春の訪れを告ぐ
近々、テニーニャのラインツィッヒという工業都市を攻めてくるとの情報を手に入れグラーファルへと報告したスニーテェ。
すでに攻勢の情報が知れ渡っているとは露知らず、ロディーヤ軍は作戦を実行しようとしていた。
夜も明け方の午前五時、ロディーヤの参謀本部の執務室の机に座っていた参謀総長のハッケルは机の前に立つ軍人と話をしていた。
窓からは薄まった紺色の空が朝の到来を表している。
「私はわざわざ君を推薦してラインツィッヒ攻勢のための軍団の指揮官として選んだんだ。
それ相応の働きをしてくれたまえ、ギーゼ大将」
「はい、この私とはダッカシンキ・ギーゼが必ずしや『春の夢作戦』の成功を約束します」
髪は白髪、毛先に向かうに連れ段々と黒くなる
少し長い前髪を横に流している。
後ろ髪の先端をV字に切りそろえたロングへアに三編みのハーフアップ。
金色の飾緒とエポレットのついた上衣を着衣、黒のプリーツスカートから伸びる足には黒ニーソックスが足のラインに沿って履かれている。
皮のブーツを履き、制帽を被り、腰のベルトの左にはサーベルを帯刀していた。
顔の斜めに刀の傷があり、それにより左目は失明、義眼を嵌めている彼女は数多の戦場をくぐり抜けた老兵のような雰囲気を醸していた。
その大将と呼ばれている少女は礼をすると微弱な朝日が差し込む執務室を出ていった。
そんな少女の背中ををルミノスはソファに座ってサーベルの刃を拭きながら眺めていた。
「…参謀総長殿、あいつは?」
ルミノスが眉間にシワを寄せて座っている彼女に尋ねた。
「あいつは私がラインツィッヒ攻略に使う軍団の指揮官に着任させたギーゼ大将だ。
スィーラバドルト陛下が敵の生産量を落とすために標的とした工業都市を攻略する『春の夢作戦』の総指揮を執る人物」
「えっ…めちゃくちゃ大事な作戦じゃないですか。
敗北のために身内を着任させなくていいのですか…?」
ルミノスが不安そうな表情で聞くと彼女は笑いながら答えた。
「はっはっはっ…!やつは連戦連敗の愚将だ。
軍政以外は有能なんだが、指揮は群を抜いてダメなんだ。
あいつを着任させるのに少し反対されたが難しい話ではなかった、あいつはきっと私の計画に知らずに加担してくれるだろう」
「ええっと…つまり敗将を着任させてわざと負けさせようと…なるほど、馬鹿と鋏は使いようってことですね」
「そういうこと、ある程度の軍備はこっちで配備しておいているからあとはあいつが下手に使ってくれればいいだけの話だ。
あと航空隊は使わないように指示しておいた。
なんの疑いもなく承諾してくれた。
いくら尉官がガタガタ言おうが大将があれではな…あっはっはっ…!」
笑いを抑えられない彼女はクスクスと笑っていた。
「まるで道化ですね、ギーゼ大将ですっけ?
テニーニャのスパイなんじゃないですか?」
「かもな」
「「あっはっはっはっ!!」」
二人は思わず声高に口を開けて呵呵大笑としていたのだった。
その頃、ギーゼ大将はすでに参謀本部の前に止めてあった黒い天蓋のついた車に乗り込んでいる最中であった。
後部座席のドアを開け、乗り込んだ大将は足を組み紺色の背広を着た運転手に言う。
「駅まで頼む、前線に用ができた」
「わかりました、少々かかります」
「構わんよ」
黒塗りの車はゆっくりと本部前の路上の脇から外れ、道路を他の車と共に走り出した。
「ねぇねぇどうだったの?参謀総長怖かった?」
大将の隣にはもうひとり少女が座っていた。
赤いリボンでワンサイドアップを作っている茶髪のミディアムヘアと茶色の虹彩の目。
ボタン五つのフィールドグレーのの開襟の制服と
バックルのベルトでズボンを止めて、膝辺りまでのスカートを着用し、ズボンの裾は黒革のブーツの中に閉まっているといったいわゆる標準的な野戦服と制帽を被っていた。
その少女は彼女にベッタリとくっついて馴れ馴れしく喋りかけている。
「鬱陶しいぞプリンチン・ルフリパ中将」
「え〜そんなこと言わずに〜」
彼女の名前はプリンチン・ルフリパ中将。
ギーゼ大将が率いるラインツィッヒ攻略の軍団の師団を指揮する中将だ。
「お前は私の軍団の師団長なのだ、矜持を持っていただきたい」
「え〜硬〜い、そんなんだから敗将なんて言われるんですよっ、いっつも部下を守ることばっかりで作戦を全然遂行できないんですから」
「あぁ、あいつの怪しい動向を察知してから無能を演じてみたが…やはり参謀総長は予想通り私にこの重要局面を任せてくれた」
「猫被るのうまいですねぇ〜『能ある鷹は爪を隠して鳶を演ずる』…ってことですね。
私感っ激…」
ギーゼ大将はニヤリと笑って車窓から流れ行く景色を眺めながら呟いた。
「これで確信に変わった。
あの女はこの戦争に真摯に向き合っていない、無能と呼ばれる私をわざわざ軍団の指揮を任せるなんて、わざと負けようとしているみたいだ。
前々からなにか変だとは思っていたが…」
「じゃやっぱりテニーニャのスパイ?」
「いや、あいつは新米の頃から愛国者だった、あれは演技でなかったなぁ。
なにかひねくれた思想にでも感化されたか?」
二人を乗せた車は緩やかに駅前で減速し始めた。
「もう着くか」
「降ります?」
「もう少し人が少なくなったらいこうかね」
停止した車の中でも少女二人の会話は止まらない。
「我が軍はどこまで進んでいる?」
「ラインツィッヒの防衛線を突破し北岸にて榴弾砲陣地を構築、歩兵たちはそこで待機しています」
「敵には気づかれていないか」
「はい、問題ないかと」
「では、帝国陸軍六万人で敵都へ進撃する『春の夢作戦』は問題なく遂行できそうだな」
そう言うと彼女は後部座席のドアを開ける。
「あぁ、大将っ!杖杖っ!」
ルフリパはそう言いながら一本の杖を大将に手渡す。
「おお、忘れていた」
「も〜…しっかりしてくださいよ」
車から降りるとルフリパ中将と杖をカツカツと鳴らす大将は帝都の駅の入り口へと向かって行ったのだった。
その遠くの前線のラインツィッヒの川の対岸の後方にはすでに榴弾砲陣地と簡易的なテントがいくつもの張られた基地が出来上がっていた。
そんなに電車から車を経由してやってきたギーゼ大将とルフリパ中将。
正方形に掘られた陣地はライナープレートや土嚢で補強され榴弾が大量に用意されている。
榴弾砲は脚を張り、砲身は空高く向いており、それがズラリと並んで榴弾砲陣地を構築していた。
二人の少女はその光景を眺めて満足そうに微笑んでいた。
「私たちの師団と貴方の指揮があれば確実に勝利は掴めますねっ!」
「当然だ、参謀総長は敗北を革新しているのだろうが、私の真骨頂を見せてやろうではないか」
ルフリパ中将、その他将校がテントの中にてテーブルの上に広げられた地図を見ながら大将の指示に耳を傾ける。
「連隊長、敵の兵力は?」
「はっ!四万未満だとの報告ですっ!」
ギーゼ大将はそう聞くとほくそ笑んで地図を指差す。
「まず榴弾砲で街を三日攻撃し対岸の防衛線や通信基地を破壊、その後は同様に榴弾砲の支援を受けながら師団を連隊に分けて三つの橋と全幅七十メートルの川からラインツィッヒへ侵攻、防衛線を完全に破壊し市街をぐるっととりかこみ包囲し、殲滅する」
「大将っ!地元の非戦闘員への対応はいかがなさいましょう」
「どうするかは各隊の判断に任せる。
兵器工場を占拠することができれば人手を雇うことができ、失業者の数は減らせる。
ロディーヤ乗せた経済不況の脱却の足がかりとなるだろう。
その場合、地元住民は邪魔だからな。
だが私は鬼ではないので絶滅命令は出さない、情をかけるのも皆殺しの判断も好きにしてくれ」
「はっ!」
作戦会議が終わると大将は最後にこう言って締めくくった。
「戦闘で大切なのはこの指示にだけとらわれず臨機応変に対応すること、つまり頭を使うんだ。
戦争は民衆からすれば悲惨だが、軍人からすれば頭を使う外交の一つなんだ、なにも考えずよく考えろ、考える葦であれ。
…各員、持ち場に戻り私の指示を待て。
『春の夢作戦』決行の日は近いぞ」
作戦会議を終えた将校は声を揃えて返事をした。
後方の陣地は少し暖かな春の風が吹いていた。
攻勢をかけたロディーヤ帝国陸軍の戦いの火蓋がいよいよ切られようとしていた。




