ロディーヤ全土大空襲
量産されたゴールドミルキーウェイという双発の重爆撃機はすでにテニーニャ各地の小都市に配置されてロディー空襲へ向けシルバーテンペストとともに旅立った。
ロッキーマスドールズの少佐とエロイスは余っていたシルバーテンペストに乗り込んで大空を飛んだ。
一方その複葉機たちが配備されているランヘルドへとたどり着いたダーリンゲリラのルナッカー少尉はその爆撃機の一つを密かにジャックして第一次渇望の夜作戦によって飢えている帝国陸軍兵ヘ食料を投下したのだった。
十二月十日、昼過ぎ。
ロディーヤ帝国帝都チェニロバーンは曇天だった。
空は灰色の分厚い雲に覆われ、にわかに湿気付いていた。
この日、人々はいつもどおり過ごしていた。
『戦争は戦場だけの話』
『市民の自分たちは攻撃される訳がない』
誰が行ったか、そんな楽観的な考えが無意識下に蔓延っていた。
店が乱立する帝都の通りで昼飯を済ました会社員、優雅に野外の席で紅茶を啜る婦人、子供を連れて玩具屋へと赴く家族。
そんないつもどおりの日、日常、平和。
永遠に続くかと思われた安泰は、曇天に木霊するサイレンの音で簡単に破壊された。
「おいっ!あれを見ろっ!!」
一人の男が空へと指をさす。
帝都中はそのサイレンの音に驚き、そして男が指した大空へと顔を上げる。
灰色の雲の隙間から見えた黒い爆撃機がきれいに隊列を組んで大空を跋扈している。
平和だった都の空一面を埋め尽くす大群。
大きく悠々と飛ぶ爆撃機の周りを銀翼が飛び交う。
そしてその戦闘機、シルバーテンペストは爆撃機周辺を離れ眼下の敵都目掛けて急降下してきた。
そして帝都の空を縫うように飛び交い、逃げ惑う市民に後席の重機関銃が浴びせられる。
空中を飛びながら高速で弾を放ってくる魔物に市民たちは為す術もなく、次々と肉体をボロ布にされながら倒れていく。
帝都は一瞬にして血の海と化した。
テニーニャ各地から飛び立った数千の戦闘機は野糞に群れる羽虫のように、縦横無尽に眼下の市民を嘲笑うように通りを飛び去っていく。
その機銃掃射やエンジン音は参謀本部にいたハッケルの耳にも届いた。
「何事だ?」
任務から戻ってきたルミノスは書物を読みながら来賓用のソファに腰かけていた。
「…せっかく戻ってきたのに、色々と忙しいですね最近は」
「あれは空襲警報だったな、だとしたらこの帝都にいると危ないかもな」
「でも来たとしても戦闘機だけですよ…いくらなんでも…」
その瞬間街のどこか遠くで大音量の爆音が聞こえた。
鼓膜を猛烈に震わす轟音、その衝撃波は参謀本部の窓ガラスを粉々に砕いて、室内に飛び散った。
「…っ!参謀総長殿…っ!お怪我は…!」
参謀総長は悠々と机に飛び散ったガラス片を片手で床には落とすと。
「どうやら本格的にロディーヤを破壊しに来たらしいな、いいだろう、任せてみようじゃないか、テニーニャの奴らがどれだけ私の計画成功へと近づけてくれるのかを」
戦闘機が外にいた市民たちに掃射を浴びせ、通りや広場に内臓や肉片を散らかした死体たちが雑魚寝している。
辺りにはガラス片が散らばり、キラキラと月光に反射する川の水面のように光っている。
街の家屋の外壁には戦闘機の重機関銃の大口径による穴が空いていた。
そんなすでに満身創痍に帝都に重爆撃機、ゴールドミルキーウェイが追い打ちを仕掛ける。
大きな複葉機の後席の下に開いた穴から次々、黒い爆弾が落とされていく。
絶え間なく落とされる黒い雨は帝都上空を覆い、そして場所を選ばす遠慮なく着弾し爆発していく。
住宅、広場、通り、教会、学校、工場…
無差別に猛烈な轟音を発しながら、さっきまで生きていた人間をただの調理前の豚肉のようになり、あちこちに広がる。
曇天のの隙間から黒い悪魔が機械的に飛行している。
爆撃から逃れようとして外へと飛びしてきた市民たちには戦闘複葉機のシルバーテンペストの重機関銃がお出迎え。
もはや逃げ場はない、数分前まで何一つ変わらない日常はたった一回の空襲警報のサイレンでいともたやすく消え失せたのだ。
その逃げ惑う市民を掃射する戦闘機の中にはあの少佐と一人の少女兵がいた。
「エロイスっ!どうだっ!復讐だっ!百年前の雪辱を晴らしに来たぞっ!」
「これで終戦が早まるんですよねっ!?」
「そうだっ!この戦争を終わらせて安心して床につく、実現はそう遠くないっ!」
少佐は更に高度を下げ、建物立ち並ぶ機体のギリギリの通りをスレスレに飛ぶ。
「少佐っ!近すぎますっ!ぶつかりますっ!」
「前だっ!前に敵がいるぞっ!」
「えっ!?」
その通りのには負傷した男の子を背負って運んでいる父親らしき人がいた。
その父親はもう一人小さな女の子と手を繋いで逃げている。
「エロイスっ!機体を反転させる、掃射しろっ!」
「そんなっ!」
少佐が機体を少し浮かして進んで、勢いよく機体の上下を反転させる。
「今だ撃てっ!!」
機体が親子の上を通過し逆さまの状態からエロイスは後方に向けた機関銃で撃とうと試みるが。
「だめですっ!少佐!撃てませんっ!」
「情が湧いたかヘタれっ!」
エロイスはその逃げ惑う親子に弾丸を浴びせることはできなかった。
「エロイスっ!奴らは百年前奴らに負けたんだっ!また負けたいのかっ!勝って家に帰りたければ人の心を捨てろっ!!エロイスっ!!こんな風にっ!!」
そう喝を入れると反転させた機体をそのまま持ち上げて上空で元の向きに戻すとまた降下して通りの親子目掛けて低空飛行で突っ込んでいった。
「安心して眠りにつくためにはどんな不安も消し去らなければいけないっ!たとえその不安が微細なものであってもっ!」
表情が叫んだ瞬間、ドンッ!と重い衝撃が機体を激しく揺らした。
そしてバキバキバキバキッ!という硬いものが切り刻まれるような音が響く。
その音の中には何か水っぽいものが弾けるような音も混じっていた。
そして何か温かい真っ赤な柔らかいスライムのようなドロドロして液状のものがエロイスの頬に付着する。
その物体を分厚い手袋をした手で掬う。
その物体に目を取られていたが、顔を上げると自分の背中、つまり戦闘機の前から真っ赤な鮮血が撒き散らしながら飛んできていた。
その血液の中には何か柔らかい固形物のようなものも一緒だ。
その血がエロイスの背中に付着し、軍服の繊維を通過して肌にまで浸透してきた。
「しょ…しょう…さ…?」
エロイスがあまりに現実離れした光景に思わず振り返る。
そしてそこで全てを理解した。
戦闘機の戦闘が真っ赤に染まっている。
銀翼の翼やエンジン部に付着した血液は戦闘機に当たる風でゆっくりと雫が押し流されている。
そして先端についているプロペラはその羽の形がはっきりと解るほど赤く縁を描いて回転していた。
少佐はあのまま低空飛行で親子に突っ込んで戦闘機についているプロペラで粉々に骨ごと砕いたのだ。
そしてさらに刻まれた肉片はプロペラによって周囲に飛び散って、その一部かエロイスの頬についたというだけのことだった。
「これぐらいの覚悟が必要なんだっ!身の安全を守るということは、誰かの安全を犠牲にしなければいけないんだっ!そうやって全人類は安全に生きてきたんだっ!」
顔を赤鬼のように真っ赤に染めた少佐ガ後席のエロイスへと振り返って言った。
その表情は真剣だった。
少佐は狂っていなどいなかった。
だがその事実はよりエロイスを震え上がらせた。
「…わっ…わかりました…軍人である私は、たとえ誰であろうとテニーニャに仇なす物を許さない…逃れられない運命…やりますっ!やりますっ!なるべく苦痛を与えずにっ!相手の生命と人生を尊重しながらやりますっ!絶対殺りますっ!」
少佐はその言葉を聞き入れると顔全面に付着した血液を腕で拭い、嬉しそうに笑うと操縦桿を引き,高度を上げて通りを抜ける。
「そうだ、私が眠るために必要なのは悲鳴と懇願で奏でられた夜想曲、指揮者のいない交響曲、私が戦争を終わらせる目的は不安を消し去って眠ること、そのためだけだ、そのためだけに私は空に駆ける」
真紅に染まった戦闘機は再び優雅に飛び回る。
はるか上空の爆撃機から排泄される爆弾に帝都が、人命が蹂躙される。
しばらく帝都を飛んでいた少佐の機体に複数発、弾丸が当たった。
機体の側面はその銃撃によって凹む。
発砲された方面を見ると民家の屋根に隠れながら戦闘機へと短機関銃を向けていた民兵たちがいた。
エロイスは覚悟を決め、重機関銃の大口径をその屋根に向けると銃の後部にあるハンドグリップを握ってトリガーを親指で押すと、乾いた大音量がけたたましく鳴り響いた。
その威力は木製の屋根ごと民兵たちを貫く。
その死体はズダズタになってそのまま屋根から落下していった。
「いいぞエロイスっ!そのままグリップから手を離すなよ」
戦闘機と爆撃機は散々帝都の町並みを荒らし回ったあと、帝都の景色の果てへと去っていく。
無規律に飛び回っていた戦闘機も母親の元へ駆け寄る赤子のように爆撃機へと向かって登っていった。
「…少佐、これで終わりですか?」
「いや、まだだ、大統領が命じたのはロディーヤ全土爆撃、次は郊外やハズレの方にある街へ向かう。
なに、やることは変わらないさ」
少佐たちも爆撃機へと向かって上昇する。
そして帝都を離れようとするが、そんな複葉機群に一機の爆撃機が猛スピードで上空からやってきた。
その爆撃機の機種は真っ黒なゴールドミルキーウェイ、味方だと安心したのもつかの間、なんと同じ味方であるはずの他の爆撃機の翼に重機関銃の弾丸を撃ち込みながら飛行する爆撃機の間をすり抜けていった。
撃たれた爆撃機の右翼はその銃撃によって破壊され、バラバラになった部品を弾かせ、そして黒煙と炎を纏いながらバランスを崩して隊列から離れ、徐々に落下していく。
そして積んでいた爆弾に引火すると爆撃機の隊列の少し下で大爆発を起こした。
その爆風で大きな機体が揺れる。
粉々に散った残骸が尾を引きながら落ちていった。
「…!?あの爆撃機は…!味方じゃないのか…!」
味方であるはずの機体が襲撃してきたという事実に戸惑いながら、戦闘機はその爆撃機の後を追う。
「エロイスっ!行くぞっ!」
「了解っ!」
少佐の乗った戦闘機も爆撃機へと近づいていく。
次々と戦闘機が爆撃機の横について、後席の機関銃が機体に向けて射撃すると、爆撃機は速度を上げて戦闘機を出し抜いた後、急旋回して戦闘機たちの後ろへと着く。
そしてそこから前席の機関銃が掃射して戦闘機の隊列を乱す。
掃射を食らわした後、爆撃機は高度を下げる。
「少佐っ!機体を傾けてっ!この角度だと撃てないっ!」
少佐ともう一機が降下した爆撃へ迫る。
だが近づいてくる戦闘機に向かうようにその大きな機体が迫ってくる。
そしてそのまま機体ごと回しながらやってくる戦闘機と一騎打ちになった。
少佐の戦闘機は直ぐにそこから離れたが、もう一機はまだ粘り強く迫る。
「早く離れろっ!ぶつかるぞっ!」
少佐が呼びかけた瞬間。回転させていた機体の翼の先端を戦闘機の尾翼にぶつけた。
爆撃機は回転をやめ切り抜けたが、尾翼を失い、コントロールを失った戦闘機はそのまま地面へ向けて落ちていった。
「何という身のこなし…あの大きさの機体を難なく操っている…エロイスっ!操縦手の顔を見ておけっ!」
「はいっ!」
エロイスが双眼鏡を取り出し、翼の先端が少し破損したまま飛行する爆撃機の前席を覗く。
「深緑色の外ハネの…女の子です…!右目が隠れた気の強そうな女の子です…!」
「女だと…!私たちが驚くのもなんだが…」
「それにあの軍服、テニーニャのものでもなくロディーヤものでもないです…見たこと無い軍服です、国籍不明の少女兵が一人で操縦していますっ!!」
その爆撃機を軽々と乗りこなしていたのはあのルナッカー少尉だった。
「クソっ!このオンボロっ!もっと早く動けっ!どうやったらもっと速度を上げられるんだっ!クソっもっと教えてもらえばよかった、あいつがいきなり無線を取り出しで助けを請わなければっ!クソっ!」
そのルナッカーの背後に少佐の戦闘機が食いついてきた。
「しつこいなっ!」
ルナッカーはこれ以上の反撃は不可能と考え急いで曇天の間に消えていった。
追いかけていた戦闘機はまだ任務中ということもあってそれ以上は追ってこなかった。
ただ唯一、エロイスと少佐が乗った戦闘機を除いては。




