いつもどおりでいられたら
エロイスたちのいるワニュエに新兵器の戦車が投入された。
巨大な鉄の塊は激化する戦争の行く末を表したかの様におどろおどろしく鎮座していた。
エロイスたちはいよいよ戦車を使った攻撃と共に敵陣へ向かう日付を知らされた。
六月七日、その日敵の塹壕へ向って突撃するのだ。
彼女たちはその日がもしかしたら命日になるかもしれないと感じていた。
そのため一日一日を大切に生きようと無意識に思っていたのである。
オナニャンは最前線の塹壕の中で、まるでベッドの上にいるかのようにぐったりと横に仰向けになっていたのだ。
足を伸ばし塹壕の通路を遮る。
「オナニャン、その態勢辛くない?」
「大丈夫なのです、こうしていると心が落ち着くのです」
「へぇ〜よくわからないけどオナニャンがいいって言うなら…」
そんな他愛もない会話をしているとロイドが二人のもとにやってくる。
「貴方達、余計なお世話だと思うけど家族に手紙とか書かないの?」
ロイドの言葉を聞くと二人は顔を見合わせる。
「そういうば…指をおるほどしか書いてないなぁ」
「しっかり書いといたほうがいいわよ。
もしかしたらそれが最後の遺書になるかもしれないんだから」
「もう、縁起悪いこと言わないでよ。
悪いけど死ぬ気なんてサラサラないよ」
「う、うちもまだ生きるのですっ!」
二人はそう言ってロイドヘ迫る。
「わっ、わかったわ…ただしちゃんと親には何かを書いときなさい」
「はーい」
ロイドとオナニャンは同じ空を見上げていた。
塹壕の底に横たわり無気力そうに青く眩しい空を見上げる。
「この空を見上げられるのもあと何回なんだろう」
「一生、一生見れるよう祈っておくのです」
「…そうだね。
手紙でも書こうかな…」
エロイスはゆっくり立ち上がると塹壕に置かれたひっくり返したドラム缶の底に置いてあった鉛筆を手にとる。
「オナニャン、紙ある?」
「あるよ、あんまりあるって言うと食べられちゃうから言わなかったけど、はい。
エロイスならちゃんと手紙書いてくれると思うから」
オナニャンはそう言って胸ポケットから折りたたまれた一枚の紙を取り出した。
少し黄ばんでいてシワシワの紙を広げ、丸まった芯の鉛筆で書き込んでいく。
膝を立てて桃に紙を押し当てて丸まった姿勢で書き始めた。
テニーニャ語で書かれていたが、訳すとするならばこうだ。
『お父さん、お母さん元気ですか。
今頃、敵の手の及ばない田舎の方で元気にやっていると思います。
こちらでの生活は散々です、代わり映えしない塹壕での生活。
土と泥、死肉と火薬の匂いが常に漂いそれに慣れてしまいました。
身体からは酷い匂いが放たれているのでしょうがそれに気づく友人たちはいません、皆それが普通だと思ってしまい疑わないからです』
筆を滑らすエロイス。
さらに現状を訴える様に書いていく。
『雨が降った日は最悪です。
足は氷の様に冷たく変色ししばらく自由に動かせませんでした、中には凍傷になってしまう人もいます。
頭蓋骨がなくても生きている人間を見ました、両足とも砲撃でふっ飛ばされた人間がお母さんお母さん言いながら這っているのも見ました。
一人の兵の発狂で自軍の塹壕内で夜戦の白刃戦が始まったこともあります。
敵が奇襲を仕掛けてきたと勘違いした味方同士が殺し合ったのです。
内臓を踏み出しながらも、爪が剥げながらも敵陣へ向かう兵もいます。
両手の上には腸が流れ出ていました、それをガッチリと掴みながら…。
私はこの戦争で地獄を見たのです、人類が作り上げた人類のための地獄です。
私は愛国心があるわけではありません、ただ人を守るための手段に愛国があるだけです。
必ず帰ります、そのときは…一度でもいいので抱きしめて迎えてください。
それが私の一つの望みです』
エロイスはそう書き残した。
思ったより心がこもってしまいます長くなってしまったその手紙を見つめ少し悲しそうに自分で書いた文字を見つめる。
「なんか…自分で書いていたら悲しくなってきた」
エロイスの悲観じみた表情を見たオナニャンは身を寄せてピッタリと身体をくっつける。
「たしかにあった出来事を詰め込むと毎日地獄絵図見たいなのです」
「でもこれで少しでも塹壕の辛さが伝わってくれるといいな」
エロイスは書いた手紙を胸に押し当てて目を閉じる。
しばらくその状態のまま座っていたが、彼女はオナニャンに尋ねる。
「オナニャンはなにか書かないの?」
「えっ、うち?
いやぁ大丈夫なのです…それほど仲良いわけじゃないので…」
オナニャンはそう言って無理矢理作ったような笑顔をエロイスヘ向ける。
「…そうなんだ」
「うん、大学行きたかっただけなのです…だけれど戦争が始まると徴兵が始まって、そっちのほうが多くお金が入ってくるって言われて…いっそのこと徴兵逃れるために利き手じゃない左手の指でも切り落とそうと思ったのですけど…うちにそんな度胸は…」
オナニャンの必死の笑顔をだんだんと崩れそのままうつむいてしまう。
そんな彼女の心情を反映するかのように空ガッチリと曇り始めたのだ。
分厚い深い灰色の雲が立ち込め、日光を遮り始める。
辺りはまたたく間に暗く、どんよりとした空気が沈殿し彼女たちを包み込んだ。
そして完全に空を雲が覆い尽くすとポツポツと彼女たちがかぶるヘルメットが鳴り始める。
雨だった。
「気違い雨なのです…」
「五月だしね…
はぁ…また雨かぁ…」
エロイスは書いた手紙を濡れないように胸ポケットに折りたたんでしまった。
やがて激しいスコールのような豪雨が篠突き、塹壕をどろどろに泥濘ませた。
エロイスたちはそんな過酷な環境の中で心身ともに削られつつ耐えていたのであった。




