第1話 病弱令嬢の婚約破棄 そのいち
お立ち寄りいただきありがとうございます。
本日中に時間帯を分けて婚約破棄パートは終わらせる予定なので、よろしければお付き合いください。
――わたし、妹のアノンちゃんのことを女の子として好きになっちゃったんだ。
そんな淡い感情を自覚したのはいつだったか。それはよく覚えてない。
でも病気のせいでベッドからなかなか出られず、婚約者ともお父様ともお母様疎遠になってしまったわたしのところに、アノンちゃんだけは毎日欠かさずに会いにきてくれた。そんなアノンちゃんに妹としての愛おしさを通り越して恋慕に近い感情を抱いちゃったのはきっと、ある種の必然だったんだと思う。
「お姉ちゃん早く元気になって。元気になったらあたし達、けっこんしよ!」
もう5年近く前のある日。まだ幼かったアノンちゃんがそんなこと言ってくれた際に、既にアノンちゃんのことを女の子としてみてたわたしはドキッ、としちゃった。
もちろん、わたしが妹と結婚することなんて許されるはずがない。
わたしには親に決められた婚約相手がいて、その男の子と一族のために、国のために、「女として」世継ぎを産まなくちゃいけない。それが、公爵家第一令嬢として生まれた者の責務。
そんなあたしが、一緒に子供を成すことができない同性の女の子と、しかも血の繋がった実妹と結婚するなんて、どう転んだってムリな話。
――あれはアノンちゃんがまだ9歳で小さかったからそんなことを言ってくれただけ。なんだったら病気で苦しんでいるわたしを励ますためのアノンちゃんの優しい方便でしかなかったのかも。
そんなことはわかっていた。だけど、例え嘘だとしても、アノンちゃんのその言葉は、わたしにとって何よりも生きる希望になった。だから。
「本当に残念だよ、リコッタ。でも君の本性を知ってしまった今、君と婚約し続けることはできない」
病気のせいで実に3年ぶりの出席になる王家主催のパーティーで、実に2年ぶりに顔を合わせた婚約相手のリーフフェルト王太子殿下にそう婚約破棄された時。
わたしは「これでアノンちゃんと結婚できるんじゃないか」って、ちょっと期待しちゃった。
――リーフフェルトさまがなんでわたしとの婚約を破棄したいのかはわからない。でも、そんなことはどうだっていいよ。
婚約破棄されればわたしはフリーになる。フリーになれば、あたしはアノンちゃんと結婚できるかもしれない。将来の贅沢な生活が約束された王太子婚約者より、わたしにとってはそっちの方がよっぽど重要で、嬉しかった。
そんなわたしの思いを知ってか知らずか、リーフフェルトさまはわたしのことを憐れむように自分の身に覚えのない『悪行』の数々を語っていった。
魔法学園で平民階級出身の生徒につらく当たった、公爵令嬢でこの国王太子と婚約していることを鼻にかけて校則を無視し上級生や教師を顎で使っている。学食に対してわがままを言って食堂のおばさんを困らせた、などなど。
そのどれもこれもが身に覚えのない話。病弱なせいで学校だって休みがちなわたしは、授業についていくのに必死だったし、むしろ虐められる側……じゃない、クラスでも浮いてる方。そんなわたしが殿下の言ってるように横暴に振る舞えるはずもないのに、殿下は一切の疑いもなくわたしの悪行を信じて疑ってないみたい。
でも、リーフフェルトさまよりアノンちゃんと結婚したいわたしにとっては、婚約破棄の理由を向こうがでっちあげてくれるならむしろ都合がいいくらいだよ。
そう思って聞いていると。
「そしてあろうことか、この悪女は健気に姉を慕う妹のアノン嬢をまるで使用人のように扱い、屋敷では虐待までしてるという! そんな家族を家族と思わないような君とは結婚などできない」
その一言をリーフフェルトさまが口にした瞬間。わたしの頭から血の気がさっと引いた。
――あたしが大好きなアノンちゃんを虐めてる? そんなわけないじゃん。だってわたしは、アノンちゃんをこの世の誰よりも愛してるんだよ⁉
「そ、そんな。わたし、何も知りません! そもそも病気がちで学園には通えてなかったのに誰かを虐めるなんて! 大体、アノンちゃんはわたしが病気で伏せってる時にいつも一番近くにいた大切な家族です。そんなアノンちゃんをわたしが虐めるなんて、それこそありえない……」
さすがに聞き捨てならなくて必死に言い寄っちゃうわたし。絶対にありえない誤解をされてしまった悔し涙で視界が霞む。
でも、それがかえって悪かったみたい。リーフフェルトさまはわたしを非難するように表情を険しくする。
「この期に及んで言い逃れなんて、君はどこまで見苦しいところまで堕ちれば気が済むんだい、リコッタ! 泣いたところで、ぼくは騙されないぞ、この悪女め!」
ずっと会いたくても会えなかった婚約者に強く責められて一筋の涙がわたしの頬を伝っちゃう。
――誰が仕組んだかわからないけどこんな陰湿な嫌がらせに負けちゃダメだよ、リコッタ。
本当は今にも心が折れそうだけど、そう無理矢理に自分を奮い立たせ、今すぐ思いっきり泣き出したいのを堪えて、わたしは縋るような目でパーティーに臨席してたわたしの絶対の味方ーーアノンちゃんの方を振り返る。
「アノンちゃんからも何か言ってよ! わたし達、仲が良い姉妹だよね? 1週間前も咳き込んで寝付けなかったわたしのことを一晩中、つきっきりで看病してくれたし!」
わたしがそう言った瞬間、アノンちゃんは笑いを堪えるかのように一瞬、口元を歪める。
――なに、アノンちゃんの今の表情……。
ぞわり、と背筋が寒くなる。次の瞬間。
「そうなんですぅ! リーフフェルトさまぁ、お姉様は使用人にやらせればいいお姉様のお世話をずっとあたしに強要してきたのですぅ。そのせいであたしは、フツーの貴族令嬢だったら当然に経験できるはずの『青春』を経験できなくて……。ずっと苦しかったんですぅ」
ウソ泣きをしながら、わたしの前では発したことがない甘ったるい声で言うアノンちゃん。この期に及んでもわたしはまだ、目の前で何が起きてるのか理解できなかった。ううん、正確には、理解することを脳が拒んでいた。
「な、何言ってるの、アノンちゃん。アノンちゃんは善意で、いつもわたしのそばにいてくれたんじゃ……」
震える声で呟くわたしの言葉は、もう既にリーフフェルトさまの耳に届いてなかった。
「なんてかわいそうに! 病弱で傲慢な姉を持ったばかりに公爵令嬢であるはずの君が使用人同然にこき使われるなんて、あってはならないことだよ。でも、もう大丈夫。今の君にはぼくが付いている。ぼくが、君を幸せにしてあげると誓おう。君は幸せになる義務がある」
そう言ってアノンちゃんのことを優しく抱きしめるリーフフェルトさま。そしてアノンちゃんはリーフフェルトさまの腕の中で幸せそうに小さく微笑む。
――いったい、わたしは何を見せられてるの……?
その時。
アノンちゃんの声が念話でわたしの心に直接囁きかけてくる。
小さい時、喋るのが苦しいほど喉が苦しかったわたしと話せるようにアノンが最初に覚えてくれた魔法。それからと言うものの、熱に浮かされていても直接アノンちゃんの声が頭に届くと苦しさも少しだけ和らいだ気がした。でも。
――おかわいいこと。お姉様、まだあたしに嵌められたことに気づいてないんだ。
今のアノンちゃんの声は違う。今のアノンちゃんの声を聞くと背筋がぞわりとした。
――あ、アノンちゃんが嵌めたって、どういうこと……?
――まだ気づかないの? あたし、お父様に命じられてリーフフェルト様がお姉様と婚約破棄をするよう、裏で仕向けてたのよ。せっかく王太子妃になっても今のお姉様の体じゃ子供は産めない。そんなお姉様がリーフフェルト様の婚約相手のままじゃ、公爵家としては邪魔なだけなのよ。
耳を塞いでしまいたいよ。聞きたくないよ。そう思っても、脳に直接語り掛ける念話は、わたしのことを話してくれない。
――だから、お父様はお姉様とリーフフェルトさまを別れさせ、お姉様のいた位置にあたしが座るように命じたの。その方が、公爵家にとってメリットがあるから。あたしなら公爵家と王家の血を引いた子を産めるから。
ここまでお読みいただきありがとうございます。10万字くらいまでは書く予定。
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