百合子の知らぬところで、父親とその友のはかりごと
朱引きの内で何やら身勝手な話が進んでいる頃、何も知らぬ百合子は弥助の散歩がてら、たねこと若菜を摘んでいた。
「百合子様、そういえば嫁菜、奥様がお好きでしたよねぇ」
「はい、そうでした、湯がいて鰹節をかけて頂くのがお好きでした、お仏壇に御供えしたいわ、たねこ、作り方を教えて、あとおねこさんも作ってみたいの」
「おひたしは簡単ですよ、まぁ、おねこさんを?それならば笹の葉が……あら、ゲンナイ様ですよ、こんにちはゲンナイ様、旦那様がお待ちで御座います」
たねこが先に気が付くと、摘む手を止めて腰を伸ばすと頭を下げる。ゲンナイ……百合子はシャンと背を伸ばした、そして彼を見ぬ様に身体の向きを変え、素知らぬ風を装う。
「お二人さん、ご機嫌よう、いいお天気だねぇ、それにやっぱり『外』はいい、静かで穏やかで……、おや嫁菜か……おひたしがいいねぇ、おや、弥助、元気かい?」
ニコニコと近づく肩までの白髪を後ろで紙縒りで括った、年寄にも若くも見える、不思議な風体の男が二人に近づく。弥助がオン!と尻尾をふると彼に近づく。
「おお!元気だねぇ弥助、ほうほう、ほらおやつだよ、おやおやどうしたの、べっぴんさんが台無しだな、ふくれっ面も可愛いが、飴食べるかい?」
「……、ふん!いりません。小さい子供ではありませんのよ!酷いですわ!ゲンナイ様でしょう?そのかけておられる眼鏡、丈太郎から聞きましたの。どうしてあんなことにされるの?は、恥ずかしいですわ!」
少しばかり頬を赤らめて、恨めしげに話す百合子、丈太郎の名前が出た事に、ニヤニヤ笑いながら答える。
「ふふーん、恥ずかしいって、んふふ、これも百合子嬢ちゃんを思えばこそ、あれこれ書かれることになるよーってなれば、お前さんを『羨む』輩が少なくなるかなーって思ってな……、最近増えてるしなぁ、それも特定を狙った『ナラズモノ』がね」
こくんと頷く百合子。若君との話が広がるにつれ、買い物や内職の品を納めに行く度に、彼女に惹かれ湧き出す様に出てくるナラズモノ……。
闘うときもあるが、前もって気配を察知すれば、弥助にまたがり地を駆け抜け、それらを振り切る事も、しばしばあった。
「……ふぅ、最近朱引き内に行くのも、憚られて。さりとて家には、毎日若君からの使者が押しかけてくるし、諦めて欲しいのに……はぁぁ、迷惑千番とはまさにこのこと」
「ふぅん、そりゃ大変だな、親父さんからあれこれ聞いてはいるし、何とかしてやろうとは思っているから……、まぁ、もうしばらく我慢なさい、飴食べるかい?」
袂から紙袋を取り出すと、中身を見せるゲンナイ、赤に黄色に橙……色鮮やかなそれを見た百合子は、ひとつつまむと口にほりこむ。蜜を煮詰めたそれは、花の汁で色と香りをつけている。唾液と混ざり、ふうわりと溶けて柔らかく花開く甘さ。
「おじさま、何時も飴を持ってるけど……どうして?小さい時にお聞きしたけど、大人になったら教えてあげるって仰ったわ」
舐めながらふと浮かんだ疑問を口にした百合子。ゲンナイは、おたねに勧めながら、ん!嬢ちゃんも大きゅうなったから、教えてやろうとおぼこな彼女に話をした。
「ふふふ、女子供は甘いのがすきでな、それでもって『花街』にいくと、引き込み禿がいるんだよ、上玉の禿ちゃんは売れっ子太夫の妹が多い、まずは文やら届けて貰わにゃならん。そこでだな、飴が出てくるのだよ」
『飴でピチピチお魚ちゃんを釣り上げよう!』てな感じ、とクスクスと笑うゲンナイ。まぁ……、と呆れる百合子、穏やかに午後の風がふわりと吹いたとき、弥助が百合子に知らせる。
「……!お嬢!何時ものが来ますが……どうやら真打ち登場ですな」
「は?弥助や、真打ちとは、まさかの?やだ!もうしばらくココにいようかしら」
二人のやり取りを見ていたゲンナイは、ニヤリと笑う。彼女の父親と二人して、せっせとばら撒いて来た種が、ようやく芽を吹いたらしい。
……、若君をココに呼び寄せ、百合子が居ない折に話を受ける。
しつこく話を持ってくる事に、業を煮やした彼女の父親は、知恵者のゲンナイに、娘には内緒で、あれこれ相談をしていた。そしてゲンナイはその時、ちょうどやんごとなき筋から厄介な頼まれ事を、こちらも密かに持ちかけられていた。
聞けば哀れな話なので、何とかしてやりたいがどうにも方法が見つからない、その時受けた友からの相談。彼の脳内にあらゆる可能性が、寄木細工のように、カチリパチリと動き出した。
……、何とかなるやもしれぬ。世のため人の為になるしな、あの巷で評判の『ママ上』の旦那、婿養子だったのかよ、まあわからんでもないな。百合子嬢ちゃんには……少しばかり泣いて貰わにゃならんが……。
そして……彼と父親の企みは動き出した。百合子が若君が帰ったのを確認をし、家に帰ると……
「若君様が直接お越しになってな……、もう断りきれない。だから結婚話を『お受け』した」
座敷に来るよう言われて行ってみれば、父親にそう告げられた百合子。
「そんな!父上!嫌でございます!」
そうは言ったものの、もう決まったと言われ、目に涙を浮かべると、部屋を出て行く彼女、外は薄墨色が降りてきている。今から出ることはなりません!と二之吉が止めに入った。
「夜は危のうございます、野盗盗賊人攫い、違った者があふれる時間でもあります、お部屋にお戻りくださいな、百合子様に何かあったら……二之吉は、ご飯が喉を通らなくなります」
そう優しく諭された。弥助もダメだと言ってくる。百合子は、仕方なく小さな自分の部屋へとしおしおと向かい籠もる。そして、シクシクと涙の夜を過ごした。
続くー。