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2.旅の自由

 馬車は順調に街道を進む。弁当はあっという間に空になった。ジョンストンは退屈を持て余し、脚を馬車の木脇の外へと投げ出したまま、空を眺めて呆けていた。


(しかし、あのマイラとかいう女は、えらい巨乳だったな)


 目を閉じて彼女との初対面を思い返すと、揺れる胸の量感が生々しく目蓋に浮かぶ。その次に、表情豊かにくるくると動き回る瞳と形の良い唇が思い出された。目を開くと、秋晴れの空の青がジョンストンを包む。マイラの目と同じ色だった。


「なあ、おやっさん。あとどれくらいで着く?」

「なに、もう間もなくですよ。ほら、あっちをご覧」


 御者は街道から西方、デウス山脈の手前の草原を顎で示した。遠くに家畜の白い影が点々と見える。


「スタインウッドの奴らが放牧しとるんですわ。村が近い証拠です、もうひと眠りするまでもありゃせん」


 果たして、間もなく集落が見えてきた。ジョンストンは注意深く道の両脇を見回す。家々が見え始めてほんの数軒目、村の中心部からはまだ間遠いとおぼしきところにシンプトン牧場はあった。

 御者に停車の合図を出すと、ジョンストンは荷台を飛び降りた。母屋を見定めると玄関に近付き、扉をノックする。マイラが出てくるかと思いきや、顔を出したのは、赤子を抱いた赤毛の女だった。女は首を傾げながら確認を求めた。


「ええと……タルコットさん?」


 ジョンストンは頷きながら、用件を伝えた。


「ええ、聞いておりますとも。わざわざ村まで来てくださって、ありがとうございます。荷物はそのままそこに下ろしてくださいな」

「いや、どうせ後で動かすでしょう。都合のいいのはどこですか」


 ジョンストンが愛想よく応じると、女は遠慮がちに母屋の奥の納屋を指定した。今度こそは御者も引っ張り出して、ジョンストンは藁束を納屋へと運び込んだ。女――マイラの兄嫁の、フィオナと名乗った――彼女も、荷卸しを手伝おうとしたが、よちよち歩きの赤子の面倒を見るのに精いっぱいという様子で、大した役には立たなかった。

 荷物を全部下ろしてしまうと、ジョンストンは小声で御者に訊ねた。


「今から日暮れまでにカーター・タウンに戻れるかな」

「飛ばせば帰れますぜ、兄さん」


 日の傾き具合を見ながら、御者が請け合う。そのときフィオナが母屋の掃き出し窓から顔を出し、ジョンストンを呼んだ。


「どうぞ、お茶の支度ができました。上がっていってくださいな」


(なるべく早く帰ってこいよ)


 兄の声が耳によみがえる。ジョンストンは一瞬ためらってから、その逡巡の意味を自問した。答えは明らかだった。若い彼は、生まれ育った町からはじめて外の世界へ飛び出して高揚しているのだった。旅の自由を謳歌するべく、帰りを引き延ばしているわけだ。いっぽうでその裏に、マイラと再会するのを期待する気持ちがちらついているのも、ジョンストンは自覚していた。


「おれはここに残ります。先にカーター・タウンに戻ってください」


 ジョンストンはそう御者に伝えた。御者は空の荷台を牽いて馬を走らせ、街道を引き返していった。ジョンストンは掃き出し口から居間に上がりこんだ。

 赤子があたりを伝い歩きでうろつく中、ジョンストンは落ち着かない気分で茶を啜った。フィオナはしょっちゅう転びそうになる赤子を支えたり、台所から茶菓子を出したりと、じっとしている間がなかった。彼女は赤子のお襁褓むつを調べながら言った。


「マイラは今日もカーター・タウンへ行商に行っているんですよ」


 カーター・タウンへの行商は一日がかりだ。彼女は夕方まで帰ってこない。ジョンストンは落胆した。自分でも驚くほどの落ち込みようだった。彼は失意を顔に出さぬよう苦労しながら茶の礼を述べ、シンプトン農場を後にした。


 ジョンストンは行く当ても無いまま、村の中心部へとぼとぼと歩いて行った。いくらもたたないうちに、広場へ行き当たった。

 広場には井戸と、馬車の駅と商店、それに教会が面している。駅馬車の時刻表を見てみると、最終の午後便はとうに発った後だった。ジョンストンはうな垂れて、けやきの下の待ち合いの長椅子に腰を下ろした。宿を探さねばならないが、初めての小旅行の疲れが出たのか、尻から根が生えたようになかなか動けずにいた。

 どれほどそうしていたか。教会の扉が開き、祭服姿の男が階段を下りてきた。ジョンストンは、なんとはなしに、ただ景色に動くものがあるという理由だけでその人物を眺める。男はふと顔を上げ、ジョンストンと目が合った。彼は小首を傾げてジョンストンに近付いてきた。


「今日の駅馬車はもう行ってしまいましたよ」


 その男は、聖職者らしい慇懃さでもってジョンストンにそう告げた。ジョンストンは、男が話しかけてきたことに多少の気後れを感じながら答えた。


「はい。それで途方に暮れています」


 男は困ったように笑った。


「それはそれは……」


 一見したところジョンストンと同年配であるこの男は、自らをこの村の司祭の息子ジャレッドと名乗った。ジャレッドは街道から伸びる北側の道を指して言う。


「あちらに宿があります。ひとまず今晩はこの村に泊まって、明日の便を待ってはいかがでしょう」


 ジョンストンはジャレッドに礼を述べ、のろのろと教えらえた道へと歩いていった。


「……もっとも、部屋が空いているかどうかは分かりませんがね」


 ジャレッドの呟きは、しかし、ジョンストンの耳には届かなかった。

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