聖女の過去と交わらぬ想い
データが消えた。あぁ、絶望だ。
魔王の城を目指して島を一直線に駆け抜ける。
それほど大きくはない島といっても、城まではそれなりに距離がある。
海岸に残してきた仲間のことを考えると、一刻を争う。たった一体でやってきたあの魔族は強い。万全の状態の俺達全員と戦っていまだに傷一つ付けられていないのだ。
それをリュイとアトスの二人だけでどれだけ持ちこたえられるか。一緒に乗船した国の兵士たちの被害もきっと多くなってしまう。
俺とマリアンヌだけで魔王エールを討つ。
相手がどれ程強大な力をもっていても、魔王を相手にする場合なら俺のほうが有利に働く。
聖王国より授かった聖剣ファーウィルは魔王に対して威力が増す。さらに勇者の能力は聖剣の能力を相乗効果でより強力にすることができる。
この力をもってして先代魔王をも討ち倒した。
惜しむらくはこの聖剣の効果が魔族には通常の威力しか発揮しない。あくまでも魔王。魔を統べる者でなくてはならないということだ。
「ここは集落か」
「でも、魔族の姿はないようね」
完全にもぬけの殻だ。海岸にやってきたあの魔族以外、俺達に攻撃を仕掛けてくる様子はない。
何かの罠か。不気味ではあるが襲ってこないのならそれは好都合。
このまま最短距離で一気に城まで駆け抜ける。もちろん、警戒は怠らない。
いつ襲われても撃退できるように魔力を聖剣にまとわせてある。
「それにしてもあの結界。魔王エールっていうのは厄介な魔法を使うな」
「でも、ユーシの全力を何度も受けられるほどではないわ」
さて、その全力を何度も打つ俺はだいぶ疲れそうだ。
でも確かに、絶対に壊れない盾はない。
海岸に残してきた仲間のためにも、魔王をすぐにでも討ち倒して戻る必要がある。
そして、結局魔族の襲撃は一切なく城の前までたどり着くことができた。
城門前から見上げた先、テラスのようになっているその場所に一人の少年が立っていた。見た目はまだ10代に達しているかいないかという風貌。けれど、身にまとう魔力は魔王のそれだった。
「お前が魔王エールだな」
テラスの手すりに腰かけて、その少年は俺達を見下ろしていた。
「なぜ、バナナを食べている?」
そう、両手にバナナをもって頬張っている姿は何ともシュールなものだった。
「んっぐっ‼」
のどに詰まらせたのか、両手に持っていたバナナを地面に落とし胸をたたいている。
こんな残念なちびっこが魔王。
「ごほんっ! 待っていたよ勇者」
頬を赤く染めながら、若干涙目でまるで先ほどのバナナのくだりはなかったかのように振舞っている。
「勇者とは一度話をしてみたかったんだ」
「いや、いい。こちらは話すことなんてない。さっさとこんな戦い終わらせてやる」
「油断してはダメよ。間抜けそうな魔王でも、結界の実力は本物なんだから」
「うぅっ。間抜けとか酷い」
可哀想に思えてきたが、勇者として魔王を討つ。
ちびっこ魔王は頭を振って気持ちを仕切りなおしたのか、テラスの上から地面へと飛び降りてきた。
軽く数十メートルはある高さから飛び降り、平然と着地するその姿は残念なように見えても魔王ということか。身のこなしは悪くないようだ。
「出来ることなら僕は争いたくない」
「この期に及んで命乞いか?」
「そう思ってもらっても構わないよ」
魔王はまっすぐに俺を見据えて、こう続けてきた。
「僕は戦争なんてしたくない。平和な世界を築き上げたいと願っているんだ」
何を馬鹿なことを、と一蹴してやろうと声を出そうとした時だった。
「そんなこと許されるわけがないわ」
俺の後ろで、マリアンヌがそう告げた。
今までに聞いたことのないような冷たい声。
普段からやさしく、太陽のような笑顔を浮かべていた彼女からは想像もつかないそんな声だった。
島のみんなを城の地下道から退避させて、僕は一人テラスの手すりに座っていた。
島のみんなを逃がしたとき、タローも一緒にその列へと加わっていった。そうなることを予想していたけれど、そうなってしまったとき僕はとても悲しかった。
でも仕方がない。もともとタローは僕が巻き込んだけで、この世界のこととは無関係なんだ。
それでも、最後にタローが言ってくれた言葉は嬉しかった。
脱出するまではなるべくみんなのことを守ってみる。そう言ってくれて、少しだけ心が軽くなった。
極力戦闘には参加しなくても魔族の同胞を一つの命としてちゃんと見てくれて、守ってみると言ってくれた。それだけでも、救いだった。
だからこそ、僕は僕が決めたことをする。
この戦いを無駄な血を流さずに終わらせる。誰一人殺さず、殺されずに終わらせる。
「ふははははっ、よく来たな勇者。僕と手を組まないか。世界の半分は君にくれてやろう」
なんとなく言ってみて頭を抱える。これじゃあ挑発しているのと一緒だ。
なしなし、なんかそれっぽいけど無しで。
どうやったら伝わるんだろうか。戦争なんてやめて一緒に平和な世界を作ろう。
それだけで伝わるなら、きっと今頃戦争なんてやっていない。
でもそれは僕にとっての本心で、曲げたくないものだ。
考えがまとまらない。こういう時は糖分をとって頭を休めるのがいいってライザーが言っていた。テラスのテーブルには島のみんながくれた果物が置いてある。
その中から、僕はバナナを手に取って食べた。甘い果肉が疲れた脳に染み渡る。そういえば朝も何も食べずにずっと避難誘導やらに追われていた。気が付けば僕は両手にバナナをもって租借を繰り返していた。
僕はその時のことを、これから一生悔やむことになる。
「お前が魔王エールだな」
空腹から食べることに夢中になっていた僕は、その声の存在に気付くのが遅れた。
「なぜ、バナナを食べている?」
「んっぐっ‼」
やばい、のどに、詰まった。くるしい、死ぬ。
恥も外見もなく僕は両手のバナナを投げ捨てて胸をたたく。
勇者を目の前にバナナをのどに詰まらせて死ぬとか笑い話にもならない。
なんとか詰まったバナナをのどに通して、僕は何事もなかったかのように地面へと降り立った。
うん。本当になかったことにしてほしい。どうしてこうなったんだ。
そして僕は仕切り直し、勇者に平和への想いを伝えた。
けれど、その想いを一蹴したのは勇者ではなく、その後ろに控えていた聖女からだった。
「そんなこと許されるはずないわ」
「マリアンヌ?」
聖女の言葉に勇者も困惑しているようだ。
彼女の持つ雰囲気が、一瞬にして変わったのだ。
聖女と呼ばれる存在とは程遠いようなその雰囲気は憎悪、嫌悪、そういったものが混沌と入り混じっているように見える。
「戦争なんてしたくない? 平和な世界? ふざけないで‼」
「ふざけてなんてない。僕はっ‼」
「私の生まれた村を滅ぼしておいてぬけぬけと‼」
語られる聖女の過去。
「戦える人間なんていなかった。森に山菜や果物を取りに行ったり、家畜を育ててみんなで分けてたり、貧しくても平和に暮らしてた」
それは、僕にも想像できる。つい先日まで、この島でも繰り広げられていた光景だ。
「でも魔族はそんな人たちを、私の家族も友人もみんな。立った一晩で皆殺しにした。聖女の力が私を殺さなかった。生き残った私は今でも呪いのようにみんなの断末魔が耳から離れない‼」
まっすぐと僕をにらみつけてくる聖女。
それは僕が生まれて初めて感じた恐怖。
「魔族は滅ぶべきなの。これ以上罪のない人間を殺させないために、そのために私はここにいる‼」
「それはっ‼ でも、この島の魔族だって同じだ。戦う力がなく、ここで静かに暮らしていた。殺されたから殺しあっていたんじゃいつまでたっても戦いはなくならない‼」
だからこそ、この悲しみを増やさないために戦いを止めたい。そう願うことは許されないことなのか。
その解答は勇者の光の斬撃が答えただった。
とっさに張った結界が防ぐけれど、たったの一撃で結界がひび割れる。
「魔王。それはきっと、お前の願いは尊いものなんだと思う。けれど、それは奪われたことのない奴の戯言だ」
違うよ勇者。僕は顔もほとんど見たことはないけれど、父親を君たちに殺された。
「それにね。魔族は快楽的に人を襲うけど、私たちは生きるためにあなた達を殺さなければならないの」
「僕たちは、魔族は家畜みたいなものだっていうのか!?」
「家畜なんて上等なものじゃないわ。何の得にもならない、いわば害虫みたいなものよ」
再び振り下ろされる光の斬撃。結界が砕け散り、すぐさま新しい結界を構築して距離をとる。
「もう話すことは何もない。潔く殺されろ」
勇者のその言葉を皮切りに攻撃の熾烈さが増してくる。
言葉は届かない。
どうして、止めることができない。
頭が真っ白になる。
無意識に結界を何度も張り直し、生きながらえている。
僕の結界は対象の防御を強化するものだ。ライザーのような強靭な肉体ではない以上、その恩恵は少ない。さらに、聖剣の威力は魔王である僕の命を確実に狙ってくる。
「そうよ。ユーシお願い。もう私みたいな悲しみを背負うことのないように、魔王を討って‼」
僕たちは人間にとって害虫?
そんなの、違う。
否定したい。けれど、確かに多くの魔族は人間を快楽的に襲う。
否定できない。
だめだ。もう、考えが追い付かない。
「終わりだっ‼」
光の斬撃が目の前に迫る。結界は壊され、次の結界が間に合わない。
死を覚悟したとき、突風が吹き抜けた。
「エール様をいじめるなー‼」
ここにいるはずのないものの声。
なんで、なんで彼女がここにいる。
「ハーピー‼ 邪魔をするなっ‼」
「ピア‼ だめだっ‼」
勇者の剣がピアへと向けられる。
間に合うかわからない。それでも、幼いハーピーの少女に僕は結界を構築する。
けれど、魔王に有効なだけの聖剣でも、幼いハーピーの少女に対しては強力な武器。その威力は結界で防がれても致命的だ。
翼を切り裂かれ、ピアは地に伏せた。血が滴る聖剣と、動かない友人。
「ピア‼ ピアっ‼」
駆け寄って抱き起す。もう意識もないのか、小さな呼吸も絶え絶えとなっている。
すぐに回復魔法をかければ、もしかしたら助けられる。
けれど、背後にいる勇者はきっとそれを許さない。
結界を張って身を守るか。ピアを助けるか。
選択を迫られる。
ピアを助けたとしても、彼女はすぐに殺されてしまうだろう。
僕は、選んだ。
振り下ろされる勇者の光の斬撃。
それは、音を立てて防がれた。
「いてぇえええええええ‼」
タローの顔面によって、えぇええええ!?
更新ペースは何とか早くしていこうと思います。
最初の勢いほどはないですがよろしくお願いします。