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ヒューマン他色々

天秤にかけた愛〜かけおちの行方〜

作者: めみあ


 閉店間際のスーパーの惣菜コーナーには、ほとんど惣菜は残っていなかった。それよりもお米を炊いておくよう頼んだメッセージに返信がないので、私は交際相手の敏明(としあき)に電話をする。

   

 ワンコールで通話開始になった途端、

《ちょっと待って! すぐ終わるから》

と敏明の慌てたような声。私はとりあえず言われた通りにする。

 ゲームの音が微かに聴こえた。オンラインゲームで対戦中なのだろう。敏明が「クソッ」とか「ふざけんな」と言いながら、コントローラーを操作する音も聴こえた。


 ――なにやってんだろ、わたし



 不意に湧き上がった思いとともに、心が急速に冷えていくのを感じた。


 視線を買い物カゴに向けると、カゴからはみ出した長ネギと明日の朝食用の納豆や豆腐が目にはいり、ふいに涙がでそうになって慌てて顔を上げる。


 しばらくその場に立ち尽くしていると、店内放送が蛍の光にかわった。


(もう、いいか)


 常にモヤモヤしていた何かが突然霧が晴れたように消えた。


 私は何も告げずに通話を切り、カゴの中の品物を元の場所に戻すとスーパーをあとにした。


 

  

 

 

 スーパーをでて、一つため息をつく。

 駅近のスーパーなので人通りはまだ多い。ここは急行の停車駅ということもあって、ベッドタウンとして人気がある。足早に帰路に向かうスーツ姿の男性達が行き交うのを眺めながら、ため息をまた一つ。

  

 ――このまま、どこかに……


 突如浮かんだ言葉をかき消すように頭を軽く振る。


(逃げても何も変わらない)







 駅周辺は飲食店やオフィスビルが立ち並んでいるけれど、10分も歩けば街灯もまばらな住宅街だ。私と敏明が住むアパートは、そこからさらに5分ほど歩いたところにある。


 私は、アパートの前まで来たところで立ち止まり、自身が住む二階を見上げた。カーテンから灯りが漏れている。敏明から電話の折り返しはまだない。


 ――はじめは彼と一緒にいられるならどうなってもいいとさえ思っていたのに。


 彼の手をとってここに住み始めて2年経つ。


 ――夫は、私がここにいることを知っているのだろうか。

 

 ふと、夫に腕を引っ張られて連れ戻される自分を思い浮かべる。

 最近はそんなことを考えることが増えた。




 ♢♢

 

 私は、かけおち、と呼ばれるものをした。夫以外の男性と関係を持ち、着の身着のまま家を出た。彼が私を本当に愛してくれる人だと思ったから。


 

 私はただ、寂しかった。



 夫はたくさんの仲間に囲まれてワイワイするのを好むタイプで、結婚してからも常に家には誰かが訪れ、食事をしたりお酒を飲んだり夜中まで語らう。そして彼らは当たり前のように泊まっていく。男女問わず。

  


 

 私と夫は社内恋愛の末、結婚した。三年の交際期間を経てのプロポーズ。断る理由はなかった。

  

 もちろん夫には友人がたくさんいることはわかっていたし、休みの日も私と会うより仲間と遊びに行く方が多かった。だから友人より恋人を優先するタイプではないこともわかっていた。

 けれど仲間と遊ぶ日と私と会う日はわけてくれていたから、プロポーズされた時もまさかこんな生活が待っているとは思わなかったのだ。


 結婚してから付き合いが悪くなったと言われたくないんだ――と、はじめは申し訳なさそうに家に招いていたのに。

 

 私は彼らの輪に入る努力をしなかった。新婚家庭に悪びれもせず寝泊まりする時点で人として合わないと思ったから。

 次第に私だけ別の部屋で過ごすようになったのも仕方のない話。


 “夜は静かに過ごしたいし、人を呼ぶのもせめて週末だけにしてほしい” たったそれだけの願いを何度も夫に告げようとした。けれども告げられなかった理由、それは、

 

『〇〇と私のどっちをとるの、みたいに言う子は苦手だけど、美帆(みほ)はそういうことを言わないからいいね』


 と、交際中に言われた一言が心にずっと残っていたからだ。それがなかったら、特別な存在ではいられなくなる気がして。


 

 そんな結婚生活が二年続いて、28歳になった。子作りなど考えられない環境。

 そこでようやく気がついた。夫にとっての“妻”は物言わず言いなりになる存在であれば誰でも良かったということと、“妻帯者である”というアイコンがほしかっただけなのだと。

 

 

 

 不満が蓄積されていた頃、私は事務のパートを始めた。

 前の職場は結婚する直前に辞めている。夫に“時代錯誤かもしれないけど妻には家に居てほしい”と請われたからだ。それが仲間の女性陣に不評だったとかで、アルバイトくらいならいいよと、女性としても伴侶としても屈辱的な言葉をかけられた。


 それでも言う通りにしたのは、専業主婦は私には息が詰まるものだったからだ。


 勤め先は社員が三人という小さなオフィスだった。私は社員が留守の間の電話番や事務、あとは雑用をするために雇われた。


 そのオフィスに敏明がいた。この時はまだ大学四年生だった。社長の友人の息子で、既に辞めているけれど何ヶ月かここでバイトをしていた経験があり、敏明は夏休み中で教えるのにちょうどいいと、急きょ呼ばれたと言っていた。

 

 学生か――とはじめは色眼鏡で見ていたけれど、教え方は丁寧で、物腰も柔らかく、私の発した些細なひとことにも反応してくれる彼に、自分よりしっかりしていると驚き好感をもった。



 二週間の研修期間はあっという間に過ぎた。そして最終日。この日はお互いに「今日が最後ですね」と言い合った。私は寂しい気持ちやこれからも会いたい気持ちを自覚していたけれど、恋愛感情ではないと己に言い聞かせていた。



 午後の休憩時間の談笑中に、初めて結婚生活について触れられた。結婚生活はどんな感じですか、と。夫の話題はあえて避けていたけれど、聞かれたら答えるしかない。私は軽い調子で愚痴を漏らした。

「結婚したら自分の時間がなくなるかなぁ」と。こんなところで本音を言っても仕方ない。


 彼は「それって、よく聞くやつですね」と笑って、私も「みんな同じだね」と返した。うわべだけの会話だけれど、これは私だけの時間な気がした。夫が知らない私の時間。


 いつもは休憩が終わったら交わした会話の内容も忘れてまた働くだけなのに、この日はそれだけで終わらなかった。


 休憩が終わるまぎわ、「僕ならそんな寂しい顔をさせない」と後ろから抱きしめられた。

 私は寂しいなんて一言も言わなかった。

 だから私は、彼の抱擁を拒否できなかった。

 温もりが、嬉しかったから。


 敏明とは、その日に関係をもった。

 彼は私に愛を囁き、どこまでも優しく扱われた。

 こんなに熱い目を向けられるのも、

 こんなに欲しかった言葉をかけられるのも、

 こんなに優しくされるのも、

 私には初めての経験で、この時に彼への想いをハッキリと自覚した。


 

 夫には仲間が大勢いる。

 私には敏明しかいない。

 


 そう思い始めてからは、さらにお互いを求め合い、片時も離れたくないと思うようになった。


 敏明も、私とずっと一緒にいたいと言った。

 その言葉で夫への気持ちが、消えた。


 はじめは交際が発覚しないように気をつけていたけれど、秋が過ぎる頃には夫に疑われていたと思う。


 問われたのは年を越してからだった。


『最近コソコソとなにやってんの?』

『離婚したい? 本気で言ってんの?』

『いいけどね。そのかわり慰謝料置いて行って。そうだなぁ、これまで払った家賃と生活費の半分くらい。俺は去る者は追わないけど、離婚となったら話は別。男のバツイチは世間体が悪いし、責任はキッチリとってもらうよ』


 敏明にその言葉を伝えると、

『そんなもの払う必要はない。

 ひとまずそこを出よう。

 僕のことは旦那さんは知らないだろうし、ここに来るといい』と言った。


 私は今すぐここを出たいと泣いた。

 わかってる、と答えた彼は、すぐに家の近くまで迎えにきてくれた。

 

 私は、置き手紙一つ残して家を出た。


 夫からはその日に電話とメールがあった。

 

 留守電には何もメッセージはなく数秒の無言のあとで切れた。

 メールには『あの言葉は本心じゃなかった。俺はずっとここにいるから、いつでも帰っておいで』と書かれていた。


 わたしは、返信をしなかった。

 夫からもそれ以降は電話もメールもこなかった。

 それから二年経つが一度も連絡がないまま。



 居場所を知られるかもと住民票を移動しなかったので、宙ぶらりんな状態だったけれど、敏明と出会った会社の社長に事情を説明したら色々と融通してもらえ、仕事もそのまま続けられた。


 日々過ごすだけならなんの不自由もなかった。




 ♢♢


「鈴木さん?」

 うしろから声をかけられ、ハッと我にかえる。声の主は隣人の園井律子だった。ヨガの講師をしていて、私がここにいるいきさつも知っている人だ。年齢は聞いたことはないけれど、同年代だと思う。

「中にはいらないの?」

「あ、はいりま……いえ、ちょっとまだここにいます」

「喧嘩?」

 律子はアパートの集合ポストを覗きながら私に尋ねる。

「――ではないんですけど」

「恋人が浮気した? それとも旦那さんのとこに帰りたくなった?」


(この人はほんとに遠慮がないなぁ)

 

 初めて部屋の前で会った日に、根掘り葉掘り素性を聞かれ、結局全て話してしまったことを思い出す。

 律子のあいかわらずのデリカシーのなさに辟易しながら、私は首を横に振り苦笑いでごまかす。


「夜に女の子が一人でウロウロしてたら危ないから早く帰りなさいよ。あと、急にいなくなるのだけはやめてね」

 律子はこちらを見ずに早口で言うとエレベーターに乗りこんだ。


 律子には離婚歴がある。夫が浮気をし、相手が妊娠したので離婚してくれと言われ、ふざけるなと拒否していたら旦那さんが帰ってこなくなったそうだ。面倒だから離婚したと笑っていたけれど、私は飛び出した側だから胸が痛んだ。


 突然パートナーがいなくなることを経験しているからか、律子は私に対して優しくないと感じる。

 

 

 エレベーターが閉じて律子が去ったと同時に敏明からの着信。


《美帆? 電話切れてたけど何かあった?》

《何かあったかな。忘れちゃった》

《なんだそれ。それよりお腹すいた》

《……お米、といでくれた?》

《そんなの頼まれたっけ?》

《ラインで送った》

《………あ、ほんとだ。きてたわ。全然気づかなかった》

《いいよもう》

《なんだよそれ。夕飯どうすんの?》

《どうしようか》

《とにかくすぐ食べたいからコンビニでいいよ。なんか買ってきて》

《わかった》 



 わかった。


 結局、求められることは夫と変わらない。  

 

 あの頃のように愛されることはなくなった。そのかわり、少しわずらわしそうな表情をすることが増えた。将来を口にすることも、夫とこれからどうするのかと口にすることもない。

  

 私も、どうしたいとも思わない。三人とも自分のやりたいようにやった結果がこれ。



 


「みんな馬鹿。その中でもあなたが一番馬鹿よ。自分だけを愛してくれる存在なんて、自分自身かあとは親くらいよ。それだって怪しいけど」

 律子が私にビールをさしだす。

「やっぱりそうですかね」

 私は罵られているのに、何故か嬉しい。そしてビールも美味しい。

 

「なに、納得してんの。そう思っておいた方がいいって言ってるだけだから、間に受けないでよ」

「わかってます、けど」

「けど、なに?」

「そんな存在がこの世にいるのかなぁと思って」


「あなたも気がつくまでは、お隣さんがそんな存在だったんでしょ。気がつかなければ、“いる”ってことじゃないの?」

「そっか。夢から覚めちゃったんだなぁ」

「まぁ、そういうことね。早いうちに気づいてよかったじゃない。旦那さんとお隣さんにもお祝いを言いたいくらいよ。やっと先に進めますねって」

「園井さんは私の味方じゃなかったんですか!?」


「それはない」

「えーー」

「一番相手を傷つけたのはあなたでしょうが」

「えーー」

 私の不満顔に律子は呆れた顔をする。


「……これくらいのメンタルじゃないと、かけおちなんてできないってことは、よーくわかった。勉強になったわ」




 私はあのあと、敏明の待つ部屋ではなく、律子の部屋のインターホンを鳴らした。律子は私の話を聞き、敏明に事情を話してくれた。少し迷っているようだから、しばらくうちで面倒をみると。


 敏明は、わかった、とだけ返事をしたそうだ。

 

 

 私は心に天秤を用意し、

 

 自分自身と男たちを秤にかける。

 自分を殺し、愛を得る道に戻るかどうかの秤。

 

 すぐに針は動かない。

 

「行くとこないならうちにいてもいいよ。そろそろ引っ越す予定だけど家のことしてくれるなら一緒に来る?」

 ここで律子から甘言。思わずうんと言いたくなる申し出だ。


「それじゃ今とかわりませんよ」

 ギリギリ矜持が勝った。


「ま、選択肢にいれといてよ」

 彼女は笑って肩をポンとたたいた。真っ直ぐに伸びた背筋や余裕の笑みが羨ましい。


「私も園井さんのように自立して生きたいです」


「先のことより今のこと。まずは旦那さんの問題。それからお隣さんにもちゃんと気持ちを伝えなさいよ」


「あの。付き添いとか……お願いしても?」

 恐る恐る尋ねると、律子は小さくため息をついた。


「私から首をつっこんだのだから、最後まで面倒みるわよ」

 

  

 

 離婚はあっさりとしたものだった。

 驚いたことに、夫の友人も何人か一緒に待ち合わせ場所に来た。私が理解ある奥さんだと夫から聞いていて、それを鵜呑みにしていた、私に確認すべきだったと謝罪された。

 夫は反省している様子だったけれど、戻ってこいとは言わず、「今までありがとう」とだけ言って握手を求められた。私は苦笑いでごまかした。その可能性はないとしても、温もりひとつで気持ちが戻るかもしれないことが怖かったからだ。



 敏明にも別れを告げた。彼も私と同様に熱が冷めていたようだ。もしかしたら既に他に好きな子がいるのかもしれない。彼は手に入れるまでを楽しむタイプだったと今ならわかる。


 二人とも清々しい表情だった。

 この時にようやく、愛を得る道などとっくになくなっていたことに気づいた。天秤なんて不要だったと。自惚れた自分に少し笑ってしまった。


 

 全てを終えて得たものは、ようやく堂々と歩けるようになったことくらい。

 自立とは違うけれど、後ろめたいことがないだけで気持ちが楽になり、前向きに生きられる気がした。


 

「律子さん、早く起きないと仕事に遅れるよ」

「んー、もう少し……」

「私が遅刻しちゃうから先に出るよ!」

「駅で電話鳴らして……」

「しょうがないなぁ」


 私は実家に戻るつもりでいたのだけれど、まだ律子のもとにいる。お互いに気兼ねしない間柄だと気づいてからは、居心地が良いくらいだ。引っ越し先も二人で選び、家賃は折半している。


 律子が「私たちは何年続くかな?」といたずらっぽく笑ったのを思い出して、少し顔が緩んだ。おばあちゃんになってもケンカしながら一緒にいるイメージが浮かんだから。

 夫や敏明と暮らしていた時はこんな想像をしたこともなかった。


 ――私は愛に生きるタイプじゃなかったのかも。


 こんなことを律子に言えば「あれだけ人を傷つけて、それだけしか学ばなかったの」と言われるに違いない。


 私は帰ったら律子に言おうと思いながら、足取り軽く駅に向かった。

 


読んでいただきありがとうございました。


自己愛と人への愛を秤にかけて、自己愛が勝ったというだけの身勝手な女性の話でした。


久々に書いたら楽しくて

だらだらと六千字書いてしまいました。内容は楽しいものではないですけど、たまにこういうのが書きたくなります……


【追記】

見直しが甘かったので、誤字が多いかもしれません。気がついたら直していきます。


★本編で書き足そうか迷って結局やめた設定


・夫は妻の居場所を知っていました。妻の勤務先の社長が夫に連絡していたからです。夫がいっさい連絡をしなかったのは、プライドもあったかもしれません。


最近はあとがきに言い訳を書きがちなので気をつけます。



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― 新着の感想 ―
[良い点] めみあ様のこの手の作品は主人公の気持ちがそのまま伝わってきて、現実感があって、何だか心配になりますね、、悲しさと恨みを想像してしまって。 一緒にいらいらしたり、寂しくなったり、不憫になった…
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