火薬の暴風雨警報
狙撃対決は機転を利かせたエロイスに軍配が上がった。
リリスと少尉は負けを認め、そしてエロイスに殺されたベルヘンを静かに葬った。
その一方、死のゾーンでの乱闘は故フェバーラン特務枢機卿に植え付けられた狂信的な信仰によりテニーニャは徐々に劣勢になっていった。
「おらっっ!!」
ドレミーが振りかざした陣地構築用のスコップを縦に振りかざす。
その刃はロディーヤの少女兵の右肩に刺さった。
少女は絹を裂くような悲鳴とともに汚泥に跪くように崩れていった。
「クソっ!!多すぎるっ!何なんだこの異常さはっ!!」
ドレミーの言うようにロディーヤ兵は決死の抵抗を見せている。
「圧されている…っ!私達が圧されている…っ!!て…撤退を考えないとっ!」
「てめぇ撤退だとっ!?んなもん一回でも考えてみろっ!俺がてめぇを殺すっ!」
「ドレミーっ!後ろっ!」
ドレミーは勢いよく頭を後ろに反らすとロディーヤ兵の口にドレミーの後頭部が直撃した。
瞬時に口が腫れ、歯がボロボロになったロディーヤ兵は痛さのあまりその場に気絶して倒れた。
だが、そんなドレミーの期待とは裏腹にテニーニャ兵たちが撤退していく。
「…おっ…おいっ!なんで自分たちの塹壕めがけて突撃してんだよっ!まさか撤退かっ!?ざけんじゃねぇっ!!そんなんだから負けんだよ畜生っ!!犬どもがっ!!!敗北主義者共がっ!!」
エロイスが暴れるドレミーの手を優しく握る。
「勝利より命のほうが大事なんだよ、わかるでしょ?人間なら誰だって死にたくなんかないんだよ、それに貴方だけの命じゃない、もうひとりのドレミーだっているんだよ…?」
そんな静止の言葉に耳も貸さずただ敵塹壕へと向かおうとする。
「うるせぇ知るかっ!待ってろゴミやろうっていうのなら共っ!!街頭に吊り下げてやるっ!!」
「…っ!!ごめんっ!」
「え、なんのごめん?」
その瞬間、ドレミーの頬にエロイスの小さな拳が飛んできた。
「ごめんは『これから殴るよ』のごめんだよ」
パンチを喰らい土の上にふっ飛ばされたドレミーはしばらく動かなかった。
エロイスが心配そうに近寄ると、ゆっくりと起き上がってドレミーは言った。
「…うおっ…びっくりしたぁ…いきなり殴るなんてひどいよぉ…エロイスぅ……」
そこには左右の目の色の配置が戻っていたドレミーがいた。
泣き腫らしたような目元に苦しそうな表情、一番見覚えのあるドレミーだった。
「ドレミーっ!撤退っ!ロディーヤ兵は思いの外狂っていたっ!」
「ええっ……うん…わかった…すぐに戻ろう…」
エロイスがドレミーの手を引いて起き上がらせると、二人は泥の上を全速力で走り出した。
エロイスは時たま追い迫るロディーヤ兵に歩兵銃を向け発砲すしながら撤退していった。
その様子を塹壕に残っていたイーカン大尉が無線で後方の中継基地の司令部に連絡をよこしていた。
「ワイズ司令官っ!大変ですっ!突撃隊及び兵士たちが無許可の撤退をはじめましたっ!」
「そりゃぁ大変だぜ、それを食い止めるのがお前たちの仕事じゃないのか?」
「で…ですがっ…!」
「はぁ、まあいいぜ、そこで待機していろ、後々指示を出す」
「わかりましたっ!」
無線での連絡を終えたワイズ司令官はその場にいたフロント中佐とシッコシカ軍令部総長にどうするかを求めた。
「…無許可の撤退だって、アッジの二の舞いじゃないか、どうするんだぜ?軍令部総長」
「…やるしかないな、ランヘンドの大口径大重量の二十四インチ榴弾砲を備えた列車砲で塹壕陣地もろとも吹き飛ばすしかないね、奪われるくらいなら自分で奪うさ」
そこにはフロント中佐が割って入る。
「おい、それってつまり兵士たちは見殺しじゃないのか、正気か?」
そう問いただす中佐に司令官と軍令部総長は背中に強い日光を受け、逆光の中で見をじっと据えてこう言った。
「戦争というのは異常だ、今の発言も君が正常だから出てきた言葉だろう、でももう違う、世界は地獄を見た。
ナポレオンやアレキサンダーとともに軍馬に乗り戦場をかけ、司令官や国王たちとともに運命をともにすることなどなくなった、僕や君たちはこの司令部で指揮を執るだけでいい、その指示一つで何万人が死ぬ、たとえいくら死んでも僕の腹は痛くない。
だけど、そうならないようにするのが軍令部総長だ、そのためにこの役職があって僕がいる。
だけど、兵士たちは裏切った、僕の指揮を裏切った。
僕が狂ったんじゃない、時代が僕をそうさせた、そしてこんな悲劇は人類史の中で何億回も起きたしこれからも起きる、これは決断なんだよフロント君」
そんな鋭く目を遣る二人に気圧されそうになりながらもフロント中佐は反論する。
「たが、戦場に親兄弟や親友がいた場合でもお前はそんな決断下せるのか?そんな冷徹な決断ができるのはお前が、軍令部総長が現場の部下たちを思いやって来なかった証拠だろ。
私が軍令部総長ならそんな決断はできないがね」
軍令部総長も負けじと答える。
「フロント君、軍務に私情を混ぜてはイケないよ、僕はたとえ親だろうが親友だろうが軍令で殺せと命じられれば躊躇なく殺す、何度でも言うが僕が狂っているんじゃない、時代がそうさせたんだ。
そして僕の『正常な』判断は、既に砲撃となってやってくる」
その言葉にフロント中佐の顔が青ざめた。
「ま…まさかっ!!」
フロント中佐がそう言うと頭上で何かが高速で飛来していくような空気を裂いていくことが聞こえた。
「もう列車砲は火を噴いているっ!!!」
フロント中佐はなにかに弾かれたようにその場から走り出した。
その背中を見て軍令部総長はなんの表情もなくただただ呟いた。
「さぁ行って来い、部下を救ってみろ」
走って撤退する二人の見ている方向から何やら無数の飛行物体が白い尾を引きながらやってくる。
「ドレミーっ!あれってっ!」
「なんだろうっ…歩兵砲じゃない…」
次の瞬間、列車砲はテニーニャ塹壕に直撃したのが見えた。
血混じりに茶色い土が柱を立てて爆散した。
その威力に二人は思わず足が止まる。
「…っ!?何なのあの威力っ!?」
「やばいよエロイス…あれは確実にやばいっ…!!」
二人は当たらないようにジグザクに走り出す。
飛来した列車砲の榴弾は敵味方の塹壕、死のゾーンを容赦なく砲撃してきたのだ。
着弾すると今まで上がったことがないような土の柱を立て、土砂が頭上から豪雨となって降ってくる。
ゴンッ!
「いってぇ…」
エロイスのヘルメットになにかに固いものが土止まるともに降ってきた。
「何…これ…」
当たったと思われるものは、前腕の骨が二本むき出しにザクロのようなグチャグチャの断面から覗かせている腕だった。
ボロ布のような裾から同じテニーニャ兵だということがわかる。
おそらくこの大口径の弾丸ニより爆散したもの土砂思われる。
「夢のような現実だわ…。
エロイスっ!この砲撃は敵味方関係なく襲ってきているっ!ドレミーたちごと穢土に堕とす気なんだっ!占拠されるぐらいなら、塹壕ごと埋めてしまえっていうこと…っ!!」
「そんなっ…!じゃあ敵味方全滅させる気なの…!それって…めちゃくちゃまずい!!!」
二人は必死に戦場をかけていく。
ここまで来るともはや敵味方関係なく全員が砲撃から逃れようと走り出した。
この大惨事を目前にしてお互い憎しみ合って殺し合う余裕なんかないのである。
左右を見渡せば敵味方関係なく全員があって武器を捨て、射程距離外に逃れようと走っているのだ。
「あっ…っ!!」
エロイスが大きな声を上げるとそのすぐそばで着弾し、跳ねた拳程度の大きなの石がエロイスの側頭に直撃した。
「…っ!エロイスっ…!」
勢いよく後ろに倒れ込んだエロイスのもとに駆け寄り、必死に立ち上がらせようとする。
「エロイス…っ!立って…っ!」
「ううっ…ありがと…ドレミー…」
ドレミーは立ち上がれそうになかったエロイスの腕を方に回し並んで運ぼうとした。
だがそんな少女たちの頭上は既に榴弾が飛び交っている。
そんな火薬の暴風雨の中心にいた二人は半ば諦め気味にゆっくりと歩き出した。
「ドレミー…はやく私を捨てて…」
「そんな言葉二度と使わないで…っ!」
次第に額から真っ赤な鮮血がダラダラと流れ出てきた。
着弾した榴弾の威力で汚泥はかき混ぜられ、そして宙を舞い降り注ぐ。
その土砂はドレミーたちのヘルメットにゴツゴツと当たって小さな負担となる。
「…っ!しまった…エロイスを支えたおかげで脚が…」
エロイスの体重を抱えたせいで泥に足が取られ、歩くことも見ならなくなってきた。
ドレミーはゆっくりと立ち止まり、エロイスに呼びかけたが
「エロイス…まだ意識ある…?」
「何その言い草…まるで…もうすぐ死ぬみたいじゃん…大丈夫…あっ…頭に石が当たっただけだから…」
「もうこれ以上進めない…ここでエロイスを捨てて逃げるか…エロイスとともに死ぬか…ドレミーは後者を選ぶ…エロイス…往生するときも一緒だよ…」
エロイスはそう聞かされると目をつぶったまま静かに笑った。
砲撃の雨の中、二人の可憐な少女たちが死を共にしようとしていた。