渇望の夜が
テニーニャ兵士のエロイスたち残兵は要塞から離れた街、ランヘルドへと逃げていた。
しかしそこで要塞陥落は国の中ではまだ隠されていることを知る。
しかし誰一人として真実を告げるものはいなかった。
一方のリリスたちはベルヘンを帝国病院へと送るために一時的に帝都に帰還することとなった。
山の麓の駐屯地から帰還を許されたリリスたちは最寄りの小さな駅へと向かった。
その旅客列車に乗り込み、帝都チェニロバーンへと戻る最中だった。
列車の中では戦地から戻れる喜びで浮かれていた。
他の一般客もいる中、ガッツリ戦闘服姿のリリスたちは少し目立つが、それも景色を眺めているうちに忘れてしまっていた。
「久しぶりの帝都だな、さしずめ一ヶ月ぶりと言ったところか?」
少尉は制帽を顔に掛けて睡眠に入ろうとしていた。
リリスとメリーは仲良く身を寄せ合って寝てしまっている。
「喉がどうなっているのかよく見てもらわないとな」
ベルヘンは少尉の言葉に特に反応する様子もなく移りゆく景色を眺めていた。
「あれがハッペルか?もうすっかり廃墟だな、驚くだろうなぁ住人たちは」
列車は彼女たちをガタンゴトンと揺らしながら田園風景を駆け抜けていく。
「さて…仮眠でも取るかね…」
ぐっすり寝ている間にも列車は帝都の駅についてしまっていた。
唯一寝なかったベルヘンはリリスたちを起こすと急いで列車から降りた。
そしてその広い構内を見て驚いた。
今までよりも大きく改築されていたのだ。
列車の止まるホームの数は増え、東西南北に出口ができていた。
中心にはドーム型のガラス張りの天窓。
そしてオークの木の建築に金の装飾、力をつけた帝国の見本帖だった。
「すごい…間違いない…ロディーヤは豊かになっている…この戦争のおかげで」
かつていた構内で寝そべって寝る人はいなくなり、新聞のちり紙やゴミはほとんど見られない。
「私達が頑張っている間にもこんなに発展していたなんて…」
メリーは思わずそのホームで小躍りしてしまう。
だが少尉に諭され、病院へと向かうよう急ぐ。
「病院はこっちだな、本当に広いな…まるでダンジョンだ…」
少尉に連れられて駅を出る。
街の景観はさほど変わりはなかったが、心なしか少し明るくなったような感じがする。
そしてしばらく歩いていると、帝国病院と書かれた仰々しい文字の金文字の石碑が置いてある門から入って院内に入る。
「今は俺が保護者だ、リリスとメリーはここにいろ」
少尉はベルヘンの背中を押して院内に入っていってしまった。
病院の敷地内は緑が多く、見ているのものに安らぎを与えてくれる。
それはリリスたちも例外ではなかった。
「戦地で見る緑と帝都で見る緑とでは大違いですわね」
「そうだね…でも…はぁ〜…寒いなぁ」
リリスの吐いた白い吐息が空気に混ざって空へと消えていく。
それを追うように見つめた。
すると入口付近の掲示場の一つの記事が目についた。
「…っ!?なに…これ…」
リリスの声に呼ばれるようにメリーもその記事を見る。
その記事は十一月十三日の皇帝が蜂起した暴徒の死体を無縁の丘へと串刺しにして野ざらしにしている、通称『無縁の丘事件』の記事だった。
「『猊下、暴虐無知なる外道テニ公を天にも届けと針に貫き、寿祀る。
御稜威に沿わぬ反逆者として敵国を懲らしめる意の表しである聖業』…私達がいないところでこんなことが…」
「こ…皇帝陛下って最初は反戦主義者だったよね…?どうしてこんなことを…」
「わからないわ…でも、なにかが…なにかが陛下を変えたのかもしれない…」
新聞記事の前で立っている二人のもとに少尉だけが出てきた。
「あっ!ベルちゃんは…!」
「そのことだが、緊急入院だ。
声帯が切れていて、このままだと一生声が出せないかもしれない」
「そんな…ベルヘンさん…」
悲しむ二人の肩を少尉は力強く組む。
「安心しろ、手術すれば良くなるさ、せっかく戻ってこれたんだ、しばらくは帝都を満喫しようぜ!」
その言葉に安心したのか二人は笑みをこぼす。
「あと、これを済ましたらな」
少尉のポケットから古びたメモ帳が出てきた。
その手帳に見覚えがある。
物覚えが悪いからとウェザロがメモをとっていた手帳だった。
「最初のページに番号が書かれている。
心苦しいがご両親に電話するから待ってろ」
そのまま近くにあった電話ボックスの中に入ると受話器を手にとって連絡する。
リリスたちも聞き耳をたてる。
「…はい…ロディーヤ女子挺身隊少尉のエル・ルナッカーです…はい…はい…その件なんですけど…はい…要塞攻略の道中に…はい…すみません……はい…しっかりと弔ってきました…娘さんの手帳を郵便で送らせていただきます…はい…えっ?…あぁ…友達を守って死んでいきました…すこしお転婆で、楽しくて…本当に…天使みたいに良い子でした…っ!」
その少尉の後ろ姿から感情が伝わってくる。
表情は見えなかったが、ボックス内のガラスに反射して食いしばった歯と涙が見えた。
少尉はそっと受話器を置き、ボックスから出てくる。
「さっ!腹でも減ったろ?なにかうまいもん奢ってやる、なぁに俺の金だ。
いっぱい食べろよ、食う子は育つからなっ!あっはっはっ!」
少尉はそう言って強がりながら二人の肩を組む。
「少尉…」
二人は心情を察してあえてそれ以上は言わなかった。
そして三人は病院を去って、町中を走る路面電車の到着を待っていた。
すこし段差のあるだけの駅だ。
「パスタがいいか…それとも無難にステーキとか…おっ、きたきた」
道路に敷設された線路を滑って路面電車がやってくる。
そして駅に止まるとドアが開く。
「切符を」
「はい」
車掌が切符にパッチンと穴を開け、続々と客を入れていく。
「発車しまーす、手すりつり革にお掴まり下さーい」
電車は速やかに駅を離れスルスルと町中を滑るように進んでいく。
リリスとメリーは座り、少尉はそれを見守るように立つ。
するとシルクハットを被った初老あたりの二人の会話が耳に入ってくる。
「いや〜しかし、蜂起の後、参謀総長が戒厳令を発してからというものここもすっかり栄えてきましたな」
「ホントですよ、軍費を国民には回してくれるなんてありがたい、だが前線ではどうなっているのかね?」
「何を言う、ロディーヤ軍は忍耐強いんだぞ、すこしぐらい減らされても民のために耐えてくださる、それに参謀総長の司令は軍の民意なんだからな」
その会話を聞いて少尉はすこし考えてみる。
(軍費を国民に回す…?あの駅もそれで建てたのか…?参謀総長は一体何を…そんなことしたら前線の兵士たちへの兵站は…)
「まさかっ…!?」
少尉は思わず心の声が漏れ出てしまった。
「どうしたんですか?少尉…」
「あっ!いやっ!なんでもないすまない…」
だが少尉の顔には汗がダラダラと垂れてくる。
(そういうことか…っ!そういうことか…っ!なんてことを…!外道だ、悪魔だ鬼畜だ…!そんなことを…許されるとでも思っているのか…!)
参謀本部のハッケル参謀総長は執務机でチーズを乗せたカレーを摂取していた。
そこにルミノスが入ってくる。
「失礼します…っ!参謀総長殿…!」
「おいおい、失礼だと言うのであれば自重したまえ、食事中だぞ」
「はっ…はい…申し訳ございません…」
「それでなんの用だ」
参謀総長はハンカチで口元を拭う。
「『第一次渇望の夜作戦』は無事順調に進んでいます」
「そうかいよいよか…」
参謀総長は立ち上がりあるきながら作戦を説明する。
「兵站が行き届かないと偽りわざと食料を送らず。その建前として軍費の不足、嘘ではなく本当だからな、何しろ帝都改築に使い込んだのだから。
これで国民の不満を抑えることはできた、さぁ残るは軍の不満だな、まぁ歯ぎしりする前に息絶えるのが関の山だろうが」
参謀総長が不敵な笑みを浮かべる。
「大規模な自軍への飢餓作戦…恐ろしいです…」
「もっと早く思いつけばよかったな、こんなに手っ取り早く兵を消費させる方法があるなんて」
「弘法にも筆の誤りって言いますし…」
「そうだな、これで前線にいるルナッカーもろともお陀仏か?いくらゴミムシでも食べ物がなければ生きもクソもないからな。
さて、どう来るルナッカー」
「運命とは、最もふさわしい場所へと私の魂を運ぶのだ。
その行き先が私は楽園、ルナッカー、君は奈落だ。
我々の栄光を指とペニスを咥えて見ているがいい」
参謀総長が椅子に座ると再びカレーを食べ始める。
「そうだそうだ、白豚、君に頼みがある」
引き出しの中から一枚の書類を抜き出して指をさす。
「こいつを始末してくれ」
「この人は…」
見るとそこには小太りのいかにも悪どそうな政治家の写真がある。
書類には政治家の名前や住所、生い立ちや経歴まで事細かに書かれてあった。
「こいつの名前はベルダ上院議員、私の戒厳令発令に強く反発していたクソカスだ、なんとか押し通したものの、依然とした私の失脚を狙ってネズミみたいに粗を探し回っている。
見ていても探られても不愉快極まりない。
こういう人間はこの世の全ての苦痛を与えて然るべきだ」
すこし怒ったような口調で書類をルミノスに手渡す。
「…ほうほうなになに、帝国病院にて入院中…」
「ああ、あまりに腹が立ったんで夜道にドカクソに殴ってやったんだが、図体がデカくて肋骨まで手が届かなかった」
「…わかりました、そういうのはわたくしめの仕事ですよ、あまり無茶はなさらぬようお願いします…」
「わかっている、というわけだから頼んだぞ」
ルミノスは書類を畳み胸にしまうとそのまま部屋をあとにした。
「…しかしうまいなぁ、カレーとチーズがこうも合うとは…」
参謀総長はそう言いながらもりもりと完食した。
最後にスプーンをなめ取って。




