またいつの日が、出会えるまで
ワニュエでの攻撃は最盛を極め、両軍膨大な犠牲を払っていた。
轟々と降り注ぐ雨の中、二人の少女は出会った。
灰色の曇天が空を覆い、世界を冷たく包んでいた。
大粒の叩きつけるような豪雨がワニュエ一帯に降り注ぎ、雨水と泥が混じり合う匂いが鼻につく。
燃え盛る戦車の残骸の炎は薄暗い世界の灯火となり、地面を埋め尽くす両軍の死体。
静かに雨音しか聞こえない戦場で敵国、敵兵同士の二人の少女は距離を空けて立っていた。
「このっ…私の少佐を殺した悪魔め…!思い出さないようにしていたのにお前の方から顔を出してくるなんて…っ!」
テニーニャの武装聖歌隊のエロイスは構えた半自動小銃を突き出す動作をしながら言う。
そう言われたリリスはボルトアクション式の歩兵銃を構えながら言い返す。
「あの時は仕方なかったんだよ、私だって好きで殺したりするもんか」
「黙れ…っ!」
エロイスは激しい口調でリリスに言葉を浴びせていたが、やがてそんなことを問い詰めても無駄だと悟ったのかなにも言わなくなってしまった。
「…憂さ晴らし…だよ。
こんなことしても意味なんてないってのはわかってる…だけど…私の怒りを晴らす場が欲しかった」
二人の身体に容赦なく冷たい雨が降り注ぐ。
ピリついた空気の中、お互い銃口を向け合う二人、するとエロイスはおもむろに銃を構えるのをやめて近くには放棄した。
「…え?」
その行動に不思議そうな顔で見るリリス。
エロイスは語る。
「愛国だとか何だとか語っていたのは……ォ…私の本当の姿じゃない…。
今わかった、銃を捨ててみて初めてわかった。
お前に銃口を向けられていると…なんだか安心してくるんだ…そうだ…私…
死にたかったんだ」
エロイスは頭を垂らしながら雨に打たれる。
リリスはその言葉をただひたすら黙って聞いていた。
「早く…早くこの地獄から逃げ出したかったんだ…何にも変わってないなぁ私、結局開戦当時からおんなじ敗残兵のまんまだ」
エロイスは両手広げてリリスに懇願する。
「…早く殺してよ…その銃で私の心臓を貫いて射殺してよ…もう…辛いんだよ…」
その悲愴的な表情で頼まれたリリスは一瞬、引き金を引こうと指を動かす。
トリガーがカチャッと小さく鳴ったがすぐに指を離す。
そして無言のまま銃を下げるリリスを見てエロイスの表情はみるみるうちに悲愴から絶望の顔に成り果てた。
「…もう…こんなんじゃ…勝っても負けても…悲しいよ…」
泣き出しそうな口調で訴える彼女の周囲には見知らぬ武装聖歌隊の男の兵士たちが無惨にも横たわっている。
「どうして…どうして殺してくれないの…こんなの…」
するとリリスはこう答えた。
「貴方が良くても、きっといなくなったから悲しむ人がいるよ」
「…っ!」
エロイスはそう言われ言葉に詰まる。
リリスはさらに言う。
「貴方が思うこの地獄で、貴方を『希望』だと言う人がいるかもしれない、本気じゃなくても、心のどこかでそう思っている人がいるかもしれない。
いたとしても、その思いを貴方が知る日は来ないかもしれない…だけど…」
リリスは真顔だった表情を緩めてわずかに微笑んで言った。
「もし貴方に、ちょっとでも自分の側にいてくれる人間がいるとするならば、簡単に切り捨てちゃだめだよ。
そんな簡単に、死んだりしたらね」
その瞬間、エロイスの表情は歯を食いしばり泣くのを必死に堪えるような顔を浮かべた。
だが、心情を映すかのような雨も加わり、目から涙が溢れ出してしまった。
冷たい雨水が頬を濡らす中、熱い水が頬を伝うのがわかった。
そして声を漏らしながら嗚咽して泣きじゃくる。
そんな彼女にリリスは歩み寄り、近くまで来るとエロイスはそっと縋るように歩み寄ってきた敵兵の身体に抱きついてしまう。
エロイスは泣きじゃくりながらか細い声で言う。
「怒られる…怒られちゃう…こっ…こんな情けない姿…こんな…っ…びっぐ…っ…敵兵に…抱き着いているなんて…っ…ううっ…っ…」
リリスは優しくエロイスを包み込むように手を背に回して赤子をあやすように撫で回す。
その表情は真剣で、いつも緩い表情のリリスはいなかった。
「…大丈夫、この戦争は必ず…もうすぐ私が終わらすから」
そしてリリスは彼女に優しく言った。
「もし…貴方が良ければ…貴方が良ければの話なんだけど…戦争が終わったら、また会えないかな…?泥まみれの軍服じゃなくてさ、可愛いワンピースを来た貴方が見たいんだ。
なんか…懐かしい事言っちゃったなぁ…結局みんな野戦服のまんまいなくなっちゃったから」
エロイスはその言葉を聞きリリスの胸の中で彼女も私とさほど変わらない境遇にいたことを悟ったのか目を見開き涙を止めた。
そしてゆっくりと目を閉じて答える。
「…いいよ…全ての戦争が終わったら、またその時…お願い、リリス」
「…っ!こちらこそ…よろしく、エロイスちゃん」
二人の頬は自ずと少し紅潮しているようにも見えた。
お互いの体温でそうなったのか、恥ずかしさと嬉しさでそうなったのか、なんてのは些末なことだった。
気がつけば先程まで打ち付けるように降り注いでいた雨の勢いは弱まり、霧雨のような雨になって、その雨粒の帳もかなり薄くなっていた。
曇天は徐々に散りゆき、広がっていく灰色の雲の穴からはまるで絵画のような美しい夕暮れの景色が広がっていた。
東に沈む真っ赤な火の玉の太陽をバックに、影絵となった二人の少女兵はそのまま分かれるようにお互い来た方向へと去っていった。
リリスとエロイスたちのいる場所とは別にワニュエの塹壕では戦闘は続き、結局ロディーヤがテニーニャの塹壕を完全制圧するのはその三日後の話であった。
六月十八日、ワニュエでの戦いはロディーヤの勝利で終わった。
テニーニャ軍、総兵数八万人の内、死者数二万二千人、負傷者数三万人。
ロディーヤ軍、総兵数十万人の内、死者数一万六千人、負傷者数三万九千人。
かくしてテニーニャの防衛線は破られボルタージュ陥落の恐れが現実のものになろうとしていたのであった。




