アンネリカはデブ王太子が怖いようだ~ディラン視点~
「アンネリカ、大丈夫だったかい?ごめんね。随分怖い思いをさせてしまったね」
帰りの馬車に乗り込んですぐ、アンネリカに話しかけた。
「ディラン様。ごめんなさい。私、あの王太子殿下の瞳を見たら、急に怖くなってしまって。今回の同行が、どれほど大切なものか分かっていたのに、私…」
そう言うと、アンネリカは涙をボロボロ流して泣き出してしまった。どうやら、途中で帰宅する事になってしまった事に、責任を感じている様だ。
「アンネリカ、君は悪くないよ。俺があの王太子の態度に、耐えられなくなってしまったんだ。それに王妃も帰っていいと言っていたし。きっと我が国の王族たちも、思う事があったんだろう。それにしても、アンネリカは王太子の目が怖いと言ったね?何がそんなに怖かったんだい?」
最初は太っているから、元結婚相手を思い出して嫌がっているのかと思っていたが、どうやらそうではないようだ。
「こんな事を言っていいのかわかりませんが…何と言うか、全身をなめ回す様な、嫌らしい目と言うか…とにかく、気持ち悪かったのです。うまく表現できなくて、ごめんなさい」
ギューっと抱き付いて来るアンネリカ。よほど怖かったのだろう。確かにあいつの目は、俺も気に入らなかったが。人懐っこいアンネリカがここまで怯えるなんて。
「アンネリカ、もう大丈夫だよ。あんな男に、もう君を会わせたりしないから安心して。それに、万が一会わなければいけなくなったとしても、俺が片時も君の側から離れないから!」
きつく抱きしめ、極力優しい言葉でアンネリカを安心させるように語り掛けた。
「はい、ありがとうございます」
涙を流しながらも、にっこりとほほ笑むアンネリカ。あぁ、なんて美しいんだ。とにかく家に着いたら、すぐに父上に今日の事を話そう。
そうこうしているうちに、公爵家に着いた。すぐにアンネリカを抱きかかえ、部屋へと連れて行く。
「アンネリカ、公爵家に着いたからもう大丈夫だよ。さあ、少し部屋で休んでいてくれるかい?俺は、少し父上と話をしてくるから」
アンネリカをベッドにおろし、部屋から出ようとしたのだが…
「ディラン様、お願いです。1人にしないで下さい!」
そう叫びながら、アンネリカが必死にしがみついて来た。あまり我が儘を言わないアンネリカが、俺に行かないで欲しいと言うなんて、よっぽどの事だ。
「1人にしようとしてごめんね。分かったよ、一緒に行こう」
俺がそう言うと、心底安心した顔をするアンネリカ。そんなアンネリカを抱きかかえ、父上の執務室へと向かった。父上とスムーズに話が出来る様、予め執事に状況を伝えておいた。
コンコン
「父上、お話があるのですが」
俺が執務室に入ると、父上と母上が待っていた。
「ディラン、アンネリカも。一体何があったんだ?」
俺達が部屋に入るなり、父上が俺の方に走ってきた。
「父上、ちょっと色々ありまして」
「わかったよ。とにかく座ってゆっくり話そう」
ソファーに腰を下ろし、アンネリカを隣に座らせた。ギューッと俺に抱き着いて来るアンネリカ。どうやらまだ怖い様なので、再び膝の上に乗せて後ろから抱きしめてあげた。
「随分アンネリカが怯えているようだが、本当に何があったんだい?」
父上も母上もアンネリカの怯えように、かなり動揺している。とにかく俺は、今日の出来事を丁寧に説明した。特にあの無礼なデブ王太子の事は、細かく話しておいた。
「あいつの息子は、そこまでバカなのか」
口元を隠しているが、明らかに嬉しそうに微笑む父上。横で母上が動揺している。
「とにかく、もうあのデブ王太子にアンネリカを会わせたくはありません。あのイヤらしい瞳に、アンネリカを映すなんて耐えられない!それに、見ての通りアンネリカも怯えていますし」
俺の言葉に、考え込む父上。
「わかったよ!基本的にはお前1人で視察に同行する事を、陛下には伝えておく。ただし、さすがに最後の日に行われる晩餐には、出席させない訳にはいかないだろうから、その時だけは行ってやってくれるかい?」
「そんなの、父上と母上で行けばいいでしょう!大体、ただのデブオヤジの母上はどこが好きだったのですか?俺には全く理解できない!」
しまった!さすがにこの発言はまずかった。つい興奮して国王の事を話してしまったが、大丈夫だろうか。
「ディラン、君の気持ちはよくわかるよ!私も同じ事を思っていたからね」
そう言うと、恐ろしいほどの笑顔で母上を見つめる父上。これはさすがにマズいな。
「とにかく、俺はもうアンネリカを出席させるつもりはありませんから」
父上に向かって叫ぶと、アンネリカを抱き抱え部屋から出た。
その日はとにかく俺から離れないアンネリカの為に、ずっと側にいた。と言っても、いつも側にいるのだけれど。
それにしても、怯えるアンネリカは格段に可愛いな!俺が少しでもアンネリカから離れようとすると、必死でくっ付いて来る。ヤバい!たまらない!ギューッとくっ付いて眠るアンネリカを見つめながら、そんな事を考えるディランであった。
翌日。
マルゲール王国の視察に同行する為、1人で登城した。やはり俺から離れないアンネリカの為に、今日は特別にメイドたちを側に置いた。本当は母上に側に居てもらおうと思ったのだが、どうやら父上が部屋に閉じ込めている様だ。
朝一でアンネリカの友人でもあるフェーヴィッド伯爵夫人に手紙を書いたので、多分来てくれるだろう。とにかく今は、怯えるアンネリカを落ち着かせることが先決だ。念のため、護衛騎士を増やしておいた。これで大丈夫だろう。
王宮に着くなり、俺の元に飛んできたのは王妃だ。
「ディラン、アンネリカちゃんは大丈夫だった?」
どうやらアンネリカを心配していた様だ。
「ええ、ただかなり体調が悪かったみたいで、しばらくは俺だけで同行しますので」
「大丈夫よ。昨日公爵から連絡を貰っているし。それにしても、アンネリカちゃんの怯えよう、半端じゃなかったわね。まるで、昔のマリアンヌを見ている様だったわ」
「母上を?」
「ええ!ディラン、今日は出来るだけ早く帰ってあげなさい!あなたの仕事は、グレイソンにやらせるから」
王妃、たまにはいい事を言うじゃないか!
「ありがとうございます。そうしてただけると助かります」
向こうの方で王太子が睨んでいるが、無視しておこう。
その時、陛下に連れられて、マルゲール王国の国王と王太子がやって来た。
「ファイザバード公爵令息殿、昨日は息子が大変失礼な事をいたしまして、申し訳ございませんでした」
俺の顔を見るなり、頭を下げて来た国王。
「本当にすみませんでした。今後は発言に気を付けます。それで、今日は奥様は?」
国王の隣で、同じく頭を下げるデブ王太子。
「私は気にしておりませんので、大丈夫ですよ。妻はまだ体調が優れないようなので、今日は家に置いてきました」
お前のせいでな!そう言いたいが、もちろんそんな事は言えない。
「そうですか、それは残念だ…」
「残念?」
こいつ何を言っているんだ?
「ええ、会ってきちんと謝罪したかったので」
そう言うと、気持ち悪い笑みを浮かべる。こいつ何を考えているのか、よくわからんな。
「王太子殿下、ファイザバード公爵令息夫人は、最後の日に行われる晩餐には必ず出席しますから。その時に謝罪して頂ければよろしいかと」
おい、グレイソン!一体どういうつもりだ。いらん事を言うな!
ギロリと睨んだ俺に対し、涼し気な顔をしていやがる!きっと俺の仕事を王妃から押し付けられた事を根に持っていやがるな、こいつ!性格が悪い事この上ない。
「そうですか!それは楽しみです」
さらに気持ち悪い笑みを浮かべるデブ王太子。くそ、こう言われては断れないだろう!グレイソンの奴、覚えていろよ!100倍にして返してやるからな!
その後は滞りなく視察は終わり、昼過ぎには公爵家に帰れることになった。
「王太子殿下、妻は最後の日に行われる晩餐までに、体調を整える必要がございます。その為それまでは俺の仕事を頼みましたよ」
満面の笑顔で王太子に伝え、馬車へと乗り込んだ。
「おい、ディラン!ふざけるな!」
後ろで何か叫んでいたが、知ったこっちゃない!お前のせいでアンネリカを、またあのデブ王太子に会わせなければいけなくなったんだ。これくらいはして貰わないと!
それに、あのデブ王太子に会わせると、アンネリカはいつも以上に俺にべったりだ。正直悪い気はしないから、まあ晩餐に連れて行ってもいいか。その時の俺は、呑気にそんな事を考えていた。
そう、この晩餐が最悪な事態を引き起こす事も知らずに…




