……!して物語はここから始まる。
やれ、遅くなってしまったわ、八百八町で評判の、美しい乙女『華乃 百合子』は、闇の帳がゆっくりと降りているセカイを、せかせかと歩く。
所要で朱引きの内に来ていて、郊外の家に帰る途中の彼女。もふもふの白い毛に覆われたましろの大きな犬が、側近くヒタヒタと歩きながら、声無き声を彼女の脳内に送る。
「背にお乗りになられますか?お嬢」
「大丈夫よ、弥助。急いでないのだから、それに私を乗せるのなら、魔力で身体を大きくするのでしょう?勿体ないわよ、お腹も空くし、それにしても……」
弥助と呼ばれた犬が、スンッと鼻を鳴らした。百合子がそれを見て微笑む。早く帰りましょうと歩を速めたとき……!
ウォン!彼女の周りがグニャリと歪んだ。
「お嬢!」
太く低く、そして鋭い声がダイレクトに脳裏に響く!彼女は弥助を見た。黒の碁石の様な彼の目の色が、紅く朱く紅蓮の色に変わり妖しく光っている。
「ああ!もう!なんで貧乏暮しの私が『羨ましい』存在なの!あなた方おバカなの?」
百合子は、額の星が表に出る感覚を意識をした。明るい韓紅の御印が浮かび上がる。目の前に蠢く敵、『ナラズモノ』達に彼女は毅然として言い放った。
『美しい、美しいからに決まってる!よこせ、その身体、ヨコセ!ヨコセ!若君、ワカギミ』
ジン、と切り離された暗黒色の空間が冷える。ズンとそこに満ちる大気が密度を増し、彼女に重さとなりのしかかる。『満たされぬ魂、ナラズモノ』が張り巡らした『場』に捕らえられた百合子と護衛の弥助。
敵は彼女を中心にし、グルリと円を描き間合いを取る。濃縮されたヨカラヌ者。身勝手な、報われぬ想いを抱いた死人の魂が百合子を取り囲む。
以前は『一対一』だったのだが、今は複数でかかって来る事が多い。それは彼女の様な『迎え撃つもの』の力が上がってきた事に関係してる。気配を読む弥助。
「ム……、か弱き乙女に五人、いや六人とは」
「ホントにそう!こんな輩に絡まれるから、お振袖も袂を短くする始末!そして最近は、物価も高くなっているというのに……、おかげて働いても働いても、我が暮らし楽にならず!」
彼女は少しばかり愚痴をこぼすと、背筋を伸ばしひと呼吸、気合いを入れる。身のうちにある力を高めていく。彼女の黒い瞳の色に黄金の光が宿る。薄紅色をしていた唇が真紅に染まっていく。
フゥ……、紅い唇をすぼめて息を吐く百合子。それは濃い乳色。冷え切った空気に吐息の白き花が開く。身体から立ち上る熱が凍える空気に反応し、ピシピシと音が立ち弾ける!
彼女は動きを妨げる着物の裾を手に取ると、左右に引き上げ帯に挟み込み絡げる。薄桃色の襦袢が顕になる。
そして、腕にかけていた巾着袋の中から、装填済みの南蛮渡りの自動式回転銃を取り出す。しっかりと巾着の紐を締めるとそれを足元に置く。
中には数日分暮らせる銭が入っている。頼まれ仕事の代金。後で必ず回収しなくては、と思いつつ弥助と共に、それに立ち向かう。銃弾は限られている。
「弥助!いいこと!目の前半分」
「わかりました、三体ヤればいいのですね、無理はなされぬように、御力を開放されぬ様に」
「わかってる!そんなヘマはしない」
百合子は、ヒュルリと音立て息を吸う。それは彼女の気道を通り抜け身体の中に入る。熱を持つ血潮に混ざる、熱く熱く温度があがる。
『ヨコセ、美しい身体を、そしてワタシは、御正室になる!』
全く……、馬鹿に目をつけられていい迷惑、玉代集金したいわ、と彼女はそう思いつつ、手にした武器に唇を当てる。
ほぅ……、と吐息を銃に吹き込む様に吐き出す。乳色の花がそれを包み込む、彼女の御力が宿る。
『ヨコセ、美しい身体を、そしてワタシは、シアワセニナルノダ!!』
ナラズモノがシャッと放ち向かってくる、冷たく硬い冷気の塊をかわす百合子。
――、フワリと短な袂を翻し、大きく足を広げ踏み込む、闇に艶かしく白いふくらはぎ、太ももが浮かび上がる。朱色の腰巻きがちらりちらり、優雅に身をかわす、草履の足元で舞うが如く地を踏む。
そして態勢を整え、黄金色の光が宿る瞳で見定める。ナラズモノに照準を定め、反動で動かぬ様に足に力を込める、腕にも込める、そして両の手で支え、指を引き金にかけた……時を見極め引く!
静寂を切り裂く轟音、ズ……!ズズン、撃ち込まれる音。潜り込む音。雄叫びが上がる。腸はらわたを焼かれ、よじられる激痛に襲われる、ナラズモノの断末魔の叫び。
クニャリとした薄墨色の半透明な蠢くモノに、彼女が放ったそれが命中をした。それを見定め、即座に一言、『呪』を唱えた百合子。
得物に込められた彼女の御力を媒体として、『銀の玉』に込められていた力が開放される、冥府の冷たさが詰まっているナラズモノが、一気に蒸気の高温に襲われる。
膨れ上がったその姿は、さしずめ斑模様の巨大なナメクジ、それから溶けながら、ジュルジュルとのたうち回っている。
「う!いつ見ても気持ち悪い……弥助!絶対に喰いちぎって、飲み込まないで!そんなことをしたら、お家に入れません!」
シュ!シュワアア!ましろの水蒸気が、ナラズモノを包み清らかに『浄化』していく……。綺羅に光を放ち、立ち上る霧氷、百合子は背後で闘う護衛に声をかける。
的確に急所を見定め口を開く、彼の生まれながらにして持ち得ている、白銀の牙が鋭く光る。
喰らいつく、それと同時に彼が魔力により、体内の熱を上げ、主と同じ物を創り上げたものを、ハフゥ!とそれの奥深く強く吹き込む弥助に、次のモノを相手にしつつ、百合子はそう強く言いつけた。
続くー。