泥濘に墜つ
ロディーヤ帝国陸軍の侵攻を退却させたテニーニャ国防軍内ではお祭りムードが続いていた。
十月十五日、塹壕に向けて突撃してきた帝国陸軍兵をテニーニャ共和国の少女隊、リグニン・アリーナッツとレイパス・グランダーは機関銃によって打ち倒した。
しかし、エロイス・アーカンレッジだけは戦わず、塹壕に籠もりっぱなしだった。
「「かんぱーーいっ!!!」」
リグニンとレイパスはコップに並々と注がれた安酒をごくっと喉奥に流し込んだ。
少女たちは八日前の戦闘を語り草に酒を嗜んでいた。
十月下旬の二十三日、星座が紺色の空に瞬き少女たちを見守っていた。
「リグニンー、君確か未成年じゃなかったー?」
「いいんだよレイパス!いつ死ぬかわからないんだ、最期のときぐらい好きにさせろっ!」
「いいねー!いっき!いっき!」
「いっきは危険だから囃すなっ!」
「あははー」
リグニンは酒を飲み干してから顔を赤らめて言った。
「見たか?ロディーヤの慄き様を、訳もわからず私が撃った弾になぎ倒されていった!あれは戦争じゃなかった!殺戮だ!一方的な殺戮だった!」
実際、十五日の侵攻はロディーヤの一方的な敗北となった。帝国陸軍は撤退したのに対し、国防軍内では死者ゼロ、負傷者十三名といった有様だった。
「まぁこの塹壕がある限りハッペルまでの進撃は多少遅らせられるねー。
ロディーヤが侵攻してきたのが十月十五日、でももう二十三日、いよいよ寒くなる。
もうすぐ侵攻の速度が落ちる頃だからそれまで耐えよー」
「そうだな、そろそろロディーヤも対策してくるかもしれない…もしくは諦めてくれるか」
「いやーそれないかなー。
後ろのハッペル落とさない内はなんにも進まなそうだしー」
冬の夜風は華奢な少女たちには堪える。
トレンチコートに身を包み、夜を越す。
リグニンが一通りコップを空にしたあと
「そういえば、エロイスは…」
「あーエロイスねー…それなら…」
レイパスが塹壕内で膝を抱えてうずくまっているエロイスに顔を向けた。
エロイスは戦闘の恐怖に屈し、塹壕で身を屈めてうずくまってほとんどなにもしなかったのだ。
そのことを負い目に感じて八日前からほとんど喋っていない。
こうしてうずくまっているだ。
「ねぇ、エロイス?ウチら別になんにも思ってないから大丈夫だよ?」
「そうだよー。命あっての物種ーって言うからねー」
エロイスは励ましを受け、面を上げる。
「そろそろ顔上げよっ?ロディーヤがまたやってこないように見張ってなきゃいけないんだから、人数は多いほうがいいいから、ねっ?」
リグニンが片膝立ちでエロイスに寄り添う。
「うん…でも私…」
「大丈夫大丈夫、ほらっぎゅ〜って、これでよし。ね!暖かくなったでしょ?」
「リグニンもママパワー注入してくれたわけだし、君もそろそろ笑顔見せないとー」
「何がママパワーだ調子に乗るな」
「えー」
一連の流れにエロイスが静かに笑う。
「ありがとう…みんな…、隣にいてくれるだけでパワーを貰えるよ」
「でしょ?だからエロイスもほらっ笑えっ!」
「…っ、うんっ!」
時刻はすっかり夜の十一時になっていた。
「ほらっ!エロイスもお酒っ!美味しいぞ!」
「え、えぇ…私はいいよ…」
「そう言わず!ほらっ、ぺろって」
「うん…」
エロイスが安酒に舌を入れて味見してみる。
「どーおー?美味しいでしょー」
「…」
「どう?エロイス?」
「うん…サイダーの方が美味しいかな…」
「こらー乗り悪いぞー飲めっー!」
リグニンがエロイスに無理矢理全部飲まそうとする。
「ア、アルハラ…っアルハラっ!」
「あははー君もいずれこの良さがわかる日が来るよー」
こうして三者三様の夜を過ごしていた。
エロイス、リグニン、レイパスの三人はそれぞれ三時間おきに見張りを交代する約束をつけ眠りに就いた。
日付が変わり、二十四日の一時頃。
エロイスと数人が塹壕の向こう側を見張っていた。
(んー…眠い…。早く変わってくれないかなぁ…)
エロイスは寝ぼけ眼を擦り、睡魔を飛ばす。
しばらくすると雲に隠れていた月が姿を現し、戦場一体を微弱な月光が照らした。
すると田畑の向こうに僅かに動く人影と野砲らしき影がほんの一瞬だけ、ぼやけた眼に写り込んだ。
(えっ…あれは…)
エロイスが再び目を擦るとその影らしきものは既に消え失せていた。
(なんだろう…動物…?それとも敵?…?闇夜に紛れて何を…。いいやっ心配しすぎっ、強くなれエロイス・アーカンレッジっ!きっと恐怖が見せた幻覚っ…。
それにもし仮にあの幻覚が本物だとしたら他の子が報告してくれる…うん…そうだきっとそうだ。
だって現にいま誰も何も言ってない…きっと幻覚だった…そうに違いない…)
そう言い聞かせ、エロイスは再び見張り体制に入った。
来たる十月二十四日。
エロイスが目を覚ましたのは日が登りきった朝だった。
「あ、もうこんな時間…」塹壕内から身を起こすとなにやら温かいいい匂いが鼻腔に入り込んできた。
「この匂いは…」
エロイスが塹壕の外に出るとそこには湯気が立ち込める銀の配膳缶を国防軍の女の子たちが囲ってはしゃいでいる。
どうやら匂いの元はこれらしい。
「あっ!おはよーっ!」
「遅かったねー」
「みんなごめんごめん…寝過ごしたっ!」
急いで缶に駆け寄る。
「おっ、エロイスやっと起きた」
「リグニン…起こしてくれても良かったのにー…」
「ごめんごめんっ、あまりにも気持ちよさそうに寝てるからさ」
「すごかったよー、大口開けてよだれだーー」
「ちょっ、レイパスっ…」
隊内が笑いに包まれる。
「ほら見ろエロイス、コンソメスープだ。野菜が多くて体にいいぞ」
缶を覗くとそこにはキャベツや人参などの野菜がふわふわと浮遊している。
お玉をかき回すたび、コンソメの匂いが鼻をくすぐる。
そこにオーカ准尉が軍靴を鳴らして近づいてくる。
「いいか!この配給は私が無理を言って届けてもらったものだ!普段貴様らなどクズ野菜だけを食ってればいいものをわざわざ頭を下げて頼みこんでやったんだ!残さずに食え!」
一人一杯ずつ配られる。
それをスプーンで掬って口に運ぶ。
「うん!美味しいっ!」
「久々に食べるとなお美味しいよね…コンソメ」
「やっぱり冬のスープは五臓六腑に染み渡るー」
「「ズズズズズズッ………はぁぁぁぁ……」」」
三人が息を揃えてスープを飲み干す。
暖かな液体が体内をほぐしていった。
朝食を済まし再び塹壕内に身を潜める。
既に雲が空を覆い、すっかり曇天といった様相だった。
「雨、降るかな…」
「さぁどうだろう、でも曇ると流石に寒さに拍車がかかる」
「うん…」
リグニンは体に巻きつけた毛布を口元まで引っ張り覆った。
エロイスは二の腕を擦って堪えている。
「エロイス、毛布は?」
「えっ?」
「毛布、支給されてたでしょ?」
「あ、うん…それなんだけどね…どこかに忘れてきちゃって…塹壕のどっかにあると思うんだけど…」
「えぇ〜、もう、しょうがないなぁ。ほら、おいで」
リグニンは自身をくるんでいた毛布を開き、エロイスを誘う。
「えっ…あ、ありがとう」
「いいって」
一つの毛布に二人の少女兵が冷たい塹壕でくるまっている。冬の十月、十分に身にしみる寒さの中で。
「リグニン…」
「ん?どうした?」
「私今、とっても幸せ…」
「なに円満夫婦の女みたいな事言ってるの、全く…」
「私…、こんなに人と近くになったことないよ…いつもなら誘われたときに我慢して耐えるんだけど…リグニンなら、リグニンならいいかなって…」
エロイスがリグニンの肩に顔を傾ける。
「そうか…つまりウチはエロイスにとって特別だって事?」
「そう…かな…?ありがとう、私ここまで自分のこと曝け出せれたの初めて…」
「ん…」
二人の頬の温度が上がる。寒さのせいか、感情のせいかわからない。
「仲いいねー羨ましー」
レイパスが恨めしそうに見つめる。
「私はお邪魔虫かなーっと」
二人の雰囲気を察していそいそと退却した。
十月二十四日、曇天の日中に突如として轟音が鳴り響いた。
ドォォン!
ドォォン!
ドォォン!
その轟音を聞き、国防軍に戦慄が走る。
閃光は曇天の空を尾を引きながら切り裂き飛来してきた。
「エロイスっ!リグニンっ!ロディーヤだっ!」
レイパスの叫び声も塹壕手前に着弾した音にかき消される。
着弾した衝撃で張り巡らさていた鉄条網が次々と破壊されていく。
「リグニンっ…!」
「エロイス…今度こそ、戦える?」
「うん…私頑張る…もう塹壕のそこで縮こまったりしないっ…!」
「そのいき、死なないようにね」
「うん…!」
「リグニンっ!こっちっ!」
「うん、今行くっ!」
リグニンはレイパスに呼ばれ塹壕の端へ向かって身を屈めながら走っていった。
「大丈夫…私ならやれる…!リグニンとレイパスを守るため…!」
そう意気込むと歩兵銃のトリガーに手をかけ撃つ用意をした。
「貴様らーーーっ!怯むなっ!奴らの目的は我々ヘの威嚇だーーー!砲撃が止んだあと必ず銃剣で突撃してくる!使える武器全てを利用してなぎ倒せーーーー!」
オーカ准尉はそう息巻いているが、現場は大混乱だった。
昨日までなかった野砲が遠くで火を吹いているからだ。
混沌の中でも情け容赦なく砲弾は打ち込まれていく。
しばらく砲弾が降ってきた後、戦場に静寂が訪れた。鉄条網は破壊され、田園はすっかり窪み、クレータが点在する月面のようになっていた。
「砲撃が…止んだのか…?」
「気をつけろーー!突撃してくるぞーーーっ!」
しかしオーカ准尉の発言とは裏腹に突撃はやってこない。
しかし次の瞬間。
「また来たぞーーーーっ!」
すぐさま同じような悪魔の流星が尾を引いて落ちてくる。
しかしさっきまでの砲撃と違うのは、明らかに塹壕目掛けて飛んできていた事だった。
そして
兵士のたちの上空でそれは炸裂した。
「ぎゃぁぁぁぁぁっ!!」
「大丈夫か!?」
「ア゛ァ…ア゛ア゛ッッ…」
「…っ!!!?」
エロイスの眼に飛び込んできたのは炸裂時に散弾した鉛弾が顔面に降り注ぎ、ザクロのような風貌に変わった少女兵だった。
生きているのかも死んでいるのかもわからない。
残心でただ、ふらついいている。
顔の穴から滴り落ちる鮮血を塞ぐかのように手を当てている。
ついに地獄が姿を表した。
(こんな砲弾…知らないっ…!)
砲弾の種類はロディーヤの新兵器、榴散弾。人間に爆風とともに鉛弾が飛び散る。
馬や人間の軟目標を破壊する為に作られた砲弾だった。
「なんて非人道な兵器をっ…」
「いつの間にロディーヤの奴ら野砲を用意したんだ!?」
「わからん!夜間のうちに運んだのかもしれない」
「だったら既に報告されているはずだろ!クソっ!」
そんな会話がエロイスの耳に飛び込んで来た。
「野砲…夜間…ま、まさかっ…!?」
エロイスの手が震える。
「ちっ、違う…!私のせいじゃ…夜のアレは…幻覚のはずじゃ…!あっ…あぁっ!違うっ!私は…!」
エロイスの表情が曇る。頭を抱えて立ち尽くす。
「あの夜見たのは…幻覚じゃ…幻覚じゃなかった……!私が報告していればっ…!私がっ…!」
エロイスの涙腺から涙が滲み出る。
鉄条網を破壊する砲撃、ロディーヤの新型の砲弾、榴散弾。
それを放つ野砲を発見して報告できなかった。
その罪悪感で圧死しそうなっている。
「ちゃんと報告していれば今頃は…っ!」
だが時既に遅し。間髪入れず打ち込まれる榴散弾が塹壕上空で炸裂する。
「エロイスーーーーっ!!」
「……っ!その声…」
塹壕の端から弾薬箱を両手に携えたリグニンが駆け寄ってきた。
「何してるっ!早く塹壕内の蛸壺に隠れろ!どんな砲弾かは知らんが、危険だってことは確かだ!ほらっ早くっ!」
「……ごめんなさい…」
エロイスがその場に座り込む。
「なんだいきなりほらっ!」
エロイスはリグニンに手を惹かれ、塹壕内の居住スペースへと駆け込む。
駆け込んだ先も阿鼻叫喚の地獄だった。
散弾で顎が砕かれた者、視力を失い地を手探りで合うもの、前回の侵攻とは違い殺傷力の高い兵器を用いられ、絶望に打ちひしがれる者。
そんな中でもリグニンは必死に呼びかける。
「みんなしっかりしろっ!これで終わりじゃない!この後帝国陸軍が攻めてくるんだ!ここが破られたら勝利に近づけなくなる!」
そんな呼びかけ虚しく、全体に諦めムードが漂い始めた。
「リグニン…私のせいなの…」
「…っ!?どうしたいきなり!」
「私がしっかり報告していればこんなことには…」
エロイスの顔が涙でくしゃくしゃになる。
「…どういう意味?」
「私が夜の見張りのとき、人影と砲らしい影を見た…それを睡魔が見せた幻覚だって信じ込んで…報告しなかった!!」
瞬間、隊員たちの表情がみるみる豹変し始める。
そして一人の少女兵がエロイスの胸ぐらに飛びかかった。
「てめぇか私の親友を殺したのはっ!!!この野郎っ!」
「…っごめんなさいっ…ごめんなさい…っ!」
「謝って済むかよっ!てめぇがっ…てめぇがしっかり知らせていればっ!対策できた筈だろっ!」
その表情には涙が浮かび瞳孔を潤している。怒りで頬と鼻が熱くなっていた。
「おいっやめろっ!」
すかさずリグニンが仲裁に入る。
「喧嘩したって現状は変わらないっ!今はっ、今のことを考えるんだ!」
「私の今するべきはこいつに責任を果たさせる事だぁーーーーっ!!!」
少女兵がエロイスに拳を向けた。
その時。
砲撃がピタリと止んだ。
そして
「突撃ぃーーーーーっ!!!!」
その掛け声とともに遠くで水が跳ねる音がする。
大勢の川を渡る音、それはぐんぐんとこちらに差し迫ってくる。
「っ!?来た、帝国陸軍…!…っ手を離せっ」
リグニンはエロイスの胸ぐらを掴んでいた少女兵の手を振りほどくと
「あの砲弾の雨はもう降らない、ウチらの存在意義はあの敵兵を、この塹壕を飛び越えさせない為にある。胸ぐらを掴むのは無事を確認できたときにしろ」
リグニンはエロイスの手を掴み塹壕へと出た。
そこには榴散弾から逃れられなかった少女兵の死体が点在していた。
「…っ、私のせいで…」
リグニンは弱気のエロイスの両頬に手を添えて顔を近づけて言った。
「今ここで謝罪しても意味ない、きっちり誠意ある謝罪をするのは…死んで彼女たちに会ってからにしよう」
「……っ、うん、」
「よしっ、来るぞ、帝国陸軍だ!エロイスっ準備はいいなっ!?」
エロイスとリグニンは歩兵銃を構え塹壕の外側へと向ける。
「もちろん…もう、死んで責任を取る準備はできてる…!」
二人が銃口を向けてからしばらくすると、ロディーヤ兵士たちが姿を表した。
しかしそれは見知った兵士たちではなかった。
「…っ!、違うの…あれは帝国陸軍じゃない…」
「私のたちと同じ…少女隊…!」