全部食べることができず、なくなく今日のお夕飯になりましたとさ。
お昼を食べた後、もう少しウインドウショッピングなどをしているうちに日が傾いてきた。そろそろ教会に時間かな。そうあたしが切り出そうとした時だった。
「今からもう一か所だけ、付き合ってくれない?」
唐突なママの意味深な台詞に、あたしはつい首を傾げちゃう。
「もう一箇所って、今から? もうお日様が沈んじゃうよ?」
「沈む直前だからいいんだ。でも、もたもたしてると間に合わないかも。行こ」
不意にママがあたしと手を繋いでくる。繋いだ手から伝わるママの柔らかさと温もり。それにトキマギしちゃって、あたしは何も考えられなくなっちゃった。
それからママに手を引かれること三十分ほど。
あたし達が辿り着いたのは街の中心部からは離れた小高い丘の上にある時計塔だった。年季が入り、時計の針は六時半を差したまま止まっていてひっそりとしている。そんな時計塔のレトロな螺旋階段を上り切り、展望スペースに降りた瞬間。
「――!」
夕日によって茜色に染まる街の景色に、あたしは言葉にならない声を漏らしちゃう。昨日教会の一室から見た夕日も、ものすごくきれいだった。けど、高いところから街を見下ろしながら眺める夕日は、また格別だった。
「喜んでくれたみたいだね。レイナちゃん、きっと夕日が好きなんだろうなって思ったから絶対にここには連れてきたかったんだ。子供の頃、わたしの体調がいいときにアノンちゃんが連れてきてくれた、あたしイチオシの夕日のおすすめスポット」
自慢げに胸を張って見せるママ。
「ここからなら、夕日に照らされて茜色に染まる街を一望しながら日が沈むのを見ることができるんだ。今日の最後に、どうしてもレイナちゃんにこの景色を見てほしかった」
優しい口調で語りかけてくるママ。黄金色の光に照らされる微笑んだママの横顔はあまりに綺麗で、あたしはつい夕日に照らされる街の絶景よりもママの横顔に目が釘付けになっちゃう。胸の鼓動がだんだん早くなる。いつまでもこの可憐な女の子の傍にいたい、隣で彼女の笑顔を見守っていたい。肩と肩が触れ合いそうなほど近くにいるこの女の子のことが、好き。
そう思っちゃって、あたしは悟る。
ーーああ、やっぱりあたし、ママのことをもう既に『母親』として以上に女の子として見ちゃってるんだ。自分の母親だっていうのに。でも、もう何年もひとりぼっちだったところに、こんなにも沢山の愛を注いでくれて、この世界の素敵なものをたくさん教えてくれた女の子に会っちゃったんだよ? 好きになっちゃっても仕方ないじゃん。
誰に対して言うでもないけれど、あたしはそう言い訳しちゃう。
その感情が報われることがないのはわかってる。ママはあくまであたしのことを『娘』としか見てない。ママとあたしが恋人としてお付き合いすることになったらママは本来結ばれる男の人と結ばれることもなく、あたしが生まれることもなくなっちゃう。だからあたしが抱いてしまったこの気持ちは、どんな意味でも報われることなんてない。この感情を抱くこと自体、あたしは許されない。だから、この思いをあたしが口にすることは一生ないだろうな。でも。
ーーたとえママの彼女になれないとしても、ただの一人娘としても、やっぱり世界で誰よりも大好きなこの子には、いつまでも笑顔でいてほしいな。そのためだったらなんだってしたい。魔王とか陸冥卿なんかには奪わせない。あたしに何ができるかなんてわからないけど。
夕日も見ずにそんなことを考えてると。
「綺麗だね」
消えゆく細い日の光を見て、無意識にママはあたしと手を重ねてくる。
ーーそんな女の子っぽく微笑むママの方が、あたしにはもっともっと、あたしの目には綺麗に映ってるよ。
そんな言葉を飲み込みつつ、あたしは小さくうなずいた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。と、いうことでレイナが完全に陥落する回でした。ちょっと駆け足気味かな、と思いつつ、この後の展開的にここまでレイナの思いを進めざるを得ず……。母親に恋心を抱いてしまった、というレイナの禁断の恋はこれからも彼女を苦しめていくことになるのではないかな、と思ってます。
あと、こだわったのはチョココロネ。本作、最後の最後までタイトルが『その日、「ちょこころねからちょこを抜く魔法」によって、世界が滅びました!』になる予定だったのでその名残です。チョココロネからチョコを抜く魔法でどうやって世界を滅ぼしたんだよ? ってっところまで描けるようにこれからも頑張ります。




