百合子は、大通りにてぼんぼんと出会う
遠巻きに囲み、ざわつく朱引き内に住む人々、百合子の耳には何も聞こえない。目の前の若君に、鋭く視線を送る。それに射抜かれたじろぐ若君、しかし頬に朱を上らせた百合子の美しさにポッとなっていた。
「この!愚かもの!」
そのどこかゆるい表情が余計に気に触った百合子、手を振り上げると、思いっきり頬に叩きつけた。
パァァァン!ぽっちゃりした白い頬の肉が、ぺにょりと歪む、それなりに叩いた側も痛みが走る、事を終えると、手を軽くぷらぷらとゆする彼女。
「ふぐ……殴ったね!パパ上からも殴られた事が無いのに!うえ。痛いよぉぉー」
「まぁぁぁー!僕ちんを殴るとは!ああ……赤く腫れて、可哀想に……何という不埒で乱暴な女なのかしら!婚約は破棄しますよ!我が家の嫁には相応しくないわ!」
一日二回も……しかも朝から、殿方の頬をはつるとは……そしてこんな衆人監視の中、ご本人ではなく、お母上様から婚約破棄を言い渡されるとは、何という情けない!その年で母親に抱きついて泣いてる男がいる……。
「ええ。でも私は、もとから若君様とご婚約する気はありませんでしたから、好きな殿方がいますの、では、失礼!それと若君様、お互いそれなりに、ナラズモノから狙われるのですよ、無関係の者を側近く連れて歩くのは、大通りとはいえ、いささか不用心ですわ、では失礼致します!」
切り向上でつけつけと言い終えると、弥助!帰りましょうとその場から立ち去ろうとした。
「ちょっと!お待ちなさい」
ちっ!面倒な……と、心の中で舌打ちをした彼女。振り返れば、ふぐふぐ泣いている息子を抱えた母親が彼女を睨みつけている。周囲に群がる野次馬。
彼女はナラズモノが立ち入れぬ様に、呪をかけられているこの道を選んだ事を後悔していた……。危うくとも路地裏を抜ければ良かったかしらと思う、が時すでに遅し。
☆☆☆☆☆
袂で涙を拭いつつ大通りを歩く百合子。脳内に流れるは、側に付いて歩いている弥助の心配そうな声。
「大丈夫ですか?お嬢、全くもうオスの風上にもおけませんな」
「弥助は……恋したりとかするの?最近は、西洋の犬を飼われる人も多いわ」
大通りを行き交う、着物姿、そして洋装姿の人々、百合子と同じ様に護衛を連れた人もいる、ただし弥助の様な姿は居ない。様々な人々、昔住んでいた朱引きの内、その頃はナラズモノとは無縁で、狭い路地裏を、丈太郎と駆け回って遊んだ……あの頃に帰れないのかしら、切ないため息を漏らす。
「……、まぁ見て、弥助、きれいな毛並みね」
百合子が目に止めたのは、白の組紐を首に括り、引かれて、散歩をしている大きな体格の犬の姿。絹糸の様な毛並みが朝日を浴びて光っている、目を移せば白に斑の姿も近くにいる……。それらは自然界に命を受けた存在、弥助の様に造られたモノではない。
「確かにきれいなメスですな、しかし生殖本能というものが無いので、人間の様に思い焦がれるなどはありません、なのでわからないのですが、しかし!大切な主を泣かす野郎は別です、喰い殺そうかと思います」
ふん、と目をやったあと、口をパッと開け鋭く光る牙をちらりと見せる弥助。
「もう!こんな場所で見せないの、はぁぁ、もうどうしましょう、尼寺にでもいこうかしら」
それが彼なりの慰め方だとわかっている百合子は、彼の頭にふわりと手を置く、もふもふとした毛の中にうまる白の手のひら。
ガヤガヤとにぎやかな大通りを、少し落ち着いたが、やはり寂しく打ちひしがれながら歩いていた時、彼女の側近くを通り過ぎた籠が二つ、それと従者の姿。それが目の前でピタリと止まる。一番聞きたくない声が、そこからキンキンと流れてきた。
「止めて!降りるから……あー!やっぱり!僕たちは赤い糸で結ばれてるんですよお!良かったぁー!今から百合子さんのお宅にママ上と一緒に、向かおうとしてたんですよ!」
ママ上……ピキッと来た彼女。降りてきたのは今一番会いたくない相手、若君とその母親。屈強な籠かき人夫にちょっと待て、と横柄に話す。どこか瞳の焦点があって無いような、護衛を三人引き連れていた。
「なんの御用で御座いましょうか?」
「ん!それは婚約指輪を、ママ上に買ってもらうからですよ!百合子さんは、舶来のそんなの持ってないでしょう?あっちでは結婚するとき、男から贈るのです!いっしょに選びましょう!」
ねぇ!ママ上、ええ、僕ちんと視線を交わす親子、嫌だわ気持ち悪いと百合子は思う。
「貴方が華乃 百合子さんね、ああ、いいのよ、私達にしたらほんの雀の涙の様なものだから……、そうそうお着物も買ってあげましょうねえ、お振袖を着せたいわ!
それにその手にしている巾着袋も、舶来の小さな鞄がお似合いになりそう」
「わー!ママ上最高!直ぐ行こう!ほら百合子さん、行きましょうよ!わ!何この犬!シッシッ!僕ちんは、獣嫌いなんだよ!臭いから!」
断ろうと口を開きかけた彼女を制して、あれこれ勝手に話を進めて行くので親子。朝からの事もあり、次第に彼女の心はイライラとしたものに支配されていく。側ではヴーと弥助が軽く唸る。彼の護衛は、自ら動く事をしないのか棒のように突っ立っている。
「シッシッ……、誰に向かって仰るのかしら」
低い声が若君に向けられる。
「その側にひっついている、犬っころですよ!あ!そうだった!貴方の護衛でしたかね!あはは!すみません、『四足』を使役していたの、忘れてましたよぉ、おい!そうだな、そこの「白の犬耳」こっちに来い」
彼は悪びれずベラベラ喋ると、護衛の一人、薄茶色がかかった白い髪の毛に犬耳をした美系な女性の姿形をした人造生物に声をかけた。
まっ!何!その『名前』は……この野郎!許されるのなら撃ち込んでやろうかと思い始める百合子、巾着の組紐を、ぎゅっと握りしめる。
「ほらほら!こういうのが『護衛』なんですよ!」
「護衛?その覇気が無いのが?そしてその者からは貴方の気配を感じませんわ!契約は、なさって無いのですか?」
「はっ!なんて野蛮な、手を切り血を飲ます……そんな事をしなくてもいいのですよ、栄養剤を使えば。確かに副作用で自我がなくなります、それに力も半減しますが、代わりに幾つも持てる事で、戦闘能力を維持すればいいし、飽きたら交換できますからね!ねぇ、ママ上」
「そうですよ、百合子さん、身分にふさわしいモノを選ばないと……、僕ちんを見てご覧なさい、何時も最高級の物を持ってますのよ、ホホホホ、貴方も我が家に来ればそうなりますのよ」
惚れ惚れと息子を見る母親。それを聞きドヤ顔を決める若君。
「飽きたら交換?それに薬を使うのはいけません!その者達の命を削る事になるのですよ!貴方は護衛をなんだと思っていますの?」
激情が百合子の中で立ち昇る!許さぬ思いで満たされる!彼女の中で、母を追って『消える』事を選んだ三重が最後に見せた、幸せだと呟いた儚い笑顔が浮かぶ。
「は?護衛?そんなの道具の一つに過ぎませんよ、やだなあ!アハハハ」
若君の脳天気な声が、彼女の琴線に触れる!周囲には野次馬が集まっている、囃したてる様な声が上がっている。
しかし頬に朱を上らせた百合子には届いていない。ツカツカと若君に近づくと……彼女は白い手を振り上げた!
「この!愚かもの!」
続くー。




