誰が為に笛は鳴る
戦闘は行くところまで来てしまった。
テニーニャの突撃隊とロディーヤ兵の衝突が始まってしまった。
迫りくる軍勢に焦りを抱いたフェバーラン特務枢機卿はロディーヤ兵たちに突撃を命令、死のゾーンにて敵味方入り乱れる白兵戦が展開されてしまったのだ。
その一方、リリスとエロイスは未だ狙撃の決着をつけれずにいた。
そのごった返している死のゾーンを見てアッジ要塞付近の偵察兵の青年たちは呟く。
「あーあ、もうわからねぇ、こうなったらお互い適当に撃つしかなくなっちまった、戦術もクソもない、文字通りどちらかが果てるまでの命の消耗戦だ、偵察兵でよかった」
その凄惨たる光景を見たハスターもたっかんしたような目つきで言い放った。
「戦争では味方からの誤射での死亡数が一番多いらしいからな、もうこうなったらテニーニャ軍の支援部隊も動くもの撃つしかなくなったな」
そんな白兵戦を他人事のように眺めているそばの要塞の屋上ではリリスとルナッカー少尉が伏せて狙撃の機会を狙っている。
「なぁ、リリスもう諦めよう、あの女は失せたか狙撃をやめて戦っているに違いない、あの白兵戦をしている兵士共を狙おう」
「いや、駄目です、ここで見つけなければ二度と捉えられなくなります」
「ベルヘンが仕留めてくれたかもしれないだろ?」
「それだったらもう帰ってきているはず…必ずいます、どこかにいて気を緩めてくれるのを待っているんです」
リリスは諦めずにスコープで探すが、やはり見つからない。
少尉も仕方なさそうに双眼鏡を覗き込むと、なにか不自然なものが目に入った。
「…おい、リリス、なにか怪しいぞあれ」
「何がですか…?」
「二時の方向を見てみろ」
そう言われるとリリスは銃身の向きを変え、言われた方向を見てみる。
「なにかあるんですか…?」
「あそこに内臓が散らばっている、腸だ、腸がまき捨てられている」
「別に内臓が落ちていふことなんて不自然でもなんでもないですけど…」
「よく見ろ、あの大きさ。
人の腸じゃない…あの長さと大きさ…しかも新鮮だ、まだ真新しい」
リリスがスコープに目を凝らすとそこにはぷりぷりの真っピンクの赤いみずみずしい内臓があちこちに散乱していた。
「変だと思わないか…?人間の腸ならまだしも、動物の内臓が落ちてるなんて」
「ですけどそれとあの女の子とどう関係が…」
リリスが付近を探ると、横たわっている軍馬を見つけた。
背をこちら側ヘ向けぐったりとしている軍馬が。
「軍馬のものですね…身体が痩けているので餓死…でも銃創が…まっ…まさかっ…っ!!!」
その瞬間、横たわっていた軍馬の死体から金色に輝く閃光が煌めいた。
その閃光はまっすぐ空中を横切り飛び、なんとリリスの左の真横を飛んできた。
その衝撃波で左耳が少しパックリと割れてしまった。
「ゔっ…」
「リリス…っ!大丈夫かっ!?」
思わず姿勢を崩し、耳を押さえるリリスを少尉は心配する。
「やっぱりそうなんだね…。
これでわかりました、少尉」
「わかったって…」
「あの女の子は…」
リリスが姿勢を戻し銃床に再度頬付けをする。
「あの女の子は、軍馬の死体の中にいたんです。
私達が一旦引いていた間、放置されていた軍馬の死体のお腹を裂いて自分が潜れられるほどのスペースを作るために内臓を外に掻き出して、そしてその中に潜んでいたんです」
「っ!?なんだとっ!?」
その衝撃的なリリスの発言に思わず少尉が声を上げる。
「ほんと…信じられません、お腹の中なら気づかれるまで死角はありません、それに動物の臓器を掻き出してその中に隠れるなんて…最小限自分が隠れられるスペースを作るために腸だけ掻き出したんです、肺や心臓などの臓器に囲まれながら、じっと息を潜めていたんですよ…」
「はっ…破天荒としか言いようが無い…馬の臓器に囲まれて身を潜めるなどそんな簡単に決断できるものじゃない…」
あまりの衝撃に驚きと汗が止まらない。
二人は尚も自分の目を疑うのだった。
「一度ちゃんと会ってお話でもしたいですね、あの勇敢な女の子に」
だが、場所が割れれば特に恐れることはない、リリスはしっかりと軍馬の死体に照準を合わせて狙い定める。
「ここ…っ!」
リリスが弾丸を発射し、硝煙を吹いた瞬間、その白い煙を吹き消すかのように弾丸が下から飛んできた。
「あっ…!!」
リリスが驚いたり声を上げた瞬間、少尉がリリスの身体に飛びつき二人は銃座から吹き飛んだ。
そしてその瞬間、二脚で支えていた歩兵銃の銃身に火花が散り、空中に舞い上がる。
吹き飛んだリリスと少尉が落下した歩兵銃の先端を見ると、銃身は上向きに反るように変形していた。
その神業をしてみせたのは、内臓に囲まれてながらも機会を見計らっていたエロイスだった。
「あの木の女の子を撃ってすぐに要塞に照準を合わせて正解だった。
待っていたのよ、あの子がこの軍馬に気づいて銃口と顔を向けてくれるのを、この蛆と腐臭まみれのこの死体で」
エロイスはそう言うとボルトを動かして空薬莢を軽い金属音とともに飛ばした。
エロイスのその正確な射撃にリリスと少尉は笑うしかなかった。
「…ありがとうございます、少尉」
「いやいいってことさ、それよりすごかったな、ほら見ろ銃身がゴムみたいに曲がってるぞ」
「あはは…負けですね…あとはこの戦局の行方を偵察兵さんとともに見守ることしかできなさそうです」
「そうだな、十分仕事した、あとはロディーヤを信じよう」
リリスと少尉は屋上で伏せたまま敗北宣言をした。
ゆっくりと後退し、狙撃兵としての仕事は幕を閉じたのだった。
「そうだ…!ベルちゃんっ!ベルちゃん呼んでこないと…!」
「ベルヘンはここから少し下ったところに行くって言ってたな、そこに急ごう」
山を下るリリスと少尉、屋上から姿が見えなくなった二人を確認すると、エロイスは軍馬の死体の中から大量の血を被って出てきた。
汚れていない面積のほうが少ないと言っても過言じゃなかった。
エロイスは身体についた蛆をはたき落とすと、再び歩兵銃を構えて白兵戦ヘ参加すべく走って向かっていった。
歩兵砲の弾が飛び交い、殴り合い刺し合い噛み付き合いの戦場に。
突撃隊を押し倒し、馬乗りに跨って大きな石で何度も何度も頭部を殴打するロディーヤ兵めがけて疾風のごとく走り込んできたのはエロイスだった。
「うわァァァーーーっ!!」
雄叫びを上げ、血まみれのエロイスは銃剣を男の背中の中心めがけて飛び込んできた。
そのあまりの勢いに銃剣は心臓を突き破り、勢い余ったエロイスはそのロディーヤ兵の死体の上に転んでしまった。
男は一言も声を上げることなく、目と口をぽっかり開いたまま死んでいった。
エロイスは立ち上がり、死体を足で抑えて銃剣を引き抜こうとする。
しかしうまく抜けず、手間取っていると背後からガスマスクを外したロディーヤの挺身隊の少女兵が首筋に噛み付いてきた。
「ぎゃぁっ!!」
あまりの痛みにエロイスも絶叫してしまう。
ズキズキと食い込んでくる歯を外そうとその少女兵をつかもうとするが、その少女の身体を見て愕然とする。
その少女には両腕がなかった。
ぼたぼたと血を流している様子から見るとこの戦闘で両腕をなくしたらしい。
少女兵は恨みのこもった鬼の形相で、なんの遠慮もなく首を食いちぎろうとする。
「はっ…!離してっ…!!お願い…っ!!」
エロイスは歩兵銃を手放した手でなんとか後ろに手を回して頭をつかもうとするが、叶わない。
(このままじゃ…殺される…っ!!)
エロイスがそう固く目をつぶった瞬間、首を圧迫していた痛みがスルッと抜けていった。
「あれっ…?」
首には深い歯型が付き、流血している。
だがそんなことを忘れてしまうような衝撃がエロイスの視神経に走ったのだ。
そこには陣地構築用のスコップを両腕のない少女兵に首元に振りかざし、殺したドレミーがいた。
「ど…?ドレミー…っ!無事だったんだねっ…!」
「ったくうるせーあばずれ共だぜ、てめぇもな」
「えっ…?」
ドレミーの両目を見ると、左右で色が変わっていた。
緑の右目と赤い左目が左右逆転していたのだ。
「そっか…人格が変わったんだね」
「名前は忘れたが…おい女、俺の背中しっかり守れよ、それぐれーの価値しかねぇんだからな」
エロイスは血まみれの笑顔を見せると、ドレミーに背中を向ける。
「もう私たち地獄行きは免れないね」
「とっくの昔から覚悟してるぜ」
「地獄のほうがいいかも、だって人を殺さずに済むんだもん、責め苦を永遠と与えてくれる方がいい、はやく地獄に落として欲しい、この地獄を終わらせて欲しい」
そういった二人は入り乱れる血煙漂う戦場に力を入れて立っていた。
エロイスは着剣した歩兵銃を、ドレミーはスコップを持って。
山の中でベルヘンを探していたリリスと少尉はその場で立ち尽くしていた。
それもそのはず、目の前には大の字で寝っ転がって死んでいたベルヘンがいたからだ。
リリスは何も言わずにベルヘンのそばに近寄った。
「…あいつにやられたんだな、リリス、いつか仇はしっかり返すぞ」
少尉の言葉にリリスは反論する。
「いいえ、これでいいんです。
メリーも言ってた、許せることが戦争をはやく終わらせる方法、そして心の強さ。
復讐は労力と結果に見合わず、そして何も得られない最も愚かな行為です。
それに、ベルちゃんもそんなこと望んでないと思います、兵士になったからにはいつ殺されても文句はない…なるべくして死んだんです…なるべくして…」
うつむき影ができたリリスの目からは確かに大粒の涙がこぼれ落ちていった。
その熱い涙はベルヘンの冷たくなっていた頬を僅かに温めた。
「ベル…ちゃん……」
うつむくリリスの目の前に白くひらひらとと舞い踊るモンシロチョウがやってきた。
その蝶はリリスの涙を流していた目を奪い、その美しさに思わず泣き止んでしまう。
「冬にモンシロチョウか…タフだな」
少尉がそう言うと蝶はリリスの差し出した人差し指に止まるとしばらく羽を休めてそのまま空へと飛び立っていった。
その蝶を見たリリスの顔はすっかり笑顔になっていた。
飛んでいく蝶をいつまでも見送っていたリリスだが、やがて点になっていた見えなくなったタイミングで少尉が口を開いた。
「珍しかったな、この時期に蝶なんて…」
その言葉にリリスが答える。
「ただの蝶じゃなかった、あれはベルちゃん、確かにベルちゃんだった」
「そうか…?いわゆる魂ってやつか」
「はい、間違いないです。
だって聞こえてきたんです、蝶が私の指に止まった瞬間、聞き覚えのある優しい草笛の音色が…きっとあっちの上質な草で吹いてくれたんですよ」
そう言って音色の余韻に浸かるリリスを少尉はいつまでも見守っていた。
いつまでもいつまでも、リリスが丁寧に土葬しようと提案するまでは。