演説の魔術師
今回の艦隊の出征の失敗を受け、急遽国民へ向け演説を兼ねた発表をすることを決めたグラーファル。
既に演台は整っている、あとは納得してくれるよう人民にいうだけだ。
グラーファルが演台に現れると民衆たちは歓喜の声と共に動揺に似たざわめきが聞こえた。
「なんだろう、いつもの雰囲気じゃないな」
「もしかして何か重大発表でも…」
集まっていた民衆たちは口々に噂する。
そのざわめかはしばらく止まず、閣下はそれを我慢強く手を組んで待っていた。
やがて徐々に民衆たちも落ち着いてくるとあたりは静まり返った。
そしてようやく彼女が口を開いた。
「六月六日、私の突然の演説の場を設けてくれた方々に感謝申し上げる。
そしてその報を聞きつけ駆けつけてくれた人民諸君にも心から感謝を申し上げる」
いつもの無表情と低い声で喋り始めた彼女は落ちついた群衆へ向けて言う。
そしていよいよ本命を話しだした。
「さて、早速本題に入ろう。
…
諸君、我々は失敗はした。
敵国への砲撃へ向かった艦隊が不逞たる鬼畜ロディーヤの非人道的な攻撃にさらされ、現在確認できる六百二十七柱の英霊たちが神の国へと昇っていった。
この責任を持って殉死した神兵と遺族に対して深謝し私の不徳を詫び申す」
そう言うと閣下は自分の胸で十字をきった。
その瞬間、一気にざわめきとどよめきが空間を包む。
人々の表情は困惑や悲壮、失望のいずれかをしていた。
歓喜の声から一点、落胆の声となって彼女の耳には届くいたのだ。
もちろんこうなることは彼女自身もわかっていた。
グラーファルは態度も口調も変えず話し続ける。
「…我々の国は悲劇的な国であった。
約百年前、かつてロディーヤに不況下で助けを乞うたが非常にも跳ね除けられ挙句の果てに弱ったテニーニャに攻め込み兵士たちに暴虐の限りを尽くし、我が国史に永遠の悪として名を載せた。
そしてテニーニャ皇帝は処され、帝国は解体され、すっかり弱り果ててしまった」
そう言ってテニーニャの負の歴史を詳しく説明し始めた。
「なんであんなこと言うんだ…?テニーニャの負の歴史じゃないか」
「良くないな、せっかく忘れかけていたのに…閣下は心変わりしてしまったのだろうか」
様々な疑念が渦巻く民衆たち、だがそれも閣下の次の発言により大きく態度が変わり始める。
「…だからこそ思い出してほしい。
残った植民地たちの力もありなんとか使い祖国を復興させ、そしていつの日も苦境から立ち直り、祖国の未来と歴史と人民と、そして財産と栄光を、奪われまいと必死に耐えて戦ってきた誉れ高い歴史をっ!
私は国、社会、そして軍隊を立て直し、侵略してきた劣等国ロディーヤと勇猛果敢に戦っている、しかしロディーヤは我が民族を屠ることだけに精を出しすっかり殺戮民族へと姿を変えた、そんな狂った猿のような生き物に不覚だが互角の戦いに持ち込まれているのだ。
本来ならば圧倒的な軍事力を跳ね除けなければならないのを、今回のように、不覚の、互角。
今こそ諸君の力が必要なのだ、諸君の団結が必要だ。
諸君の勇気と軍の統制とっ!国を挙げての結束が必要だっ!!」
閣下は次第に声を大きく荒げ国民へ呼びかけるように強く強く訴える。
民衆たちもはじめは黙って聞いていた程度であったが、その演説の内容と覇気にすっかり気圧され次第に熱気に包まれる。
「私達は歴史を知っている、愛国をなくした民族は滅び、強い団結と、まとめ上げられた軍隊を持つ国が大国へと成り上がるっ!
理性的な共産主義者がいないよう、これは揺るぎない絶対的な事実である。
…我々は選ばれた民族だ、銃後で血が滲む手を袖で拭き労働に尽くす億兆の婦人、子供、老人っ!
前線で家族を、戦友を、国土を守るべく命を賭す青年少女たちっ!
団結せよっ!先祖たちの位牌を汚さぬよう、手を取り合い、その勇姿で叫ぶのだっ!天にも届けと、我が国の先人、英霊たちに届けと叫ぶのだっ!」
その演説の一部始終は既に箱型ラジオによって全国土に響き渡っていた。
首都の人間も田舎にいる農夫たちもその彼女の声に耳を傾けて静かに聞いていた。
彼女のもとへ詰め寄っていた民衆たちはたちまち顔を高潮させ歓声を挙げて沸き立つ。
あちこちで親衛聖歌隊の手旗が振られ人々は聖歌隊式の敬礼すると声を合わせて叫ぶ。
「テニーニャ帝国万歳っ!親衛聖歌隊万歳っ!!グラーファル総統閣下万歳っ!!
民族大総統閣下っ!!あなたが命じ我らが従うっ!!
グラーファル将軍万歳っ!グラーファル総統万歳っ!グラーファル陛下万歳っ!!」
すっかり丸め込まれた群衆の大きな声は地面を揺らすかと思えたほどの声量となって会議堂前の広場を包んだ。
閣下はさらに言葉を続ける。
「我が国を攻め込む狂ったロディーヤ皇帝の毛唐と白痴人を絶滅させろ。
我が国を貶め気品を下げる赤い思想の猿人を絶滅させろ。
今に見てろテニーニャはいずれ欧米列強や東亜の日帝にすら引け劣らない大国へとなるんだ、私の名前は永遠に全世界に刻まれ英雄として語られるだろう」
すっかりその言葉に酔わされていた民衆たちは未だ興奮冷めぬと言った雰囲気を醸しながら歓声を上げ続けていたのであった。
既に作戦の失敗なんてものを気にしている民衆たちはいなかった、彼女の演説に見事に丸め込まれなあなあになったのであった。
もちろん、彼女への責任の追求なんて無粋なことをするものなどいなかった。
「諸君、戦争の時間だ 我々はこれより敵性国家を撃滅する。
我々は軍人である、我々は兵士である、我々は戦士である、我々は殺し合い殴り合う事しか知らぬ獣である。
だが我々は一人ではない、我々は二人ではなく、我々は百人でもない、我々は千人、万人なのだ。
優秀たるテニーニャ国民はあらゆる権威を否定する、そして民族の自由を求める。
お前たちは唯一の神の名のもとに集った、もはや臣民なのだ、私はその神の代理人たるが故に死を恐れず、我々は神の盾である。
そして最後の最後まで戦う事を躊躇わない。
我々は神の剣である、我々はお前たちが悪魔、鬼畜、畜生と叫ぶ存在から祖国を守り通す為に存在している。
我々の使命は、 たった一つのシンプルなものである。
それは、 敵を倒すこと。
……そうだ、たとえそれがいかなる卑怯な手段であろうとも、我々は戦い抜くと誓おう。
私は祖国を愛し、愛し過ぎて憎んでいる愛国者である。私の愛する祖国は、かつては美しい帝国だった。
しかし今は見る影もない、あの美しい国を蘇らせる為なら私はなんでもしよう。
そして、私にはその為の力がある、祖国を愛する同志たちがいる。
祖国に仇なす敵は必ず滅ぼす。それがたとえどんな卑劣な相手であろうともだ。
覚悟しろ、悪党どもっ!
これが戦争だっ!!
さあ、諸君っ!大戦争の時間だっ!!」
グラーファルが両手を広げて叫ぶと民衆たちも呼応するよう最大の歓声をもって彼女に応えた。
そのもはや狂気的とも言える熱量にグラーファルさえ少し驚いていた。
閣下は額の汗を拭うと一人、礼をしてその場の演説を締めくくった。
こうして言葉の魔術師である彼女の演説はまたもや大成功で終わったのだ。
演説の天才は成功も失敗もすべて人心掌握に使うのだ。
こうして彼女の突然の演説は幕を閉じた。




