煉獄の牢獄
テニーニャのシルバーテンペストが安置されていると思われる小都市ランヘルドへ向かっている道中、道に迷い込んでしまったダーリンゲリラの彼女たち。
人を見つけて道を聞こうかと思ったが、それはロディーヤでもテニーニャの軍服でもない真っ黒な軍服の人たちだった。
そして彼らはロディーヤ人を絶滅させることを目的とした特集な軍隊だった。
「毒ガス…」
リリスの目が険しくなる。
聞いたことはあったが、まだ実戦には投入おらず、その無差別に攻撃できてしまう兵器はあまりいい目で見られないからだ。
「私は確信した、間違いなくこれは戦況を変える、この殺虫剤でゴミムシを屠る、害虫は一層され、祖国の地を踏み荒らす鬼畜共を綺麗サッパリ殺すことができる。
私達はとんでもないものを作ってしまったのかもしれない」
グラーファルが壁に取り付けられいているレバーを下にガチャンと下げる。
すると空気の抜けるような音が密室に響き渡る。
密閉された空間に茶黄色の霧が満ちていっている。
リリスたちは何が起きているかすぐにわかった。
そして見える光景に絶望する。
閉じ込められたロディーヤ人たちは喉や胸を抑えてうめき声を発し始めた。
それは段々と大きくなり、ついにその苦しさからガラス窓をひっかき出した。
老若男女関係なく、地獄の底で響く、罪人の責め苦の叫び声のようになって耳をつんざく。
リリスたちはそれを震えながら見ているしかなかった。
顔を見ると眼球がどろどろに溶け、口や鼻から血が流れている。
大勢の人間が苦しみながらガラスの向こうのリリスたちには助けを求めるようにガラスをガリガリと引っ掻く。
地獄の亡者が生きて眺めているリリスたちに恨みでもあるかのように。
「…やめてくれ…俺たちは蜘蛛の糸に見えるだけだ…俺たちにはお前たちを引き上げることはできない…」
少尉はその現実離れした光景にただただ絶望している。
他のみんなもその逸らすことのできない現実を直視させられ言葉が出ない。
最年少のノルージアはただベルヘンの身体に抱きついて離れようとしない、聴覚だけでも悪夢がわかる、視覚でも視認してしまったら幼いノルージアはおかしくなってしまうだろう。
ガラスをガリガリと引っ掻いていた手も段々と篭っている茶黄色の霧の中に消えていった。
そして最後の最後にか細い腕が引っ掻くのをやめて、静かにその毒の霧に飲まれる。
うめき声も叫び声も消え、今までにないような静寂の中に取り残されたリリスたちの座っている部屋の鉄の扉が開き、グラーファルが淡々と述べる。
「これは密室だから効力を発揮したものだ、戦場は広い、さらに風向きもある、実際はよく考えての使用だな」
そんななんの表情も感情も起こさないグラーファルにリリスたちはふつふつと怒りが湧いてくる。
一番最初に胸の内をぶつけたのはやはり少尉だった。
「…今、身動きを取ることさえ不謹慎だと感じるほどに生者への侮辱を感じた…グラーファル、俺が今怒っているのはロディーヤ人だからじゃない、今目の前に人の面被った人狼がいるからだ」
グラーファルはそれを冷たい目つきでなんのアクションも起こさずただただ聞いていた。
リリスも言葉をつなげる。
「こんなこと許されると思ってるの?戦時でもこんなことバレたら非難轟々、もし戦争が終わったら極悪人として両国の歴史に刻まれるのに」
「ゲロ臭いぞ、口を開けるな」
グラーファルは壁にもたれかかってリリスたちの思考を否定する。
「生きるに値しなかっただけだ、ただそれだけ。
死にたくなかったら来世は有意義な人種に生まれるんだな」
グラーファルがそのまま格子付きの鉄の扉を閉めた。
「おいっ!ここから出せっ!」
「言っただろ特等席だと、お前たちはここで過ごしてもらう、私に反抗的な罰だ。
絶え間なくロディーヤ人を送り込んでやるから覚悟しろ、ここは最高に寝心地の悪い部屋になる」
扉の向こうでグラーファルがそう吐き捨てるとカツカツと軍靴の音が小さくなっていった。
地獄の密室のそばにある部屋に五人は閉じ込められてしまった。
「…嫌ですわ私…こんな…非人道的な部屋で…しかも昼夜関係なく見させられるなんて…しかも…にもできない…」
メリーは顔を覆って絶望する。
ノルージアはベルヘンにひっついてガクガク震えている。
「…クソ、御免だぞそんなところで一生を過ごせなんて、気が狂う、異論はないとは思うがここから出るぞ」
「でもどうやって…」
少尉が壁の高いところに設置されている換気口を指差す。
「まず候補はあれだ、どこにも繋がっているかわからないが、ここから出られるのは確実だ、候補というかあれしかない」
「でもすぐにじゃないんでしょ?ここトイレもないし、食事は出してくれるのかな」
ベルヘンがノルージアの頭を撫でながら考える。
「そんな長居するようなところじゃないししたくない、すぐに出るぞ」
かと言っても換気口までは高さがあるし、蓋がネジで取り付けられていて外れない。
思案していると、ガラスの向こうの部屋のドアが開いた。
死んでいった人と同じようにボロボロの服を着たロディーヤ人だ。
ガスで死んだ仲間の死体を猫車に載せていっている。
その顔はグラーファルと同じように無表情だ。
死体を積んでガス室からでたタイミングで、少尉は扉の格子から声をかけた。
「おいっ!何がドライバーのようなものはないか、ここから出たい」
だが死体を運んでいる若い青年は冷たく言い放つ。
「無駄だよ、外の通路は一本道、この建物にはガス室と君たちのいる傍観室しかない、ドアの外に出ても『人間たちの音楽隊』に銃殺されるだけだ」
少尉はさらに質問を続ける。
「なんだ人間たちの音楽隊ってのは?テニーニャ軍とは違うのか?だからあの黒い軍服なのか?教えてくれ!」
そんな熱望虚しく、青年は。
「悪いけどここで働いているうちは命の保証がされている、変なアクションは起こしたくない」
そう言って仲間の死体が積まれた猫車をゴロゴロと引いて立ち去ってしまった。
「…命の保証、働かせているのか」
暗いところにいるせいで日の高さもわからない。
今は昼なのかよ夜なのか。
「…何かあの換気口の蓋を外せるものは…」
層考えているうちにまた新しいロディーヤ人が連れられてきた。
少尉は今度こそはとガス室に送られていく人に懇願する。
「おいっ!何がネジを外せそうなものはないかっ!出られなくて困っている!」
「…ないよ、あったとしても渡さないねお前たちが逃げられるだけで、俺たち助からない」
「約束するっ!ここから出れたら仲間を助けるっ!信じてくれっ!」
だがその人はガス室に入るよう背中を押される。
抵抗することもなく大人しく部屋に入っていった。
「嫌だっ!やめろっ!!手を離せっこの野郎っ!」
「暴れだしたぞっ!足を撃てっ!」
ガス室に入る事を拒んだ小太りの男は足首を撃たれ、引きずられるように部屋にぶち込まれた。
そして全員が入れられると、レバーを下げ、茶黄色の霧が閉じ込められている人を襲う。
あの悪夢がまた姿を表した。
二回目だからといって見慣れるわけもなく、また怒りと恐怖と絶望が脳を混乱させる。
猫が柱を爪で引っ掻くように、ガラス張りを向こうの五人に見せつけるようにガリガリと跡をつける。
力が入りすぎるあまり、爪がボロボロ剥がれながらも引っ掻こうとしている。
今までに見てきた光景の中で、最も恣意的に、最も残虐に作られた物を少女たちの目は記憶した。
毒霧の中で亡者が乱舞する、影絵のように不気味な人形の影が悶ている。
どうすることもできずただ目の前の景色を呆然と眺てるしかなかった。
「無力だ…言葉で強くなった来ていたが…俺は無力だ」
惨劇が終わったあとまたあの青年が死体を運びにやってきた。
「…わかっただろ、下手なことはしないほうがいい、そこで大人しくさえしていれば、目の前の惨劇に目をつぶってさえいれば、君たちは安全なんだ」
励ましているような、諭しているような、そんなトーンで彼女たちに語りかける。
「…黙ってみているわけにはいかないの」
「僕は君たちの安全を考慮して言っているんだ、そこに入れさえいれば少なくとも命の保証はされる」
リリスが格子の外の青年に向けて、強い眼差しで説得する。
「人生生きていると自分の命を賭してでも救わないといけない場面に出くわす、そんなこと私にはないとは思っていたけど、でもしっかりとわる、今は私の命の危険を冒してでもしなきゃいけないことがある、今、今やらなきゃ!この前眺めているだけなんてできないっ!お願いっ!力を貸して!」
リリスの目はしっかりと強い眼差しで青年を見つめている。
その目は青年の心に希望をもたらしてくれた。
「…君たちは愚かだ、そこで大人しくしていればよかったものの…僕の諦めかけていた心に希望を持たせてしまった、君たちは本当に愚かだ、わかった、君たちを信じてみる。
もともと殺されていた命だ、一矢報いてやろう」
その青年の言葉は彼女たちに希望をもたらした。
少尉もその言葉に飛びつく。
「いいのかっ!約束する、必ずここから出れたら暁には仲間を開放するっ!約束だっ!」
「そうだな、約束だ」
格子を隔てて少尉と青年が小指を差し出す。
二人は強く小指を交え、契りを交わした。




