第一話・嘘は吐けないお年頃
かなり早い時間に自室に戻り制服に着替えた私は、目の前のドアをそっと開けた。
右を見て左を見てほっと胸を撫で下ろす。
「良かった今朝はまだみた……」
「おはようございます、義姉さん」
「ひっ!!」
すぐ後ろから耳元に囁かれて、奇妙な声を上げてしまう。
恐る恐る後ろを振り返ると、さっきまで確かに居なかったはずの義弟が、微笑みを浮かべてそこに立っていた。
「お……おはよう、ルイス」
引きつる笑みを何とか堪え、平静な振りをする。
「今日は随分と早いお目覚めですね」
知らぬ間に右手を取られ、ルイスはその甲に唇を寄せる。
伏せていた瞳がそっと開かれ、上目遣いに私を見つめると、美しい笑みが妖艶な気配を纏うのを感じた。
早くに準備して一人で先に学園に行こうなどという私の思惑は、すでにお見通しだったらしい。
「せっかく早くに起きたのですから、今日は二人で登校しましょうか?」
優雅に微笑むルイスはそのままエスコートするように私の手を引くと、馬車のある方角に向かい始めた。
いやいやまだ早い!朝御飯も食べてない!それ以上にその状況は不味い!!
ルイスと二人きりで馬車の中……考えるだけで背筋に冷や汗が伝う。
私が逃走したあの日以来、ルイスはスキンシップ過多がより酷くなった。
前は家で二人の時、それもたまに不振に感じる程度の多さだったのが、今では家でも学園でも構わなくなった。
甘い微笑みを浮かべながら髪に触れ、隙があれば今日のように手の甲や指先に口付ける。
部屋のソファーもいくつもあるのにわざわざ隣に座り、腰に手を添えてくるのだから堪ったものでは無い。
そんなルイスと半密室に二人きり、危険以外の何者でも無いだろう。
「やっ……でも、やっぱり殿下を置いて先に行くと言うのは、流石に不敬じゃないかしら?」
先ほどまで自分も置いていく気満々だったのを棚の上に上げ、苦笑いを浮かべながら視線を彷徨わせる。
そうは言ってもまだまだ到着するはずが無いと、諦めに似た感情を抱いていたのが、突然響いた声で驚愕に変わった。
「何時になったらリディは、私の事をアルと呼べるようになるのかな?」
恐る恐る振り返れば美しいのに凍えるような微笑……
いつもより相当早いよね、それにさっきまで殿下も居なかったよね?
あぁ……こちらにもばれていたのかと、頭を抱えたくなった。
どうしてこう揃いも揃って私が考える事はばれるのか、私はそんなに判りやすいのだろうか……
あの日以降のアルフレッド殿下は、ルイスのように過度の接触をしてくる事は無かったが、舞踏会や夜会のパートナーに必ず私を指名してくるようになった。
私がどうしても出席できない会に至っては、親族のエスコートをするなどその姿勢は徹底しており、貴族間ではもはや婚約者は確定しているともっぱらの噂だ。
出来るだけ噂を払拭する為になんだかんだ理由を付けてお断りしているのだが、あちらは王族こちらは公爵家理由も無く断る事は出来ないので、良い所断れているのは三割程度だろうか。
外堀をしっかり埋めに来ている辺りが殿下の恐ろしい所だと思う。
どうせばれるなら早起きなんてしなきゃ良かったと項垂れる私を置いて、何やら朝から言い合いを始めた二人に両手を取られ、結局いつも通り登校する羽目になるのだった。
学園に到着して馬車を降りる時も、左右からエスコートの手が差し伸べられる。
傍から見れば優雅にエスコートされる姿も、私からしたら運ばれていく宇宙人だ。
女生徒の黄色い声が今朝はそれ程聞こえないのは、早過ぎるからだろう。
それだけでも早起きしたかいが、もしかしたらあったのかもしれない。
いつもは黄色い声と突き刺さる視線に、逃げ出したいくらいなのだ。
勿論公爵令嬢たる者無様な姿を晒す訳にはいかないので、出来る限り平静を装ってはいる。
まぁ……今更な気もしなくは無いけど……
いつも通りに歩いて行けば、当たり前のようにラディアスが立っている。
もう驚かない……どうせ分かり易かったですよ……
無言で礼をしたラディアスが顔を上げると、真っ直ぐの視線を私に向けて来る。
強いその眼差しに視線を逸らす事も出来なくて、暫く硬直して見つめ返してしまった。
するとふと真剣だった眼差しが和らぎ、愛おしい者を見るかのように細められる。
間違いなく自分に向けられているその微笑に、頬が真っ赤に染まるのが嫌でも分かった。
「……ラディアス」
私が赤い顔をして口をパクパクさせているのに気づいたのだろう、ラディアスとの間を遮るように殿下が前に出た。
それを見てラディアスは再度無言で頭を下げたけれど、殿下は何か言いたげに口を開いただけで、結局何も言わず口を閉じてしまった。
結局ラディアスは何か言った訳でも、何かした訳でも無いので、殿下もルイスも彼に強く言う事は出来ないのだ。
最近のラディアスはこういった事がとても増えた。
前から無口な彼は今も殆ど話しかけて来る事はない。
しかし、殿下の護衛としていつもその後ろに控えている彼は、時折切なげな眼差しを向けて来たり、今日のようにさも愛おしいと語るような視線を向けて来るようになった。
目は口ほどに物を言うとは良く言ったもので、感情を一切隠す様子の無いその視線に、耐性の無い私は振り回される一方だ。
しかも真に恐ろしいのはラディアスの視線ではない。
本当に稀に彼は私に話しかけてくるのだが、それが耳元で囁かれた時が大変なのだ。
万人が振り返ると言われる美声に、至近距離で囁かれると本当に腰が砕ける。
一度そのまま立ち上がれなくて教室まで運ばれた時には、恥ずかしいやら情けないやらで顔も上げられなかった。
結局そのまま四人で教室を目指して歩き出す。
いつもならそろそろ嵐がやって来る頃だ。
足を止めて身構えてみたが、いつもの衝撃はやってこない。
不振に思って回りを見渡したが、いつものピンクブロンドの髪も、私よりも可愛らしい声もやって来る気配が無い。
あれ?一人くらい巻けたのかな?と思い嬉しくなって口元が緩んだが、その喜びは次の言葉でかき消された。
「ダリアならまだ王宮に居ると思うよ、一緒に乗せろと言われたけど断って置いて来たから」
断ったの?むしろ置いてきて良いの?王命はどうしたの?
「馬車の手配時間を間違えただけのようだから、心配しなくてもいつもの時間には登校して来るよ」
私の表情だけで疑問を感じ取ったらしい殿下は、良い笑顔を浮かべ教えてくれた。
どうしても引きつる顔を何とか誤魔化し、この話は聞かなかった事にしようと決めた。
今日は一人少ない穏やかな朝だった、うんそれで良い。
ダリル殿下とは有れ以来、学園では仲の良い同性の友人だと認識されている。
朝の通路で突撃から始まって、昼休みや放課後など長めの休憩時間になるとその都度表れ、私の前の席を占拠している。
正直殿下達に囲まれている事もあって、結局私に本物の同性の友人は出来て居ない。
その為ボッチが寂しい私は、擬似同性友人を続けている。
虚しいが目の前の生徒はどう見ても美少女なので、一度忘れると暫く思い出さない。
しかしこの忘れる状態が結構危険で、先日は珍しい通信用の魔道具を見せてくれると言うので行ってみれば、隣国の王城と繋がっていて、婚約者と紹介されそうになった。
勿論全力で否定させて頂いたのと、殿下の乱入で事なきを得たが、あれ以来甘い話には乗らないようにしている。
あの日求婚は全員に向かってお断りしたと思うのだが、魔術師になりたいが理由では誰も納得してくれなかったようだ。
普段より早く着き過ぎて誰も居ない教室で一人溜息を付く。
恋とか愛とかまだ私には良くわからない、いつか私も分かる時が来るのだろうか……
まあしかし、今はそういったものよりも、やはり魔法の研究がしたいと思ってしまうのだった。