運命の一分間
三隻のロディーヤ帝国の飛行船スィーラバドルト号によってテニーニャ共和国首都ボルタージュへと大規空襲を敢行し、雪辱を果たした皇帝陛下スィーラバドルトだった。
スィーラバドルト号は爆弾をこれでもかと投下したあと、戦火に照らされていた夜空に溶けていった。
だが飛行船が帰路についていたことなど誰も気付けなかった。
首都は烈火によって熱せられ、とても目を開けて上空を見上げることなどできなかったからだ。
飛行船が去ったあとも戦火は一晩中燃え広がり濃紺の空を夕暮れに戻したのだった。
火が完全に消し止められたのは翌クリスマスの朝だった。
それはとてもこの世の光景とは思えない。
限界を留めないほどに崩落した建物、あちこちにいきいきとしている人の形をして炭。
電灯や鉄のポールや自動車や標識、鉄でできていたものはぐにゃりと融解して変形している。
これらが烈火の温度を表していた。
正しく灼熱でボルタージュは熱せられたのだ。
何事もなかったのは地下鉄駅や頑丈な建物、運良く火の手が回らなかった人々だった。
その他の人は焼き焦げるなり、負傷するなりで大変だった。
無事だった人々も外の光景を見て愕然とした。
膝をついて崩れ落ちで慟哭するもの、ただただ唖然として立ち尽くすもの、瓦礫の山を乗り越えて家へと走るもの。
爆弾が命中してところでは殆ど同じような様子が繰り広げられていた。
「火が消えても地獄は地獄か」
そんな若い男が自身の家族らしい写真を握りしめながら呟いた。
そんな惨状をよそにクリスマスのチェニロバーンは帰ってきたスィーラバドルト号を国民総出で出迎えていた。
手や上着を振るって帰還を祝った。
皇帝陛下が乗った一号はゆっくりと高度を下げるとその巨船は低空にとどまって待機していた兵士たちが飛行船を固定するために縄を張ってそれを地面の大きな杭に縛り付ける。
安定したゴンドラから階段がガタンッと展開され、地面に着地した。
そしてゴンドラから降りてくる陛下の脚が見えた瞬間より国民の歓喜の声は猛烈な声量となり天に反響した。
階段を降りてくる陛下は手を振りながら、周囲に出迎えに感謝を示した。
降りていく陛下とは反対に、参謀総長は未だゴンドラ内にいた。
いなくなっていたルミノスを探していたのである。
「ルミノスーどこだー出てこいー」
弾倉を探すもそこは爆弾を投下し終え、空になった空間だけだ。
上を見上げると気嚢を押さえつけるように規則正しく張り巡らされている鉄の骨組みが目についた。
何気なく見上げていると額に血が垂れてきた。
「この血は…ペロッ…ルミノス」
参謀総長が急いで弾倉の壁のはしごを登り、爆弾を懸架していた鉄骨ヘ登りそこから慎重に骨組みを伝って上へと急ぐ。
「ルミノスっ!!」
ようやく見つけたルミノスは鉄骨に干されるように仰向けで垂れ下がっていた。
来ている軍服は濃い赤色に染まっている。
参謀総長はそんなルミノスの身体を抱きかかえ聞く。
「ルミノス、何があった」
「ああ…参謀総長殿…わたくしの血は汚いです…穢れてしまいます…」
「勝手に喋るな、質問に答えろ」
「後ろ…」
ルミノスがブルブルと震える指で参謀総長の後ろを指す。
次の瞬間、上の鉄骨から飛び降り、柔らかい気嚢に着地した影が見えた。
「殺す…っ!!殺す…っ!!絶対殺すっ!!!」
ルミノスの同じように両手に二本、バヨネットを携えてたフェバーラン特務枢機卿が息を荒くなしながら血の流れ出る額を袖口で拭う。
「どけっ…っ!我は人の子神の子、殺されたくなかったら今すぐ殺されろ貴方様」
フェバーランがバヨネットを持って参謀総長とルミノス目掛けて飛び込んできた。
参謀総長は弱ったルミノスを抱えたまま言った。
「全く、君はそれでも聖職者か、君の信仰はその程度か。
見せてやろう、信じるということの事の重さを、そしてその代償の末手に入れた力を」
「ほざけっ!!ご逝去くだされ貴方様っ!!!」
参謀総長はルミノスをそっとおいて自ら突っ込んでくるフェバーランに向かっていった。
その二本の突き出されたバヨネットを懐から取り出した二丁のオートマチックの拳銃で正面からハの字に逸らして、がら空きの腹目掛けて力いっぱい遠慮なくその足裏を肉袋に全力で食い込ませた。
「ぐぇぇぇぇぇぇーーーっっ!!」
枢機卿は血が混じった吐瀉物を撒き散らしながら気嚢に投げ込まれた。
気嚢に力なく痙攣しながら横たわるフェバーランに近寄って言う。
「相当ルミノスと善戦したみたいだな、信じられないほど弱いぞ、話しにならなかった。
いつもの特務枢機卿の実力はこんなものではない、なら虫の息の今この瞬間に鬼籍に入れねば」
参謀総長がフェバーランの喉元に脚を乗せ頭部目掛けて銃口を向けた。
「か…っ変わり種は…まだあるんですよ…」
血を吐きながら力を振り絞って消え入るような声を放った。
そして持っていた二本のバヨネットのうち、一本の刀身を射出した。
「ほう、刀身が射出するバヨネットか、なかなか面白いじゃないか、死の間際まで私を感心させてくれるいい聖職者だ」
だが、その行為の意味に気づいたルミノスが声を荒らげた。
「参謀総長殿っ!!逃げてくださいっ!!そのバヨネットの柄は射出した五秒後に爆発するんですっ!!」
「なんだと」
参謀総長は急いで枢機卿から離れルミノスを抱えて脱出しようとする。
がルミノスの言う爆発は起こらなかった。
「…あれ?おかしい…確かに五秒後だったはず…」
爆発しない柄に戸惑っていると、枢機卿はゆっくりと起き上がり射出していないバヨネットで飛行船の壁に刃を食い込ませて大きく縦に割いた。
その隙間に手をかけた枢機卿が言い放った。
「まさか頭馬鹿かな、飛行船内で爆発なんて起こせるわけないでしょう、持ってきたのは普通のバヨネットです、でもこれは…」
持っていた手を気嚢の上に投げ込む。
「もしもの時の為の爆薬です」
次の瞬間、気嚢の上でその柄が爆発し、一瞬にして泉内が炎に包まれた。
その火は気嚢から気嚢に燃え移り、白い巨大な気球を内側から炙り、そして火を吐いた。
その爆発を見た民衆と数分前まで乗っていた陛下の目にはっきり映った。
低空で巨大な火種が灰や燃えカスを撒き散らしながら漂っている。
爆発に巻き込まれた参謀総長は気絶してしまっていた。
だが船内を加熱するその温度で目が覚めた。
「ここは…」
参謀総長が目を覚ますと最初に飛び込んできたのは燃え盛る火の手と煤にまみたルミノスの顔だった。
ルミノスは気絶していた参謀総長をお姫様抱っこで抱えてていた。
「あなたが死んだら、わたくしの夢はどうなるんですか?この国は、廃園は。
参謀総長殿が死ぬときはわたくしより後でなくてはなりません」
その言葉を聞いた参謀総長がニッコリと笑う。
「全く、親からもらった身体は大事にしたまえ」
「わたくしの親は参謀総長殿、あなたです。
親の危機に無関心でいられる子なんていませんよ、少なくともわたくしはね」
ルミノスは参謀総長を抱えたまま、操縦室へ行きその展望窓に向って走り出した。
「参謀総長殿、わたくしの目を見ていたください」
「何を今更、君の目から恣意的に視線を外さたことなどないぞ」
ルミノスは勢いよく展望窓に飛び出して抱えた参謀総長の頭部を守りながら飛び込んだ。
展望窓が割れ、月光に光る小川の水面の様なガラスの破片がキラキラと二人を脚色した。
ルミノスは空中に停めていた飛行船と地上とに繋がれている縄に飛び乗ると、軍靴の靴底の凹みに縄を合わせながらスルスルと煙を吐きながら下っていく。
猛スピードで縄の上を滑りながら地上へと向かいって言っていたが、燃えていた飛行船がさらに大規模な爆発を起こして次第に地上へと墜ちていく。
すると縄が緩んで順調に滑っていたルミノスのバランスが崩れる。
「うわっわっ!!まずい…っ!!」
あと少しというところでルミノスは縄から転落してしまった。
「目が覚めた、感謝するぞルミノス」
参謀総長が宙を舞っているルミノスの手を取って今度は逆に参謀総長がルミノスを抱きかかえた。
そしてそのまま両の脚でしっかりと着地した。
「あっ…ありがとうございます…参謀総長殿」
「子を守るのも親の義務だからな」
参謀総長がルミノスを下ろすと、帝国陸軍兵が駆け寄ってきた。
「参謀総長っ!どこにいたんですかっ!その煤、てっきり爆発に巻き込まれたのかと…っ!」
「いや大したことない、皇帝陛下は?」
「無事ですよ、でもあと一分遅かったら危なかったかと…」
「なるほど、運命の一分間ということか」
参謀総長は墜落し燃え盛る飛行船の残骸を眺めながらそんなことを言った。
ルミノスはそっと茂みに隠れながらその場をあとにしたのだった。




