蔓延る死の予兆
ロディーヤも負けじと戦闘機の開発に勤しんでいた。
だがそれは操縦の難しい玄人向けの四葉機であり、これも参謀総長の術中にハマったゆえの複葉機だった。
テニーニャの塹壕ではエロイスたちが十日の突撃まで待機していた。
劣悪な塹壕の中でエロイスたちの突撃隊は永遠とも思えるときの中で毎日を過ごしていた。
泥の塹壕に浸かる足、病気を媒介する害虫、死のゾーンから漂う腐敗臭。
生命の尊厳を踏みにじられた場所でさえ、すっかり慣れきってしまってた。
「この臭いもすっかりなれてきたね…エロイス…」
「ね、お母さんが作る金曜日のカレーの臭いぐらい馴染みのある臭いになってきた」
エロイス突撃ドレミーが塹壕から頭を少しだけ出して向こうを覗きながらおおよそ女の子同士の会話とは思えないようなことを言っていた。
この最前線で暮らしているとそんな本来異常な雰囲気も慣れてしまうのである。
そんな中、又何発か乾いた銃声が鳴り響いた。
二人はすぐに頭を引っ込める。
タンッ!
タンッ!
タンッ!
「…まただ、また撃たれた」
頭を上げると敵の塹壕側を見上げる。
「…?誰か撃たれたの?エロイス…?」
「うん、気が触れた兵士が塹壕から出てきて走ってきたみたい」
「シェルショック…」
シェルショック
別名PTSD
命が脅かされる様な強い精神的衝撃を受けることが原因で、著しい苦痛や、生活機能の障害をもたらしているストレス障害のことを指す。
最前線の塹壕で暮らしているものはこの戦闘ストレス反応に冒され、精神的に崩壊する兵士が続出した。
おおよそヒステリー患者と同じような反応を示し、狂乱、躁鬱、無反応、記憶喪失など。
テニーニャとロディーヤ両軍はそんな症状を発症し,塹壕から飛び出してきた兵士を狩猟の様に撃つのが日常となっていた。
「…ドレミーもいつああなるかわからないな…」
「大丈夫、気を強く持とう」
そう励まし合っていると、リグニンが退避壕から手で伝ってゆっくりと出てきた。
「…エロイス、ちょっと手ェ貸して」
「どうしたの?」
「足が…足がヒリヒリして痛いの、昨日から。
退避壕の中だと暗いから通路に出てきたんだけど…」
「足?ちょっと見せて」
エロイスがリグニンを通路に置いてあった木製の長椅子に座らして脚絆を解き靴を脱がしてズボンの裾を上げる。
靴下を脱がして素足を晒すとエロイスたちの目に衝撃的な光景が飛び込んできた。
「こっ…これは…」
足裏は干ばつした池の底のようにひび割れ、そして白く腫れている。
ひび割れからは薄い肉のピンクがこちらを覗かせており痛々しい。
「塹壕足…リグニン、どうして言わなかったの?」
「うん…突撃まで頑張ろうと思ったけど、痛くてまともに立っていられなくなって…ごめん」
「ううん、いいよ、リグニンが悪いわけじゃないから。
ドレミー、ベビーパウダーもらってきてくれない?」
「うっ…うん…わかった…待っててね…」
ドレミーは通路の奥に走り出して治療のためベビーパウダーを貰いに行った。
「じゃあまず足洗うね、雨水だけど我慢して」
エロイスが白いタオルを取り出してドラム缶に溜まっていた水にタオルを浸す。
「ちょっと滲みるかも」
そっと優しく冷たいタオルで足裏を撫でるように拭きはじめた。
「痛った…ぐぐぅ…滲みる…」
歯を食いしばって耐えるリグニンの浮かした両足を丁寧に拭いたり、タオルを丸めて判子を押すようにポンポンしたりして汗を拭く。
「…よし、これでいいかな。
両足そのままキープしといてね」
「うぐぅ…なかなかこの体勢太ももの筋肉に効くな…」
リグニンが太ももの裏を支え、足裏を浮かして乾かす。
その体勢をしばらく維持していると向こうからパウダーの入った缶を手に持ってやってくるドレミーが見えた。
「もらってきたよー…ベビーパウダー」
「ありがとうドレミー」
「えへへっ…それほどでも…」
ドレミーがブラスチックの蓋を指で開けるとパウダーを第二関節位で掬い上げリグニンの足首に大量にまぶして。
「なんか揚げ物してるみたい」
「ボケてる場合か、ウチは死活問題なんだぞ」
「ごめんごめんっ」
大量のパウダーを被った足はいつも以上に白くなった。
「これでこのまま待機だね」
「いつまで?」
「う〜ん、応急処置だし…もう突撃は無理じゃないかな」
「そんなっ!それじゃまるでウチだけ卑怯みたいじゃんっ!」
両足を浮かしたままリグニンがエロイスに訴えかける。
「ウチだけここに残るなんてできない、せめて同伴させてっ!お願いっ!」
「でも…大丈夫なの?」
「当然でしょっ!ほらこの通り」
指を左右に動かしてみるが、リグニンの表情の笑顔は硬かった。
痛みを我慢しているのがバレバレなのだが、それをいちいち指摘できるほどエロイスたちは強くなかった。
「…わかった、リグニンその怪我なんとか直して一緒に突撃うね」
「もちろんっ!絶対ここで反撃するんだから」
そんなことを話していると退避壕からエッジが出てきた。
そしていち早くそのリグニンの脚を見ると驚愕した。
「リグニンまさか塹壕足っ!?まずいんねっ!早く後方の野戦病院へ…」
「いいよエッジ、ウチなら行けるって」
「だめなんねっ!放置すると最悪足切断なんねっ!まだ症状は軽い、早くここから…」
「ここにいさせてエッジ」
リグニンがはっきりと意思を伝えた。
「もし一回戻ると、もう二度とこのメンバーでも集まれないかもしれない。
断言する、突撃で全員生還はありえない、エロイス、エッジ、ドレミー。
みんなが全員生きて状態でこうやって喋れるのも残り数日、その時までウチはここに居たい。
いいよね?友達なら、最後ぐらいワガママ言っても」
三人は探るように顔を見合わせてしばらく黙ったまま立ち尽くす。
そんな中で口を開いたのはエロイスだった。
「…こういうときはリグニンの頬を叩いてでも後方に送るべきなんだと思う…でも…私は…そんな心優しいことできないから…受け入れるよそのワガママ、この日が最期になるかもしれない、なら私もワガママを言うね。
現実を見ていない、感情を優先した最低なワガママ…私も…今、リグニンと一緒に居たい」
しっかりとリグニンの目を見据えてはっきりと主張した。
その言葉に共鳴するように残りの二人も同調する。
「…まぁエロイスがそういうなら仕方ないんね…」
「私も…その案に賛成…ここでバイバイは辛いよ…」
その言葉に思わずリグニンも感極まってしまう。
漏れ出た涙を袖口で拭い、理解してくれた事に感謝する。
「ありがとう、理解ってくれて。
それしか語彙が出てこない」
パウダーを被った足を伸ばして空気に触れさせているリグニンの横にエロイスも一緒に座って話し相手になる。
「大丈夫?痛くない?」
「痛い、もう歩くのはきついかも、エロイス、ここにいると通行の邪魔になる、退避壕の中に入れてくれない?、そこで横になっておくからさ」
「承知」
エロイスが長椅子に座っていたリグニンを抱きかかえてそのまま介抱する形で退避壕の入口に屈みながら入る。
毛布を敷いたコンクリの床に寝かせてそのまま経過を見る。
「パウダー足りなくなったら呼んでね。
私は外でエッジとドレミーと居るから」
「わかったすぐ呼ぶ」
そう言い残してエロイスは段差の低い階段を登って塹壕へと出ていった。
「どう…?リグニン…大丈夫そう…?」
「たぶんね、そこまでの心配は要らなそう」
「そうなんね、良かった良かった、さて銃剣でも磨くんね」
エッジは歩兵銃の先に着いた剣を取り外すと、布で側面を挟んで拭き始めた。
エロイスも先程リグニンが座っていた椅子に座ったあと不安そうに俯いたあとそのまましばらく動かなかった。




