気高き理想は揺るぎなく
シッパーテロへそれぞれの思惑を胸に秘めてやってきた。
リリスたちはアッジ要塞跡にて三名の青年偵察兵とともに。
エロイスたちはテニーニャ塹壕の最前線へ突撃隊として。
フロント中佐はワイズ司令官とシッコシカ軍令部総長とともに塹壕の後方の中継基地に。
グラーファルはテニーニャの督戦隊として。
フェバーラン特務枢機卿は軍服を着てロディーヤ塹壕の最前線の挺身隊を率いるために。
そしてハッケル参謀総長とルミノスは帝都に。
リリスたちはアッジ要塞跡の均された山頂で青年偵察兵と共にいた。
「ほら、シチューだ、食えよテニ公」
青年の一人が片輪のハスターに向かって湯気の立つ白いシチューをスプーンと共に差し出した。
「本当に腕がないのか」
「そうさ、見てみろ手を焼かせて悪いな」
ハスターが胡座をかいたまま残った上腕で軍服の袖口をふりふり振って見せる。
「…食わせてやろうか?」
「お、気が利くね、サンキュー」
青年が持ったシチューにスプーンを入れ具を掬い上げる。
熱い良い匂いが鼻に入り込んでくる。
それをふぅ〜っと数回吹いてハスターの口へと運ぶ。
ハスターがゆっくりと口に含むとそのまま喉に流しこんだ。
「なかなか美味しい、あんたが作ったの?」
「そうだ、キノコがコリコリしててうまいだろ」
「なるほど、いい腕だな」
ハスターが介護されているのを見ながらリリスたちも振る舞われたシチューを熱を冷ましながら口に運んでいた。
「美味しいな、料理ができるのはいい男だ」
「シチュー美味しいわね、作り方教えてもらおうかしら」
ベルヘンがシチューの入った缶をかき混ぜている青年に目を向けた。
青年はその視線に気づくとニッコリとだけ笑い返した。
「…ここに着たはいいけどこれからどうしよう」
リリスが皿を傾けさせ残った具を口に流し込むと口をもぐもぐさせながら尋ねた。
それを聞いた少尉が青年を呼んだ。
「なぁ、俺たち何かできることはないか?」
青年は顎を指で擦りながら斜め右上を見て考えてみる。
「そうだな、偵察は俺らの仕事だしちょうど警備が欲しかったんだ、この箱の短機関銃やら軽機関銃やら歩兵銃やら好きに使っていいから俺たちの護衛を頼んだ」
「任せてくださいっ!直接前線では戦いませんけど縁の下の力持ちになれるようがんばりますっ!」
青年がリリスの返事を聞いて頭を撫でる。
「頼もしいな、期待している。
ああ、あとあの欠損している少女兵はもう味方なんだろ?だったらロディーヤの軍備に着替えさせてやってくれ、着替えは要塞跡の一室に置いてある、それともう一つ言いたかったがその服やめたほうがいいぞ、参謀総長の言う事なら仕方がないが、いつ激戦になるかわからない、この山頂で遊撃が行われる可能性も無きにしも非ずだ、しっかりと戦闘服に着替えたほうがいいぞ」
三人は顔を見合わせて納得したように笑った。
「そうだな、短い夢だったが楽しかった」
「これからはしっかりとした正規の軍服に着替えましょう」
ベルヘンの言葉の後にリリスが尋ねるから
「でもまだダーリンゲリラは終わらないんでしょう?」
「ああリリス、終戦まで俺たちの野望は絶えない、今は対戦する正規兵士として戦うときだ、ダーリンゲリラ個別の活動のときにまた着れるから安心しろ」
その内輪の会話を聞いた青年はなんのことがわからなかったが、とりあえず要塞跡で着替えるよう誘導した。
リリスはベルヘンを背負って要塞跡へ向かう。
要塞の全容は辛うじて残っていたが、あるところは爆撃で崩れ完全に土に帰っていた。
コンクリの亀裂からは蔦や草が裂け目を広げるかのように静かに生きていた。
所々欠けた天井からは薄い光が差し込んでスポットライトのように小さく灰色の地面を照らしていた。
リリスたちはそんな要塞に階段を使って通路へと下りる。
通路は錆びたテニーニャの野戦砲や高射砲が鎮座している複数の砲台へと繋がっていた。
それから医療器具が残された簡易な医療室やまだ使えそうな砲弾が乱雑に通路に転がっていた。
リリスたちが半開きの鉄扉を開けて部屋に入ると軍服が少し汚く畳まれて地面に並べられていた。
「ただいま、ロディーヤ女子挺身隊のリリス・サニーランド」
リリスがそう言ってダーリンゲリラの衣服のボタンを一つ一つ外して上を脱いでいく。
少尉も灰色の冷たい床には座って黒のハイソックスの裾を掴んでスルスルと脚の曲線に沿って脱いでいく。
ベルヘンはただただその光景を座って見ていた。
「すまんなベルヘン、後で手伝ってやるから」
そう言ったリリスが少し懐かしいロディーヤの正規の軍服を着ているとリリスの目が段々と熱くなってきた。
ベルヘンが心配そうに覗き込むと、リリスの両頬を濡れていく感触が伝っていった。
涙だった。
無意識のうちに涙腺から熱い涙がにじみ出ていたのだ。
「リリス…?どうしたんだ?」
少尉が心配そうに声をかけるとリリスは震えた声で言った。
「わからない…わからないけど…悲しい…思い出しちゃった…この軍服の着方を教えてくれたメリーちゃんのことと、身を挺して守ってくれたウェザロちゃんのこと…この軍服を着ていると…思い出しちゃった…」
リリスは俯きながら今は亡き戦友のことを思い出したのだ。
その鮮やかに蘇ってくる友達がこの軍服で繋がっていたことを理解したのだ。
「なんでこんなに悲しいんだろう…パパとママの死と同じくらい悲しい…会いたい…みんなに…早く会いたい…」
さらにリリスが言葉を繋ぐ。
「一瞬…ほんの一瞬…死のうかと思った…死んだらみんなに会えるかもって…本当に一瞬だけ…ごめんね…私…生きるって決めたのに…弱くて…」
泣きじゃくるリリスを見て、着替え終わった少尉が優しく背中に手を回して抱きしめる。
「悲観することはない、結局いつかは全員で会える。
でもそれは人生の最後のお楽しみだ、それまでこの服を着て生きろ、軍服を着て生きることができるのは生きているうちだけだからな。
このみんなの思い出が詰まった軍服を着て生きることができるのは、今だけだ、それまで強く生きろ」
ベルヘンも慰めるように言葉をかける。
「そうよ、いつか死ぬのに今そんなこと考えても意味ないわ。
それにもしみんなだったら絶対こう言うと思う、『もう来たのか、早すぎるだろ』ってね」
ベルヘンのその言葉がリリスの前から消えていったみんなの声が重なって耳に届いた。
その懐かしい声を聞いてリリスはさらに歯を食いしばるようにして泣く。
そしてしばらく泣き続けたあと、袖で目を擦ると部屋の扉を開け光を差し込ませる。
そして語気を柔らかくしてこう言った
「そうだね…っ…心配かけてごめん。
私頑張るよ、戦争をすぐに終わらせる為に人を撃つよ、撃ってこれ以上悲惨な戦いをしないように。
やっとわかった、善行には、平和にはあるべき犠牲が必要なんだって。
だから人殺しになる、少ない犠牲でこの戦争を終わらせて私が殺した人たちに終戦という形で手向けるよ。
同じ様な想いをする人がもう出ないように、この悲しみの連鎖を断ち切る為に。
そして
全ての戦争を終わらせるために」
そう言い切ったリリスの目つきはもはや別人だった。
数々の激戦をくぐり抜いてきた老兵の様な貫禄の目だ。
その圧倒的な威風に思わず二人とも気圧されてしまった。
そんな二人を見てニッコリと笑うとそのまま一言。
「先行ってるねっ!」
とだけ言うと通路へ飛び出していってしまった。
少尉は小さくつぶやく。
「…どこまでも明るいな、あいつは。
戦時中といえど人を殺したら殺人者だ、兵士たちはそれに向き合わず、正当性を並び立ててなんとか自分を擁護する、仕方のないことだ、自分から人殺しだと思いたい人なんかいないからな、別に非難したり責めるつもりもない。
だが、飛び抜けてリリスは、覚悟がある。
きっと全世界の人間に殺人鬼と罵られてもあんな目つきで認めるんだろうな。
俺は否定してしまいそうだ、『敵を殺したんだから英雄だ、単に人殺しをしていたやつとは違う、俺が正義だ』って」
その言葉につなげてベルヘンも語る。
「そうね、きっとこの戦争の真理にいち早く気づいたのよリリスは。
『人を殺せば殺人』
いくら国が認めた殺人だからといっても殺めた事実は変わらない、リリスはそれを受け入れて人を殺すことに決めたのね、もうそんな異常な戦争を終わらせるために、もう怒らないように」
灰色の薄暗い部屋に差し込んだ光に照らされた二人がその覚悟に押されながらも正規の軍服へ着替えた。
少尉が脚を負傷して自力では着替えられないベルヘンに服を着せ、背中に乗せて外へでた。
少尉が偵察兵の青年たちがいるところまで行くと、とりあえずベルヘンをハスターの元へ降ろし、辺りを見渡す。
「あれ?リリスはどこだ?」
「ああ、あの子なら上だよ」
青年が少尉の少し上を指差すと要塞の屋上にリリスがいた。
「リリスっ!何やっているんだ、危ないぞ」
「大丈夫ですよ少尉っ!今場所を探しいてるんです」
「場所?」
そう言ったリリスは置いておいた狙撃銃を手に取って見せつけた。
「ここからだと常緑高木の間から死のゾーンが見えるんです、ロディーヤとテニーニャの両塹壕の間の湿地、ここなら安全に狙撃して支援できますよ」
リリスの手には弾薬がまとめられたクリップとボルトアクション式のスコープのついた狙撃銃が握られていた。
「いつ来るかはわかりませんけど、敵が来次第撃ちます、三人が戦闘の開始を知らせて、やってきた敵を撃ちます」
「そうか、積極的に戦闘に加わるようになったか。
悪い意味でも良い意味でもリリス、お前変わったな」
「戦わないとこの地獄が終わらのことを知りました」
その目は決意に満ちいていた。
屋上にキリッと立ったリリスに風が吹く。
リリスの行為が変わろうが、その気高い理想は変わってはいなかった。




