プロローグ
私の母はとても優しくて、心の弱い人だった。
「お願いだから約束を守って頂戴」
産まれ時からもう何度も聞かされてきた言葉だ。
「母様のお願い、聞いてくれるわよね?」
その綺麗な顔に浮かぶのはとても不安げで、怯えきっているのが分かる。
「決して他のお妃様や王子様方に意見するようなことはしないで」
近寄りも関わりも持たず、ただ静かに平穏に。
そう言いながら目の前にいる自分の娘の手を握る彼女の手は、ぎゅっと祈るように震えていた。
いつものように母に言われた少女は、母を見つめていたその目を静かに伏せる。
そして目の前の母を安心させるように微笑んだ。
「はい、お母様」
自分の手に添えられている母の手を優しく握り返せば、ほっと安堵の溜息とともに母の表情が和らいだのがわかった。
ーーーー本当は・・・・・・
ほんの少しだけ想いを馳せそうになった自分にハッとして、少女はそっと母をみる。
けれど、どうやら「約束よ・・・」と言いながら今度はぎゅうっと抱きしめるように動く母には気づかれなかったようだ。
こんな風に時々・・・というよりも、ほぼ毎日他の妃や王子達の名前や噂を耳にする度に彼女は怯えたように少女に約束を願う。
だから大好きな母を安心させる為にいつもと同じ返答をしているのだが今日ばかりは言葉とは裏腹に、つい先程別の妃の息子である兄王子に偶然会ってしまい、尚且つ少しながらも言葉まで交わしてしまったことを思い出す。
鉢合わせしてしまったのが第一王妃の息子だったのだから仕方がない。
第三王妃である自分の母よりも上の位の人で、しかもその息子である第一王子はとても優秀と言われている。
そんな人を目の前にしてまさか無視をするわけにもいかない。
それに他の人に言われるような辛辣な言葉を言われた訳でもないのでほんの少しだけ会話をした後に素直に頭を下げて、彼が去るのを見送った後は自分もそそくさとその場を立ち去ったので問題はないはずだ。
この国で跡継ぎ候補の王子は他にもいるが、第一王子の彼が最も一番次の王位に近いだろうと噂されているのを知っている。
頭も良くて、母親の第一王妃は元々の身分も高い高貴な貴族出身なので後ろ盾もしっかりしているし、少女自身も実は嫌いではなく密かに尊敬さえしている一番上の兄王子が王位につくならこの国は安泰なのではないかと思ってさえいる。
彼らを忌避して近寄ることを拒む母にはとても言えないけども。
そんなふうに少女は思いつつも、ずっと守ってきた母との約束をこれからも破るつもりはない。
・・・今日はたまたまの出来事だったのだから。
きっとこの母には王妃という立場に向いてはいないのだろう。
臆病で、気弱。・・・でも優しい人。
娘である自分のことを心から愛して、大事にしてくれているのは分かる。
私が大人しく王宮の奥に隠れて静かにしていればお母様を安心させることが出来るし、お母様の心は守れるのだから。
・・・・・・だから、これでいい。
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