見渡せば地獄、笑えば天国
グラーファルの督戦隊が後方の中継基地に到着し、突撃隊に逃げ場を失わせた。
そして我慢強く待機するテニーニャのエロイスたちに突如としてロディーヤ兵の突撃が始まった。
向かってくる敵兵に歩兵銃を向けて引き寄せる千人の突撃隊、そしていよいよ射撃命令が下る。
突撃隊大尉のイーカンの射撃命令を聞くとバラバラに待機して構えていた突撃隊の銃口から一斉に空気を叩くような発砲音とともに白い硝煙が銃口からあがる。
塹壕の通路に腹ばいに寄りかかって頭と銃身だけを出して狙っていたエロイスたち四人も狙って撃ったが当たったような感触はなかった。
一斉に放たれた銃弾の弾頭はやってくる敵兵向けて放たれたが、その攻撃で泥に伏す兵士は少ない。
急いで手動でボルトを引き空薬莢を飛ばして戻し銃口を向ける。
号令が下されたあとは各々、排莢できた兵士から無秩序に撃ち始める。
「だめリグニン、ちゃんと環孔照門に合わせてるのに当たらないっ!」
「まだ少し遠い、まだ…」
やってきた兵士たちも突撃隊の銃撃に気づくと走りながら雑に構えて乱射し始める。
その銃撃は塹壕近くに当たり砲弾孔の水や泥を弾けさせる。
するとエッジが歩兵銃を捨て通路に置いてあった短機関銃を手に持った。
「こっちのほうが当たるんねっ!!」
エッジが銃口を塹壕の外に向ける。
だがすぐにリグニンがそれを制止する。
「ちょっとまってエッジ、それは近接戦闘のときの為のものよ、まずは着剣小銃で狙撃してそれから余った残兵を掃討するものって教わったでしょ、白兵戦のときに弾数が少なかったらどうするのっ!」
「リグニン頭が硬いんねっ!ここで撃たなきゃ残兵の数が増えてさらに不利になるだけ、弾幕張るだけなんねっ!」
「それは今は重機関銃がやってくれてるでしょっ!狭い塹壕内で軽々振り回せるのはこれだけなんだからあんまり使わないでっ!」
リグニンとエッジが銃器の使用に揉めているとエロイスが声を張った。
「なんでもいいから早くしてっ!今歩兵二人が銃を撃っていないのはまずいっ!」
ドレミーと共に排莢しながら喧嘩していた二人の目を覚ました。
「…ごめんエロイス、今撃つ」
「一丁ぐらい許してくれなんね、拳銃弾は後で自力で取りに行くんね」
リグニンは放置していた歩兵銃の引き金に手を置き腹ばいに寄りかかって再び標準を合わせる。
エッジは通路にしゃがみこみ、機関銃だけを的に向けると適当に弾幕を張った。
突撃してきた兵士たちの数も減り、約半数までに落ち込んだ。
「ここまで…来れば…もう…当たる…っ!」
ドレミーが引き金を引き、乾いた銃声を放って銃口から薬莢と分離した弾頭が白い筋の尾を引きながら真っ直ぐに敵兵の胸に入り込んでいった。
兵士は映画のように派手に血を撒き散らしたり、後ろに吹っ飛んだりすることはなく、ただ短い断末魔を上げて銃を両腕で携えたまま満水の砲弾孔へと吸い込まれるように倒れた。
三人は十分歩兵銃の射程距離に入った敵兵向けて次々と弾を放っていく。
エロイスは排莢して空薬莢が塹壕通路の床板にカランと落下するのを聞き、空になったボルト内にポケットから取り出した五個の弾薬がまとめられたクリップを押し込んで再び手動で戻して装填を終える。
銃口を差し向けたその瞬間、エロイスの目に信じられないような光景が飛び込んできた。
それはロディーヤの無名の少女兵だった。
武器もにも持たずただただゆっくりと近づいてくるだけだった。
エロイスは初め、単に生きることに諦めたのかと思った、だがその少女兵の表情を見て確信した。
「…はっ…あはっ…あははっ…っ…あっ…ははっ…」
瞳孔がパッチリと見開き、口角は釣り上がり、引き攣った様な病的な笑顔でふらついていたのだ。
そのゆっくりと漂う少女兵を撃つことをエロイスの人間性が戸惑わせた。
だが、エロイスはそんな気の触れた少女を前にして気づいた。
「あれが行くところまで行った少女の末路、もうこんな地獄にいちゃいけない、ここよりマシな地獄に墜ちて」
エロイスは少女の胸部を狙って撃ったが弾は外れ、少女の脇腹を少し掠った。
次で仕留めようとボルトを引いて排莢して再び狙った時、まだ引き金を引く前だったのだがその少女は笑顔のまま弾け飛んだ。
自軍の防御陣地の重機関銃のライフル弾が少女の腹部を向こう側が見えるほどまでに貫通しさらに無慈悲に掃射を続けたことで半身が分断されのだ。
肉片と鮮血と、そして腸をびゅるびゅると空中で巻き広げたあとまだ生の残り痙攣する若い肉塊が泥中へとぼちゃりと埋まった。
無様にも顔半分が泥に沈んでもその張り付いた狂気の笑みは解かれることはない。
鮮やかなピンクの人肉と内臓はすぐに泥水で汚れまたたく間に腐った死肉のような落ち着いた。
その一部始終を見てしまったエロイスは思わず力を入れていた銃の手を緩めてしまった。
その狂気に冒された少女の顛末を夢中で見ている間に、やってきた敵の軍勢はすっかり落ち着いてしまっていた。
あれ程の雄叫びを上げ突撃隊してきた兵士たちは一キロの死のゾーンを通過していくうちに消滅してしまったのだ。
エロイスはふとこんなことを思ってしまった。
(もしかしたら…私たちもこんなふうに突撃するの…?いや…大丈夫…援護射撃と毒ガスがある…きっと大丈夫…)
だがエロイスの顔の表面ににじみ出た汗は頬の土汚れと混ざって垂れていく。
しばらくすると銃撃も止み、辺りに不気味なほどに静寂が訪れた。
まるで数分前まで何事もなかったかのように。
だが違うのは、死のゾーンの湿地に人間の生肉と血が混ざり合ってより一層凄惨な景色が広がっているということだけだった。
「…終わったんね…」
「…ふはぁ〜…怖かったよぉ…うぅ…っ…」
しばらくその場にとどまっていると、あのイーカン大尉が塹壕から出る様言った。
「すぐに木のはしごを登り着剣した歩兵銃を持って塹壕の外にでろ。
あまり奥に進むなよ、ロディーヤの射程距離内に入るぞ」
突撃隊が掛けられていた木のはしごを登って塹壕から出てくる。
青年少女それぞれが出てきたが、ぱっと見る感じさほど損失はなさそうだ。
「確認したところ負傷者十一名、死者二十六名、特に異常はない、なのでこれから銃剣で死体を突き刺しながら俺と共に進むと突撃隊の端の方まで伝言しろ」
イーカン大尉の指示が横に適当に並んだ突撃隊に伝わっていく。
隣から大尉の伝言が伝えられた。
「これから死体の生死を確認しながら進むって隣に伝えてくれ」
エロイスはその伝言を隣に伝えたが頭上にハテナが浮かんだ。
「なんでそんなことするの?リグニン」
「私達がこの塹壕に来る前にも何回か突撃されたみたいだけど、何人かの敵兵は死んだふりをして塹壕に近づいて奇襲をかけるってことがあったみたい、だからとそれからは人の形をしている敵兵はちゃんと死んでいるか確かめることにしたんだって、この銃剣で一つ一つ突き刺していってね」
着剣された歩兵銃をそれぞれ構え、戦闘が起きた死のゾーンへと進んでいく。
そこは想像以上に目を覆いたくなる現場だった。
「うわ…鬼哭啾々とはこのことを言うんね…」
死のゾーンは元湿地ということもありぬかるんでいる。
テニーニャ兵の白い脚絆がズブズブと入り込んでいく。
「エロイス、脚を止めるなよ、沈んでいっちゃうぞ」
リグニンの忠告を聞きながら歩いていると水の溜まった砲弾孔に仰向けに浮かぶ一人の男の死体が浮いていた。
「五体満足だな、ないとは思うが一応刺しておこう」
リグニンがそう言うと漂っている兵士の胸辺りに銃剣を思いっきり振りかざした。
刺した瞬間、その勢いで一瞬茶色の水中に沈み再び浮かぶと刺した胸部からじわじわと血が流れ出てくるのがわかる。
刺した傷口からはブクブクと赤い泡を立てながら茶色の泥水を染めていく。
「泡立ってる…なんでぇ…」
「ドレミー、あれば肺の空気が漏れ出てるんね。
空気があるってことは死因は溺死じゃなくて銃撃みたい」
死を確認したあとリグニンが死体から銃剣を引き抜こうとするがなかなか抜けない。
何度も歩兵銃を上へ引っ張るが抜けなかった。
「リグニン…肋骨に挟まってる」
「わかってるよエロイス、ちょっとこの死体引き上げて」
「ええ…!?私がっ!?」
「お願いっ」
エロイスが泥水に手を突っ込んで死体の両脇を持ちながら引き上げ、泥濘に安置する。
「ありがとうエロイス」
「うん…でも早く洗わないと…」
リグニンは挟まった銃剣を抜くため、脚で死体を押さえつけて思いっきり振り上げた瞬間、銃剣はすっぽりと抜け、そのまま泥に尻もちをついてしまった。
そして汚れたリグニンの尻を見てエッジがおどける。
「あれ?もしかしてリグニン、我慢できずに漏らしちゃった?」
「うっさいっ!面白くないぞっ!!」
そんな恥ずかしがりながらツッコんだリグニンとエッジのやり取りに思わずエロイスとドレミーは顔がほころんで顔を見つめ合ったまま笑い合った。
そんな愛くるしい二人に漫才のようなやり取りをしていた二人も笑顔になる。
四人はお互いに笑い合い和気あいあいとした雰囲気に包まれた。
その周りが邸宅の一室での出来事ならどんなにいいか、その少女たちの着ている軍服がオシャレな女の子らしい肌を露出したワンピースやドレス、スカートやオシャレなコートならどんな安らげるか、脱ぎっているものが人を殺める銃器でなく、花や書籍ならどんなに平和だったか。
だが現実は無情、見渡せば人肉や内臓、古い人骨や軍服が混ざった汚泥の砲弾孔が広がる不衛生な平野。
草花は長く続いた砲撃や突撃により全て死滅し、常緑の葉は爆風で全て吹き飛んで、残ったのは黒く不気味に生える幹だけ。
そんな世界の終わりのような戦場を忘れ少女たちは笑い合っていた。
この悪夢から一瞬でも逃れようとするために。




